秋の個展も無事終えて
久しぶりに個展用の曲作りに取り掛かることができました。
1年ぶり。
早速一曲、小品ができたのでアップします。
相変わらずな感じですが……。
森を歩く自分の息づかいと、雨と、葉っぱに落ちる雨粒と、鳥達の声がおしゃべりしているようなそういうなにか。
4分ぐらいです。
BGMにどうぞ。
「雨の森」(Rain Forest)
https://soundcloud.com/user-655464220/rainforest
アーティストでデザイナーでヒーラー、サトチヒロのまぜこぜブログです。絵や芸術の話、制作過程、氣や魂やエネルギーの話、音楽の話、パイプ、オールドカメラ、クルマの話。 /アートストンギャラリー(銀座)所属
2018年11月11日日曜日
2016年1月21日木曜日
BlackStar 歌詞(意訳) David Bowie
BlackStar by David Bowie
君の目に見えているのは
「兆し」という村
広場の真ん中
ぽつんと蝋燭
ぽつんと蝋燭
広場の真ん中
「処刑」の日
女達がひざまづき微笑む
「兆し」という村
広場の真中
ぽつんと蝋燭
ぽつんと蝋燭
広場の真ん中
(間奏)
男が死んだその時に
魂が昇り踊りだす
誰かが彼に乗り移り
雄叫びが
「わたしはブラックスター、わたしはブラックスター」
また堕天使か?
またホラか嘘?
そいつは踏み込み周りに叫ぶ
「わたしはブラックスター、わたしはブラックスター、ギャングスターではない」
わたしは問いには答えない(わたしはブラックスターである)
わたしとともに来るがいい(わたしは銀幕のスターではない)
家に連れて帰ろう(わたしはブラックスターである)
さあ通行証と靴を(わたしはポップスターではない)
鎮静剤もか フン(わたしはブラックスターである)
おまえは一瞬の輝きである(わたしは不思議の星ではない)
わたしは偉大である(わたしはブラックスターである)
富を手に入れゲームに勝った
真理を見据え悟りを開く
鷹を夢見て、目には金剛石
「わたしはブラックスター、わたしはブラックスター」
男が死んだその時に
魂が昇り踊りだす
誰かが彼に乗り移り
雄叫びが
「わたしはブラックスター、わたしは星の中の星」
わたしは問いには答えない(わたしはブラックスターである)
だが特別教えてやろう(わたしは銀幕のスターではない)
我々は逆子として(わたしは星の中の星)
間違った場所に産み落とされたのだ(わたしはホワイトスターではない)
わたしはブラックスターである
ギャングスターではない
ポルノスターでもない
憂いのスターでもない
わたしはブラックスターである
君の目に見えているのは
「兆し」という村
「兆し」という村
広場の真中
ぽつんと蝋燭
ぽつんと蝋燭
「処刑」の日
女達がひざまづき微笑む
君の目に見えているもの
(意訳:by ChihiroSATO)
2016年1月15日金曜日
I can't give everything Away 歌詞(意訳) David Bowie
I can't give everything Away
けっこう間違いをしでかした
放蕩息子の心臓が
鼓動をやめてしまったら
知らせの手紙は花で飾って
スカルの靴も忘れずに
何もかもおいて行くことはできないんだ
I can't give everything Away
知ろうとすればするほどに
感じることができなくなる
ノーと言っているけれど
本当はイエスという意味
これが今まで言いたかったこと
僕からのメッセージ
何もかもおいて行くことはできないんだ
I can't give everything Away
何もかもおいて行くことはできないんだ
I can't give everything Away
けっこう間違いをしでかした
放蕩息子の心臓が
鼓動をやめてしまったら
知らせの手紙は花で飾って
スカルの靴も忘れずに
何もかもおいて行くことはできないんだ
I can't give everything Away
意訳 by ChihiroSATO
けっこう間違いをしでかした
放蕩息子の心臓が
鼓動をやめてしまったら
知らせの手紙は花で飾って
スカルの靴も忘れずに
何もかもおいて行くことはできないんだ
I can't give everything Away
知ろうとすればするほどに
感じることができなくなる
ノーと言っているけれど
本当はイエスという意味
これが今まで言いたかったこと
僕からのメッセージ
何もかもおいて行くことはできないんだ
I can't give everything Away
何もかもおいて行くことはできないんだ
I can't give everything Away
けっこう間違いをしでかした
放蕩息子の心臓が
鼓動をやめてしまったら
知らせの手紙は花で飾って
スカルの靴も忘れずに
何もかもおいて行くことはできないんだ
I can't give everything Away
意訳 by ChihiroSATO
ラザロ 歌詞(意訳) DavidBowie
ラザロ
見よここは天国だ
見えないけれど傷を負い
真似できない人生を手に入れた
みんなが僕を知っている
みんなが僕を知っている
見よ僕はもう危ない
失うものは何もない
気分は良いし頭も回る
携帯電話を落としてしまった
これってまるで僕みたい
ニューヨークに来て
王様のように暮らしてた
それから金を使い切り
君のケツを追いかけた
この道しかない
僕は自由になるんだね
あの青い鳥のように
これってまるで僕みたい
僕は自由になるんだよ
あの青い鳥のように
僕は自由になるんだよ
これってまるで僕みたい
(意訳 by ChihiroSATO)
2014年12月13日土曜日
ヤルヴィの風景
久しぶりのオペラシティ。
12/10~14、武満ホールにてパーヴォ・ヤルヴィ&ドイツ・カンマーフィルブレーメンのブラームスチクルスをやっています。4つの管弦楽曲、4つの協奏曲、4つの交響曲を4日間で時系列に。
本当は全て行きたかったのですが、まあそういう訳にも行かず、特に交響曲第2番が聴きたかったので二日目の公演に。
一曲目はハイドンの主題による変奏曲。
続いてクリスティアン・テツラフ演奏のバイオリン協奏曲。
技巧と強烈なパワー、ダイナミックさと繊細の緩急。特に第一楽章のカデンツァは非常に素晴らしいものでした。不勉強にしてオリジナルかどうか分かりませんが、サラサーテを意識したような非常に技巧的なフレーズにあふれていました。
アンコールはバッハ。
アンデルシェフスキといいテツラフといい、21世紀に入って明らかにバッハの解釈がまた新時代を迎えたのだということを印象づけてくれる演奏でした。
さて、ヤルヴィ&ドイツカンマーフィルの交響曲と言えばしばらく前にベートーヴェン交響曲第5番の冒頭の解釈が斬新で話題になりましたが、カンマー(室内楽)という名が示す通り現代のレベルでは比較的小編成のオーケストラが特徴で、やや軽くスピード感とちょっとヒップホップのようなノリもあっていかにも21世紀風。
当たり前といえば当たり前ですが、当代のクラシック音楽家は、指揮者も演奏家もみんなロックやジャズ、ソウルをクラシックと同じように聴いて育っているし、かなり詳しい人も多く、カンマーフィルの演奏家やヤルヴィにもそのバックグラウンドはしっかり出ています。
音楽におけるタイム感ビート感というのは我々の世代が音楽に対して持っている共意識の一つで、これをなくしては音楽が成立しないという時代であることは間違いありません。
クラシックもそれと無縁ではいられないわけで、やはりカラヤン以前と以降では違うし、最近の演奏家はさらにそのリズム感覚は卓越してきています(bpmが正確なビートを刻むという意味ではありません、念のため)。
今回のブラームスも聞き覚えのある重厚で気難しさの漂うのとはちょっとまた違う、スピードとビートにあふれたものでした。
もちろん美しく繊細な情緒性により磨きがかかっていました。
しかしその他に、特に交響曲の中にものすごく何かを言いたげな感じがありました。
言葉にするのはとてもむずかしいのですが、ある風景が何度も何度も繰り返し出てくるのです。
普段CDなどで他のブラ2を聴けば、当たり前の解釈としてブラームスがこの曲を作曲した南オーストリアの湖畔をイメージできます。
木々や草花の囁きや鳥の声、そして風の音、水の匂い。
ヤルヴィの解釈はとても厳密で考証性の高い演奏が特徴です。
しかしなぜかその「南オーストリア」がほとんど出てこなかった。
その代わりにベルルーシやウクライナの草原のような、広くて明るいがなぜか物悲しい光景が広がったのです。
彼はエストニア生まれ、ソ連時代のエストニアの音楽学校を出た後、アメリカのカーティス音楽院やバーンスタインの元で修行していますが……。
ヤルヴィとオケの面々の脳裏に、言葉にならないメッセージとウクライナの平原の原風景が広がっているのを感じたのは僕だけでしょうか。
もう一つ気になったのは、三〜四楽章あたりになるとどことなくマーラー的な狂騒に似た雰囲気すら感じられる箇所がいくつかあったという点です。
もちろんこれは僕にとっては好印象です。
その時代の新しい音楽とは何だったのか、それをブラームスを通じて現代的に我々に伝えてくれるものでした。
もちろんもしもベートーヴェンがこの演奏を聴いたとしても、やはり前衛的だと感じたでしょうし、そしてブラームス自身ベートーヴェンを敬愛しながらも新時代の旗手としてその古典主義的な枠からどうにか抜けだそうとしてもがいていた痕跡を彷彿とさせるものでした。
ヤルヴィの解釈は本当に面白いです。
演奏曲目
[ソリストアンコール]クリスティアン・テツラフ(Vn)
・J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンソナタ 第3番 ハ長調 BWV1005より「ラルゴ」
[オーケストラアンコール]
・ブラームス:ハンガリー舞曲 第3番 ヘ長調
・ブラームス:ハンガリー舞曲 第5番 ト短調
12/10~14、武満ホールにてパーヴォ・ヤルヴィ&ドイツ・カンマーフィルブレーメンのブラームスチクルスをやっています。4つの管弦楽曲、4つの協奏曲、4つの交響曲を4日間で時系列に。
本当は全て行きたかったのですが、まあそういう訳にも行かず、特に交響曲第2番が聴きたかったので二日目の公演に。
一曲目はハイドンの主題による変奏曲。
続いてクリスティアン・テツラフ演奏のバイオリン協奏曲。
技巧と強烈なパワー、ダイナミックさと繊細の緩急。特に第一楽章のカデンツァは非常に素晴らしいものでした。不勉強にしてオリジナルかどうか分かりませんが、サラサーテを意識したような非常に技巧的なフレーズにあふれていました。
アンコールはバッハ。
アンデルシェフスキといいテツラフといい、21世紀に入って明らかにバッハの解釈がまた新時代を迎えたのだということを印象づけてくれる演奏でした。
さて、ヤルヴィ&ドイツカンマーフィルの交響曲と言えばしばらく前にベートーヴェン交響曲第5番の冒頭の解釈が斬新で話題になりましたが、カンマー(室内楽)という名が示す通り現代のレベルでは比較的小編成のオーケストラが特徴で、やや軽くスピード感とちょっとヒップホップのようなノリもあっていかにも21世紀風。
当たり前といえば当たり前ですが、当代のクラシック音楽家は、指揮者も演奏家もみんなロックやジャズ、ソウルをクラシックと同じように聴いて育っているし、かなり詳しい人も多く、カンマーフィルの演奏家やヤルヴィにもそのバックグラウンドはしっかり出ています。
音楽におけるタイム感ビート感というのは我々の世代が音楽に対して持っている共意識の一つで、これをなくしては音楽が成立しないという時代であることは間違いありません。
クラシックもそれと無縁ではいられないわけで、やはりカラヤン以前と以降では違うし、最近の演奏家はさらにそのリズム感覚は卓越してきています(bpmが正確なビートを刻むという意味ではありません、念のため)。
今回のブラームスも聞き覚えのある重厚で気難しさの漂うのとはちょっとまた違う、スピードとビートにあふれたものでした。
もちろん美しく繊細な情緒性により磨きがかかっていました。
しかしその他に、特に交響曲の中にものすごく何かを言いたげな感じがありました。
言葉にするのはとてもむずかしいのですが、ある風景が何度も何度も繰り返し出てくるのです。
普段CDなどで他のブラ2を聴けば、当たり前の解釈としてブラームスがこの曲を作曲した南オーストリアの湖畔をイメージできます。
木々や草花の囁きや鳥の声、そして風の音、水の匂い。
ヤルヴィの解釈はとても厳密で考証性の高い演奏が特徴です。
しかしなぜかその「南オーストリア」がほとんど出てこなかった。
その代わりにベルルーシやウクライナの草原のような、広くて明るいがなぜか物悲しい光景が広がったのです。
彼はエストニア生まれ、ソ連時代のエストニアの音楽学校を出た後、アメリカのカーティス音楽院やバーンスタインの元で修行していますが……。
ヤルヴィとオケの面々の脳裏に、言葉にならないメッセージとウクライナの平原の原風景が広がっているのを感じたのは僕だけでしょうか。
もう一つ気になったのは、三〜四楽章あたりになるとどことなくマーラー的な狂騒に似た雰囲気すら感じられる箇所がいくつかあったという点です。
もちろんこれは僕にとっては好印象です。
その時代の新しい音楽とは何だったのか、それをブラームスを通じて現代的に我々に伝えてくれるものでした。
もちろんもしもベートーヴェンがこの演奏を聴いたとしても、やはり前衛的だと感じたでしょうし、そしてブラームス自身ベートーヴェンを敬愛しながらも新時代の旗手としてその古典主義的な枠からどうにか抜けだそうとしてもがいていた痕跡を彷彿とさせるものでした。
ヤルヴィの解釈は本当に面白いです。
演奏曲目
12/11[木]19:00
ブラームス:
- ハイドンの主題による変奏曲 op.56a
- ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 op.77
(ヴァイオリン:クリスティアン・テツラフ) - 交響曲第2番 ニ長調 op.73
[ソリストアンコール]クリスティアン・テツラフ(Vn)
・J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンソナタ 第3番 ハ長調 BWV1005より「ラルゴ」
[オーケストラアンコール]
・ブラームス:ハンガリー舞曲 第3番 ヘ長調
・ブラームス:ハンガリー舞曲 第5番 ト短調
2014年7月10日木曜日
David Bowie / DiamondDogs(1974)
バタバタしてて、しばらくレコードから遠ざかってました。
新しい作品の下地処理をしながらなに聴こうと思って出てきたのがこのアルバム。
アメリカンな時代のボウイです。あんまり好きでないですが、久しぶりに聴いてみたら、なんか出だしの感じが90年代のOutSideと似てるゾ…いや逆だ、と思ったボウイ節。(2014/4/7FBにて)
RebelRebel
マークボラン風味の小ヒット曲。
2014年3月1日土曜日
David Bowie / The man who sold the world (世界を売った男) (1971)
前作スペースオディティの2年後に出たアルバム。ヒットしたにも関わらず後年発売のベスト盤にはほとんど一曲も収録されていません。(辛うじて表題曲のみ、21世紀になって再評価されてからはあるようです)
内容的にドラッグによる幻覚やバッドトリップの表現が多いせいもあるかもしれませんが、キャッチーな曲が少ないアルバムです。
一方ではジャケットのセンセーショナルな事件やそれに伴うバージョンも手伝って今でもマニア受けしていて、中古LPはとんでもない価格になっています。
ボウイにとってドラッグに耽溺していた過去はアメリカでの時期も含め相当触れたくない部分のようです。
が同時にドラッグなしに彼の初期の音楽的トライアルや個性を語ることも出来ないのではないかと僕は思っています。
にしてもこのアルバムは全体的に音的に本人自身が咀嚼出来てないと感じる部分が多く、聴きどころはそう多くはありません。良くも悪くも当時のロックシーンの典型的な様式です。
表題曲の世界を売った男は例外でリフが印象的な良い曲です。
ニルヴァーナがカバーしたりしています。
The Man Who Sold The World
http://youtu.be/ZM0e1m9T9HQ
2000年頃のライブ
2014年2月26日水曜日
David Bowie / Space Oddity (1969)
デヴィッド・ボウイ初期の曲で絶対に欠かせない一曲があります。1969年にヒットした「Space Oddity」。
80年代に日本で初めて出版されたデヴィッド・ボウイの 歌詞集のタイトルにもなっていました。
スペース・オディティは、宇宙船のトム少佐と地上管制塔 とのやりとりが歌になっています。トム少佐は宇宙船から 宇宙遊泳に出て、そのまま宇宙空間に消えて帰らぬ人とな ります。まるでゼロ・グラヴィティのマットコワルスキー のような話です。
虚無感と浮遊感、哀しみとあっけらかんとした楽観が同居 していて本当に不思議な曲です。ボウイを代表する曲の一 つで、スペースシャトルで歌われたりと今だに時々世界の どこかで話題となる曲です。イギリス発売とヒットの時期 はアポロ11号月面着陸と完全に被っています。
アルバム自体はボブ・ディランの強い影響や自己の60年 代の鳴かず飛ばずの時代の曲調を引きずっていてお世辞に も名盤とは言い難いところもありますが、この表題曲に限 っては、キング・クリムゾン以前にエピタフのようなメロ トロンアレンジを使ったり(スペース・オディティのほう が数ヶ月早い)、後のクイーンのロックオペラのような構 成を持っていてとても斬新な曲です。デヴィッド・ボウイ の世界を確立した記念すべき曲です。
この12年後に、ボウイはアルバム「スケアリー・モンス ターズ」のAshes to Ashesという曲で「トム少佐はジャンキーだったのさ 」と、まるでスペースオデティを丸ごと否定するような歌 詞を披露しているのも有名な話です。
それにしても初期の彼の曲にはコックニー訛りがあちこち に出てきます。しかもいつもではなく時々。わざと?
Space oddity
2014年2月21日金曜日
David Bowie / The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars(屈折する星屑の上昇と下降、そして火星から来た蜘蛛の群)(1972)
前期デヴィッドボウイの名作。
すごいアルバム名(特に邦題)ですが、要するに、火星から来たジギースターダストは、デヴィッドボウイ自身のこと。スパイダーズは、彼のバックバンドの事です。
(火星からなのは蜘蛛の群だけでなく屈折した星屑も...しかし蜘蛛の群て…)
この頃のデヴィッドボウイは、火星から来たことになってました。このアルバム発表のツアー向けのキャラクターです。その後2〜3年で彼はそれを撤回しますが、ファンはそうは受け取りませんでした。
僕の記憶では1980年頃までは確かに火星人だったはずです。その後地球に帰化してセリアズ少佐になります。
このアルバムのサウンドを一言で表すと、音楽のデパート。
モチーフ、パッセージ、エフェクトに至るまで当時のイギリス音楽の最新モードで埋め尽くされています。
自身のソウルやR&Bの素地はもちろん、当時のジョンレノン、ボブディラン、ローリングストーンズらの影響を強く受け、マークボランやエルトンジョン、その他プログレのグループとパラレルに新しい音楽の次元を作っています。
しかし後に出てくるクイーン、イエスやジェネシス、パンク〜ニューウェーブまで継ぎ目なく繋げてしまってるのは、ボウイだけでは?
そう感じさせるほどに縦横無尽にパッセージやビートが踊ります。
聴けば聴くほど深いところに入り込み、忘れられなくなるアルバムです。
Starman(TV Live)
http://youtu.be/4B5zmDz4vR4
この曲を知らなくても人生のどこかで一度は耳にし、そしてたった一度だけで忘れることのできないサビのメロディです。
2014年2月11日火曜日
David Bowie/Scary Monsters (1980)
歴史上イギリスが生んだセンスの中で、ダンディズム、モ
キャンピズムとは聞きなれないかもしれませんが…。
例えばそれはドラァグスタイルとも混同されることもあり
このスタイルはロックの世界ではマークボランを始めとす
デヴィッドボウイの影響でイギリスの音楽シーンはその後
特に日本ではもともと歌舞伎などにも見られるように中性
しかし世界的に見るとキャンプは、そのスタイルやキャラ
その辺をデヴィッドボウイがどう処理しかいくぐってきた
僕が把握できるだけでも4つないしは5つの発声法を持っ
彼の歌詞の世界、メロディの世界と同様に、声の世界は聴
Scary Monstersはデヴィッドボウイ第一期最後のアルバ
声色によるバージョン違いを堪能することができます。
It's no game part 1
http://youtu.be/
It's no game part 2
http://youtu.be/
フェイムを超える名曲。ボウイ特有の一流のファンクです
Fashion
http://youtu.be/
ヒットシングル(英国1位)。後年のライブ映像です
Ashes to Ashes
http://youtu.be/
2014年2月9日日曜日
David Bowie / Lodger (1979)
デヴィッドボウイは、1970年代の後半を西ベルリンで
そしてベルリン時代の最後のアルバムが「Lodger(
このアルバムの特筆すべき点は何と言っても、ギタリスト
エイドリアンブリューは、非常に個性的な(というより変
この後彼はキングクリムゾンの再結成に参加し、メインボ
そんな背景もあってこのアルバムはミュージシャンズミュ
アフリカンビートや原始的ラップ、アラビア音楽、シナス
当時は音楽の主役がパンクからニューウェイブに代わりつ
この感覚は、日本のバンドで言えば、あがた森魚やYMO
初期のボウイは、どちらかというとアメリカのR&Bやソ
それらはB面に集約されて出てきます。ベルリン前回2作
「コスモポリタン」というアイデンティティを彼はついに
Boys keep swinging
http://youtu.be/
2014年2月7日金曜日
David Bowie / HEROES (1977)
デヴィッドボウイの最高傑作と云われるアルバムです
前作に続いて参加のブライアンイーノに加えて、キングク
完成度が高く、それまでの彼の玉石混淆していたアルバム
ベルリン3部作と言われ、前作と同様半数がインストルメ
ボーカル曲とインスト曲に統一感が生まれ、トータルアル
全ての曲がパワフルで精神の深い所に突き刺さる何かを持
僕もデヴィッドボウイの中で最も聴き込んだアルバムです
特にJoe the Lionは一時はロバートフリップのリフパートをほぼコ
Joe the Lion
http://youtu.be/
最初のガッガッガッというギターがロバートフリップ。最
後のLIVEでもこれをフリップよりカッコ良くアレンジ
Heroes
http://youtu.be/
たぶん2000年前後のLIVE。
彼の代表曲の一つ。ペシミスティックな曲なのですが、そ
面白いのは、Live映像では歌詞がオリジナルと変わっ
2014年2月2日日曜日
David Bowie / Low (1977)
アンビエントミュージックの大家ブライアン・イーノとの
1970年代後半、デビッド・ボウイが西ベルリンに住み
その頃の記憶を辿って行くと、確かボウイは「歌詞は無意
とは言え本当に歌詞が無意味だと思っていたようには思え
後年(80年代)彼の詩集(歌詞集)を読んでいて、ふと
それがちょうどこのLowやHeroesの頃でした。
それにしてもLowは歌のないアルバムです。
B面はイーノとの共作だなあと感じさせる曲が多く、イン
当時の彼の体調(離脱症状で極限状態だったと云われる)
ちょうどロックに目覚める頃、民放のFMも開局されてい
雑誌は主に「Young Guitar」と創刊されたばかりの「ロッキンf」(中
そんな乏しい情報量でグラムロックといって咄嗟に出てく
我々の興味の中心はまずはビートルズ、そしてストーンズ
ギター小僧はディープ・パープルとジェフ・ベック、不良
今振り返れば、デヴィッド・ボウイがソウルやR&Bの影
WARSZAWA(Live)
http://youtu.be/
ブライアン・イーノとの共作の成果が最も強く出ている曲
なんと1978年の東京公演の映像です。こんなのも上が
2014年1月21日火曜日
David Bowie / 'hours... (1999)
デヴィッド・ボウイが、久しぶりにヒットチャートにカムバックしたアルバム。
それまで活動していなかったわけでもアルバムが売れてなかったわけでもないのですが、シングル(Thursday's child)が日本の洋楽チャートでベスト10インしたのは、おそらく1984年のBlue Jean以来な気がします(1993年のBlack tie white noiseのJump they sayに記憶もあるのでもしかすると勘違いかもしれませんが)
いずれにしても日本ではこのアルバムからの「Thursday's child」が、デヴィッドボウイを久しぶりに頻繁にPVの中で見る姿となり、年月の経過に感慨深けなファンも多かったのでした。
アルバムジャケットは昔懐かしいレンチキュラー写真(ホログラム)になっていて、ボウイの手が動いたりします。意味はよくわかりません。
「Thursday's child」(PV)
http://youtu.be/8S227FFNwl8
2014年1月19日日曜日
David Bowie / Reality (2003)
Heathenから1年ちょっとで出たアルバム。
この頃アメリカは暗かった。
デヴィッドボウイのこの続けざまに出された2枚のアルバ
New Killer Star(Live)
http://youtu.be/
アルバムの1曲目。日本で言えば六本木ヒルズの毛利庭園
2014年1月18日土曜日
David Bowie/Heathen(2002)
もしコピーバンドをやっていたら、絶対このHeathenから半分以上はピックアップしてると思います。ロックしてる!カッコいい!そして歌詞が素晴らしい!
デヴィッド・ボウイとの出会いはとあるバンドでHeroesやJoe the Lionのロバート・フリップの様に弾いてくれと依頼されて聴き込んだのがきっかけです。
それまでチャイナ・ガールとかレッツダンスとかFAME以外これっぽっちも聴いたことがなくて、正直ギターソロもないし声はヒョロヒョロだしよくわかんなかったのですが、ロバート・フリップは好きだったしその荒々しいギターのニュアンスを真似しているうちに少しずつハマっていきました。
デヴィッド・ボウイは歌詞を理解して聴く音楽だと思います。
歌詞の世界の深遠さ、芸術性はちょっと言葉に表せない。
自分が歌詞作りで悩んでた時期に出会いたかったなあと思います。
このアルバムの中のAfraidという小品は、一見なんてことのない若者特有の不安について歌ってるように見えますが、よく読んでいくとリアルタイムのデヴィッド・ボウイ自身、あるいは似たような年頃の中年の内省的な言葉じゃないかと薄々わかってくる。そういう歌詞に、今だにたくさん出会える(リアルタイムで活躍している往年の)アーティストです。
…いやあ、もうそれ以前にむちゃくちゃカッコいい!ロックバンドとして!
Afraid (ライブ)
http://youtu.be/QKxcpuOhVl0
「アフレイド」
もっと頭が良かったらいいのに
僕は海辺で途方にくれた
もっと背が高かったら良かったのに
それは本当に僕にとって大切なこと
でも僕は未来に向かっている
孤独じゃないと信じてる
ビートルズを信じてる
僕の小さな魂が成長したと信じてる
そして僕は今でも怖がってる
そう、今だに怖いんだ
一人でいることが怖いんだ
一人で生きていくことが
何が僕の人生を素晴らしくしてくれるのか?
何が僕を嫌な気分にさせるのか?
僕はかつて大きな海の上で目が覚めた
雲の上を歩いたものだ
もし僕が薬を信じることができたなら
もし僕が作り笑いができるなら
もし僕がテレビに出られたら
もし誰もいない通りを歩けたら
僕は怖がらないんだろう
そう、怖くない
怖がらない
決して
2014年1月15日水曜日
チャイコフスキーピアノ協奏曲第一番/ウラジミル・アシュケナージ/ロリン・マゼール指揮ロンドン響(1963)/ LP
超有名な冒頭の管による主題から始まる雄大でエネルギー
クラシックファンやピアニストにとっては割と有名な録音で、
再プレスやCD化はもちろん今だにSACDでも復刻版が
アシュケナージはこの時26歳でチャイコフスキーコンク
若い亡命前のアシュケナージのテクニックと表現力は本当
特に第三楽章の畳み掛けは彼の得意とするショパンやラフ
チャイコフスキー・コンクール(1962)の時の演奏(
http://youtu.be/
キーシンと小澤の1995年の演奏(全楽章)
http://youtu.be/
チャイコフスキーバイオリン協奏曲
チャイコフスキー/バイオリン協奏曲/ユリアフィッシャー&ロシア国立管弦楽団(2006)
チャイコフスキーはおしなべて、その旋律も彼の感受性もどこか「乙女」のにおいがする。
なんだけど、聴く姿を想像出来るのはグラマラスで経験豊かな女性。そのギャップは一体どこからくるのだろう。
メランコリックで、劇的で視覚的。喜怒哀楽。純化された人生の記憶。
ユリアフィッシャーの演奏がそうさせるのか、技巧の披露を超えたところにある彼女の表現力。
天才ハイフェッツ先生の演奏↓
欲しいなあこのレコード
http://youtu.be/KimuMGtYQFY
チャイコフスキーはおしなべて、その旋律も彼の感受性もどこか「乙女」のにおいがする。
なんだけど、聴く姿を想像出来るのはグラマラスで経験豊かな女性。そのギャップは一体どこからくるのだろう。
メランコリックで、劇的で視覚的。喜怒哀楽。純化された人生の記憶。
ユリアフィッシャーの演奏がそうさせるのか、技巧の披露を超えたところにある彼女の表現力。
天才ハイフェッツ先生の演奏↓
欲しいなあこのレコード
http://youtu.be/KimuMGtYQFY
2014年1月14日火曜日
マーラー9番雑感

マーラーのやっかいなところは、全てのフレーズにおいてマーラーの明確な意識化された意図が入っているということ。しかも本人はそれについて殆ど言及などしていない。「音楽で判断しろ」というのみ。説明がないにもかかわらず、解釈には正解がある(と作曲家本人は主張する)。もはや深層心理の謎解きの世界だ。マーラーの音楽を感情移入して聴くのが難しい原因はその辺にあるような気がする。まさに彼と全く同じ感情と心理状態にならないと分からない世界がある。
メンタリティがマーラーと全く違う指揮者、例えばクナッパーツブッシュやカラヤン(晩年はバーンスタインへの対抗か少しやったが解釈はメタメタだ)が、全くマーラーを演奏しなかったのと対照的に、「同じ民族として」「他人とは思えない」と言ったバーンスタインは、ユダヤ人指揮者として生涯をかけて演奏した。
一方ではマーラーはワグナー作品の指揮者の第一人者でもある。興味深い対比だ。
僕は個人的にはマーラーが「ユダヤ人」としての括りのメンタリティで交響曲を作曲していたことなど殆どないか、ごく限られた時期にあったに過ぎないと思っている。
むしろ彼はかなりのコスモポリタンであったように思う。国家や宗教、民族というアイデンティというのは、一見重要で強固で根の深いものののように思えるが、実はそのナンセンスを彼はいつも哂っている気がする。
仮にマーラーが差別故にコスモポリタンにならざるを得なかったとしても、マーラーがその時代にコスモポリタンとそて生きたことはとても重要だ。クリムトやピカソなど、全ての芸術家がコスモポリタンであることを要求される時代を作ったとさえ言える。
20世紀初頭の芸術はすべからく民族性や国家、伝統というものを超越したところに立って始まっている。それは政治や民衆が民族主義や国家主義に染まってゆくのとは対照的に。
そういう視点で、デカダンに、コスモポリタニズム的にマーラーを聴くと、なんとなく見えてくるもの「も」ある。
(FB2012.9.7)
(FB2012.9.7)
2013年12月20日金曜日
David bowie / The next day (2013)
ファンの層が「やっぱりデヴィッドボウイはLPで聴きた
CDにアナログレコードがボーナスで付いてくるのではな
アナログレコードの方は、ロック/ポップのレコードにあ
昔の曲のリマスター愛聴盤とかじゃない、新譜です。
そんな贅沢仕様に負けない…というか、それを裏付けると
最初iTunesで購入したのですが、これはネットで一
だからこそ余計に重量盤の重みを有難く感じるのですが、
いい絵にいい額縁が必要なように、いい音楽にもいい額縁
それにしてもデヴィッドボウイほど年齢と共に音楽が熟成
「Hours」以降のボウイはほんとに大好きです。
こんなじじーになりたい!
Where are we now?
(ベーシストにトニーレビン)
http://youtu.be/
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