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2023年1月27日金曜日

日本の工業の転換期に生まれたマミヤ

2023年最初の個展まであと10日を切りました。時間を忘れて絵と向き合いつつも、去年〜今年はいろんな経験をし、そのインプットが出て来つつあるのを実感しています。

良いこともそうでないことも、楽しいことも辛いことも、嬉しいことも悲しいことも、充実したことも虚しいことも、高揚感も悔しさも、全てが糧となっています。

その中のひとつ
「父のマミヤ」を探す旅。
その中でさまざまなカメラと出会いました。
そしてそれは、改めて日本の再興と成長を支えた工業の歩みの追体験でもありました。

工業デザインの隅っこにいた者として、この追体験は本当に勉強になりました。

1950年代は、戦後焼け跡から始まった日本の工業製品が、急速に品質と性能を高めて世界にチャレンジしていった時代。

その代表のひとつがカメラではないでしょうか?
ニコン、マミヤ、トーコー(トプコン)、ミノルタ、小西六(コニカ)辺りは戦前からものづくりを続け、兵器開発製造にも携わった経験から、性能そのものは良かったそうです。

それでも1948〜1953年頃までは、まだ戦後の間に合せコピー感から抜け出してはいません。

各社のライカコピー(世界中でコピーされた)は言うまでもなく「世界で一番売れた二眼レフ」と言われるリコーフレックスや、日本初の「一眼レフ」と言われる(ドイツイハゲーイクザクタのコピー)のアサヒフレックス(ペンタックス)ですら、シンプルなのは良いのですが、やはりどこか貧しさ、寂しさを感じます。

ところが1954年頃から、突然日本の工業製品レベルは本当に「化ける」ように変わっていくのです。

その中でも群を抜いていたマミヤは、1953〜1960年頃には、既に完成の域に達していました。
写りやレンズは当然のこと、ダイキャストボディ、スイッチ類の手応え、ダイヤル類(1955年頃のモデルまではまだおそらく手動旋盤による削り出し)、板金部分の噛み合わせやチリ合わせの精度等まで、もはや同時期のツァイスにも全く引けをとっていません。

しかしそんなマミヤの35mmカメラはあまり売れませんでした。各社の競争が激しさを増す1960年代になると、コストダウンや陳腐化計算、マーケティングの時代が到来、高品質高価格のマミヤは次第に精彩を欠くようになります。そしてそういったことをあまり気にしなくて良いプロ用中判カメラの方に軸足を移してゆくのです。



上写真
左:二眼レフマミヤフレックスB(1954)
中:マミヤ35 II(1955年)
右:マミヤ35メトラ(1958年)
    ↑
このメトラがいわゆる「父のマミヤ」。やっとの思いで手に入れた個体が酷い状態で、修理に出しつつ部品取りのために入手した数台のジャンクの方が程度が全然良くて、主役が3台ぐらいに増えて困惑💦 

    ↓



2022年12月20日火曜日

マミヤのコントラスト

 亡き父のマミヤ……はしばらく前に母が売り払っていた。


取り戻そう……と思って中古カメラ屋やネットオークションをだいぶしばらく彷徨った。


けれど、そのカメラは1950年代のマミヤの技術の粋を集めたような複雑な機構が売りで、調べていくうちに、おそらく手に入れられたとしても、60年後の今、まともに動くものを取り戻すのは無理だと分かった。


そこで僕は、父のものよりさらに4〜5年ほども旧い、性能は変わらないがややシンプルなモデルを手に入れることにした。


初めて現像から帰ってきた写真を見た瞬間

「あ、子供の頃に見た、あの光だ。」

と思った。



マミヤの光は、陽だまりだ。

「忠実故に平凡」と誰かが言ってたけど、僕にとってのマミヤはそうじゃない。

幼い頃の家の、マサキの生垣に反射した陽射しが、淡い緑と陰の深い深いコントラストを作り出し、その温度差まで伝わってくる。


生垣の陽だまりで感じた肌の温もりを今でも覚えていられるのは、父のマミヤのおかげだ。


そしてこの緑のコントラストは、今の僕の作風にも強く影響している。


僕のアート人生の大半は、色とコントラストの追求の歴史といっても過言ではない。


「黒を使うな」という最初の師匠の鉄の掟は、30代後半まで僕を苦しめた。

黒を使えない絵は、コントラストが甘くなる。

結果として色相環を無意識レベルで扱えるようになるまで叩き込むことになる。


もちろん今は4種類以上もの黒を使い分けて多用しているが、そんなこともあって黒という色を使わずにコントラストを上げる方法を10代は身につけた。


アクリルや水彩では、黒は「黒」だが、油彩ではピーチブラックやチャコールブラック、マーズブラックなど何種類もの黒がある。


プラス、僕はインディゴやペインズグレイ(国産と海外製とではこの色の意味するものはだいぶ違う)、さらにはプルシアンブルーを、混色やグレージングを利用して「黒」として使う。


それは、光のコントラストを確実に豊かなものにしてくれる「黒」達だ。


加えて「水晶」である。

水晶は、パワーストーン、パワーアートとしての役割だけを狙っているのではない。


光を集め、コントラストの極の一端を担う、大切な「画材」である。


強いコントラストは、強さと同時に優しさや懐の深い奥行きや暖かみも表現してくれる。


そんなコントラストを教えてくれたのが、幼い頃の、父のマミヤだった。



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