2018年6月1日金曜日

葬儀も無事終わりました

そんなわけで、看取り、手配、納棺、通夜、葬儀、御香典整理までを4日で駆け抜けました。

ご参列、たくさんの御意志を頂いた皆様、仕事や連絡を待ってくださった皆様のおかげで、何の滞りもなく、父もスッキリと旅立つことができました。

百か日法要までやっちゃったのでとにかくお経の連続。
この後納骨、四十九日まで一旦普段の生活に戻ります。
 
故人は実家は曹洞宗だけど本人は無宗教。母実家は神道。
 
宗派が決められないので「宗派関係なくていいよ」という真言宗の僧侶が来ました。
 
ゆえに戒名も保留。
 
「『教職院機関士居士』でいいんじゃないの?」
(故人は元船舶の機関士で、実業高校の機関科の教師でした)
と言い残して帰ってきましたが、まあ、それは当然冗談としても、やること多すぎると、いろいろどうでもよくなってくる。
 

気がつけば、V12センチュリー(改)霊柩車の後部座席から運転席の写真撮りまくってました。聞きしに勝るこのクルマ、隅から隅までスゲー完成度です。キャンピングカーにしたい。
 
多忙の仕事を休んでまで駆けつけてくれた、僕の一番最初の幼馴染の康之君。
 
2歳ぐらいから、七五三、幼稚園〜高校まで一緒。父同士が同僚、母同士も親友。
高校大学と山岳部、ワンゲルの主将で、日本人離れしてて超イケメンで、超いい人。
今は仙台のフォルクスワーゲンディーラーの偉い人。
おどろいたのは、彼のオーラがめちゃくちゃきれい。

この歳でこのぐらいきれいな人は僕は他にあんまり知らない。
雑念があんまりないなとわかる。逆に心配になる。
とにかく会えて本当に嬉しかった。

 高校のクラスメートの徹君も仕事中に駆けつけてくれました。
本当に彼には頭が下がる。
彼はちょっと普段から働きすぎ飲み過ぎでこれはこれで心配。
 
とにかく思いもよらず、普段会えなかった親戚も知己もたくさん駆けつけてくれて、本当にありがたくて故人のことよりそっちで涙が出ます。
 
この場をお借り……するのもなんかへんですが、取り急ぎ、まずは感謝申し上げます。
ありがとうございます。

こんな家族全員覚悟済みのチョッパヤのテキトーでささやかな家族葬でもこんなに大変なんだから、先輩のみなさんさぞかし大変な思いでご家族を送られて来たのでしょうね。
本当にご苦労さまです。
 

 
……自分が死ぬときは、ふっと消えるようにいなくなりたいなあ。死んだ瞬間忘れられるように。
 
それが叶わぬのなら、ぜひ世界中の人たちで、僕の死を悼み、看取りも葬式も手伝ってやってくださいww

2018年5月27日日曜日

父永眠



2018年5月27日12時20分  父永眠。

高速飛ばして12時10分に病室到着。

耳のそばで声をかける。
心拍がどんどん下がって、やがてモニタには何も表示されなくなり。

そうか。僕の到着を待っててくれるなんて
最後の最後まで、気い使いで
83年間、本当にお疲れ様でした。
ありがとうございます。

写真は、手持ちの手帳にとっさに描いた父の臨終の姿。
死に顔を見つめていると
「描け描けここで描かなければ後悔するぞ」と
心の奥底に声がする。

何も描くものなんて持ってきてない。

かばんの中を探って、小さな手帳にようやく鉛筆ではしりがき。

凝視しているうちに、魂はもうそこには宿ってない、やっと自由になったのだ、ということをやっと実感しました。

その後はずっとバタバタしております。
何しろ親の葬儀なんて初めてで。

2018年3月13日火曜日

再入院




そして結局、父は再び入院と相成りました。何回目だろう。

入院というのは、診察から検査〜診察、IC、入院手続き、身の回りの品を施設や家から持ってくる…までほぼ一日費やすのです。

これを何度も繰り返しながら、家族にも覚悟が出来て

そしてお別れなんだ。