2022年11月5日土曜日

画家一代、音楽家二代、デザイナー三代

 画家一代、音楽家二代、デザイナー三代

まだ学生の頃「画家一代、音楽家二代、デザイナー三代」という言葉があって、やたらと意識していた時期がありました。

ネット検索しても出てこないところを見ると、古い世代の書籍か、あるいは限られたアカデミズムの中で言われた言葉に過ぎないのかもしれません。「デザイナー」の部分は正確には「建築」だったのかもしれませんが、僕が見知った範囲では「デザイナー」でしたので、デザイナーで話を進めます。

この言の意味するところは、それぞれひと門のものになるまでは、これぐらいの「代」はかかるよということです。


デザイナーの素養は親ガチャの典型

絵描きは例を挙げるまでもなく初代で成功している人がたくさんいます。
ただこのことは後述しますが、かなり近年、複雑な思いで捉えています。

音楽家を育てるには、親の代が音楽の素養を持ち、それなりに子どもに音楽教育を施せる環境であること。有名どころではベートーヴェンやモーツァルトなど。

これにはかなり納得行くところがあります。
身の回りもそうだし、僕の知る限り、クラシック、ロック、ジャズ、演歌、民謡その他全て、親の世代で音楽に全く興味のない方で音楽家になった例を挙げるのが大変なぐらい知りません。

最後のデザイナー三代というのは、デザイナーの素養の多くは、教育というよりは生まれ育った家庭の経済、文化レベルに依存するのだという例えです。良い環境で育ち、良い物を使って文化的な生活をし、社交を経験して人とのつながりを肌感覚で見据え、またかなりの教育投資を受けていないと、人が手にして使うものをどう構成すべきかという本質が見えてこないのだそうです。親ガチャの典型です。

残念ながら僕はデザイナーとしてはまあそれなりに生活の糧になるようなレベル止まりでそれほど高貴な成果(笑)は残せていませんし、人の感性に訴える綿密な設計というものについては未だに全く自信がありません。

まあ、それでも今は経験を通じて、デザイナーも人様の役に立つためだったら「意識体験と勉強と研究」さえ怠らなければ良いデザインは生み出せるという考え方に変わっています。



絵描きになるにはお金がかかるという事実

さて、「絵描き一代」に戻ります。僕はこの「絵描き一代」にかなりの疑念を抱きながら「そんな簡単に言っていいのか?」といつも考えてしまうのです。

今から僕が書く文章は、定説や常識の逆のさらに裏を見ているような文章ですので、あくまでも正しい正しくないではなく、思考の参考までにお読みいただければと思います。

近年のアートは、相当な知的水準、技術訓練と感性、そして投資が必要な分野となって久しく、少なくとも美大を卒業し院まで進みアーティストデビューの「頼りない」切符を手にするまでに、莫大な親からの投資が必要なことが当たり前になってきています。

投資金額がそのままアーティストとしての名声や立ち位置に影響する。

もちろんその裏にはアーティスト自身の血の滲むような努力があっての話です。

が、です。

さらにそんなにまでして頑張ってきたアーティストの作品を見せられていつも感じさせられる共通の感想があります。

「まて。これって……、デザインじゃね?」

この場合の「デザイン」という言葉の使い方にご注意ください。

デザインにはターゲットがあります。

アートにはターゲットはありません。

デザインには関係ある人とない人がいます。

アートは否が応でも作者から時代への概念的関係を迫るものである。

さらに言います。

デザインとは、ターゲット(役立つ)が絞られた中でのみ価値が創造される。役に立たないデザインは淘汰される。

ところでターゲットが絞られたアートは現状、ターゲットの絞られた価値創造市場の中では莫大な富を生むが、人類の恒常的価値とは無縁のものとなっています(今のところ)。つまり、関係ない人にとってはどこまでも関係のない世界で終わる。

まあ、アートをそんな大上段で捉えるつもりはありません。
河原や路傍の石を見るようにアートも見るべきという僕の基本概念は変わりません。

眼の前にあるものがアートでもデザインでもどっちでもよろしい。

関係ない人に関係ないのは絵もデザインも一緒。人類には関係あるけど。


アートではなくデザインさせられる人たち

が、やっぱり「ん?これってデザインじゃね?」と思う作品からは、なにかこう得体の知れない「市場臭」がする。

長年のデザイナー経験から来る、独特の嗅覚がそうさせる。
それは、ある特定の人には僕はこの人の作品を紹介説明はできるけれど
別のある人にはとてもそれが価値あるものとは説明できないと感じるからです。

そこでそんな経験豊富な僕は考えるのです。

そうか!
アーティストも今や三代かかるアレなんだ!

アートは逆境を跳ね除け、美に対する止むに止まれぬ枯渇感から生まれる挑戦や、無邪気に野山で遊んでは夕日に見とれているぼんやり人間のものではなく、今やターゲット顧客層の気持ちを汲める、かゆいところに手が届く「こんなのいかがですか?」を提案する商品価値を問われるものになった!

アーティストもデザインの市場創造システムに組み込まれたのです。
彼らはデザイナーなのです。

河原で見つけたきれいな石を拾い上げて小躍りしながら家に持ち帰ってみんなにワクワクしながら見せるのではなく、ショベルカーで乗り付けていって川底まで掘り返し、ベルトコンベアーでじゃんじゃん街に送り込んでガラガラ磨いてお店に並べるのです!
アイデアだね!
アーテイストになるために、川底採掘権やショベルカーの操縦まで必要なんだ!

アイデアや驚き、新しさはとても大切なことです。技術も大切だ。

でも……

静寂から聴こえるあの音は? 詩は? 空を見た時のドキドキや締め付けられるような切なさは?

個人的見解です。
僕は「絵描きは1.5代」だと思います。

0.5はなにか。それは自分の人生をどう生きどう捉えたか、そしてそれを通じて世界や自然をどう見たか……です。

それは画面に必ず出る。
作家本人が気づいてなくても。


お互い、がんばろうね。

という…お話でした。