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2022年10月31日月曜日

個展への思い〜現時点でやれることはやった感謝の4週間

個展を見に来てくださったみなさん、ありがとうございます!

 2022年10月3日から30日まで約1ヶ月間という、自分史上最長の個展を体験しました。

ロングラン個展だと、作家は週に1度か2度在廊…というような持久戦で臨むようですが、僕は今回、全日程在廊を目指し、無事実現することができました。

おかげで多くの方々との出会い、交流はまたしても僕の宝となりました。

「アート」という敷居の高さを乗り越えて、電車やクルマで銀座に向かい、ギャラリーに足を運んで、サトチヒロの作品を見てくださったというのは、本当にもう「感謝」というような言葉では足りないほどにありがたいものでした。

個展のたびに身体がガタガタになりますが(笑)それでも個展というものは、何にも代えがたい珠玉のものです。



なぜ個展にこだわるのか?

僕は数年前まで出品していた公募展に出品することもやめ、アートストンギャラリーを除く企画展も殆ど参加しなくなりました。その代わり、個展をとにかくやれるだけやろうと決心したのが、コロナ禍の真っ只中、2020年のことでした。そして今年はとうとう、オール新作での個展が実現しました。

僕がなぜこれほどまで個展にこだわるのか?

改めてここに書いておきたいと思います。


1.アートは宇宙と宇宙を繋ぐコンセントである

まず、アートは自分にとっては僕の宇宙の自己表現であると同時に、社会あるいは見てくれるお客さんの宇宙、世界観とのコンセントと言えるものです。そこに到達するためにまずたくさんの方に見てもらいたいと思っています。それは一点や二点ではダメです。世界観そのものが、その場を支配している空間が重要なのです。制作している時点では無の境地でいる僕も、個展に出品する作品にはその世界観を大切にしています。


2.サトチヒロ作品をじっくりと味わい、時間をかけて向き合って欲しい

さらに一定時間足をとめて、そのアートと向き合ってもらいたいと思っています。じっくりと向き合うためには、ある程度閉ざされた落ち着いた空間が必要です。



3.サトチヒロ作品との対話、そしてインプレッションを語り合える

さらにその作品との対話を通じて、自己投影による解釈を加えてもらえたら嬉しいと思っています。その素晴らしいインプレッションを聞くためには、自分が常に在廊している必要があります。出会いや縁というのは不思議なものです。


4.サトチヒロ作品を購入することで活動資金をサポートして欲しい

アートは子ども同然の存在であると同時に、創作活動を支えるための資金を生み出す商品でもあるという矛盾を抱えながら「買ってほしい」と思っています。お客さんがその作品を「独占したい」と思ったとき、そして値段を見て、そのアートやアーティストに投資する価値があると判断した作品は買われていきます。そしてそれが部屋に飾られた時、アートオーナーだけに許された、長く知的で甘美な美への旅が始まるのです。それに値するものを絶えず生み出したいと思っています。個展はその大切な機会です。




5.サトチヒロ作品に触れる事で幸せになってほしい

あ、もし仮に購入できなくても後ろめたく感じることはありません。サトが作ったアートが、一人でも多くの方の人生にとって希望となったり、発想思考の転換のきっかけとなったり、幸福を提供できる存在であってほしいと願っています。そして他の人にもアートの素晴らしさや役目を広めてもらいたいと思っています。ギャラリーをそのための場にしたいし、年に一度のアートフェスはその一環です。さらにサトチヒロの個展もまたその場になりたいのです。


6.個展はアーティストと美意識を共有できる交流の原点である

お客さん一人ひとりと「アーティスト対客」という垣根を超え、人間と人間の親交や友情を深め、それをずっと継続したいという夢があります。それは僕を介さない、お客さん同士の交流も含めてです。美意識やアート思考を共有できる人は、必ず仲良くなれます。それが僕サトチヒロのアートを通じてなら、なんと素晴らしいことでしょう。僕の個展がその場になれるならこれ以上の喜びはないのです。


来年は、もっと皆さんが幸せになれるような、そんな個展を目指したいと思っています。

ご来場してくださった方々、ご購入くださった方々、そして応援を頂きながら残念ながらお越しいただけなかった方々も、心から御礼申し上げます。ありがとうございました。




2022年8月29日月曜日

アーティストはビジョナリーではあるけれど

 現代アートにおいては、アーティストのあり方の理想像はビジョナリーです。

ビジョナリーとは、先見の明、新しい価値観、世界観、変革を起こすビジョンを持つ人のことです。

それを視覚的な、あるいは聴覚的な作品に起こし、見る人(鑑賞者)に新しい視点の地平を提示できるということが、アーティストとしての理想のあり方でしょう。しかし、その理想は時として「見ただけ」では瞬時には理解できないことも多かったりします。

何故かというということは後述しますが、鑑賞者がアートを見て自分のものにするためには、何かしらのヒントや背景がどうしても必要なのです。

ですから、私は常日頃から、「作家は作品を説明できなければならない」といっています。

でも、この説明が決して得意ではない人もいます。

ビジョナリーを目指してアーティストになったわけではない人もいれば、また絵を描いているから、映像や立体を作っているからといってすなわち全てビジョナリーになれるとは限らないのです。当然です。

だから無理やりビジョナリーを目指したり、難しい理論を展開したりする必要はありません。

また、アートや技術を勉強すればビジョナリーになれるというものでもありません。技術の習得とビジョンとは全く別物です。全てのアーティストが到達しなければならないというものではないのです。

ただ、現代に生きているアーティストである限り、自作についての説明はできなくてはならないでしょう。やはり現代人は「説明」を求めているのです。

しかし、表現の説明は表現の説明で良いのです。

それをビジョナリーであらんがための説明とミックスしてしまうから、話がめんどくさくなります。

アーティストがビジョナリーであるためにはむしろ、アート以外についての遠い回り道の経験や学習が必要です。

視点、視野、価値観は異質なものに触れることで加速度的に広がり、新しいビジョンが見えてきます。一つや二つの価値観だけで生きているうちは見えてこないのです。

そういう回り道を無駄とか損と考えて、知識や理論武装による近道をしようとする人もいます。しかし私はビジョナリーに近道はないと思っています。また理論武装のテクニックを学ぶことは、デッサンを学ぶことと同じぐらい重要で、なおかつ突き詰める意味の薄いものです。

アーティストのなかにはそこに真剣になるあまりに、言葉や論理が難しくなりすぎる人もいます。その結果、意味のない作品に無理やり意味(のありそうな言葉)をつけてみたり、新しくないものを新しいと主張してみたりと、見る者聞く者に時間の浪費を強いて、より一層人々からアートを乖離させてしまう原因を作っているという側面もあります。なんとなくその辺が「作家説明」のベンチマークになってしまっているような気がします。

アートコンテクストにおける理論武装は確かに重要なことですが、それが独り歩きしてしまっているのでは、元も子もありません。

ビジョナリーによるビジョンとは、ビジョナリーの人生と多様な価値観が盛り込まれながらも常に隠されているものであり、なかなかすぐには判別判断できないものです。

それはやがてそれが社会の常識となってから客観的に分析されます。

それ以前に、アートとは、まずは見られて、触れられて、心や肌感覚で何かを感じてもらうことで完成します。

その何かを感じてもらうためには、アーティストの経験と深い考察が作品ににじみ出ていることがどうしても必要なのです。それは視覚から伝わる気です。それは一朝一夕では決して得られるものではないのです。

アーティストの説明責任とは、その気を伝える手助けに過ぎません。経験、視野と、その結果現れた画面の関連性についてを話すことであって、自己作品に評論家のような評論をつけることではないのです。

アートが必要以上に理論化してしまうのは、アーティストの責任ではありません。むしろ絵の描けない「専門家」が、なんでもかんでもアートを「言葉」に置き換えようとして、アートの無言語の世界に首を突っ込んできたおかげです。それと同じ共通言語をアーティストに強いているだけに過ぎません。

それに迎合して、美術史的視点から自作を無理やり説明しようとすることはやめたほうが良いでしょう。なぜなら歴史は歴史にとって不必要なものを淘汰するからです。歴史のジャッジは歴史が行います。


2022年5月10日火曜日

禍福は常に同居している

カウンセリングとかリーディングでは、抱えて来られる悩みや問題にいくつかの偏りがあります。それらを寄せ集めて煮詰めていくと「どうやったら自分は幸せになれるか」という一つのシンプルな問いに辿り着くことが多いです。

それでセッションのたびに「幸せになれますよ」「幸せになる権利がありますよ」と何度も繰り返していたことがありました。

しかしこの「幸せ」というのはやっかいな言葉で、具象化がとても難しい概念で、また主観によってどうにでも変化してしまう代物です。

「幸せになりたい」ということは、その方は幸福感を味わってないのでしょうか。話を聞いて行くと、どうもそうではないのです。

ただ、幸福感を上回る不幸感、不達成感が自分を襲う。それがあまりに強いために、他の幸福感がまるで消えてしまったかのように感じる。「これさえなければ…」「これさえ手に入れば自分は幸せなのに」と思ってしまう。

例えば仏教では、これを「執着」と呼びます。

執着の原因は「苦」です。

苦には様々な種類があり、それが起きる原因についてもさらに様々な分類がされています。説明が面倒なのでここでは省きますが、この「苦」は人間が生きている限り止むことはなく、常に我々につきまといます。どんな境遇で生きている人にも等しく必ずこの苦は存在します。しかし苦が生きている限り続くとは言っても、わたしたちは、常に流れの中に生き、とどまることはありませんから、幸せもまた去っていき、不幸もまた去っていきます。幸せの中にとどまることも、不幸せの中にとどまることも、誰もできません。

一度手にした幸せは誰しも手放したくないものです。この幸せの中に留まろうとする意識が「執着」なのです。この執着は幸福さえも「苦」にしてしまい、不幸感の原因となります。

また逆に、不幸せを手放したくないなどと思う人もいません。一刻も早くこの不幸感から脱したいと思うでしょう。でも実はこれもまた「執着」であり「苦」なのです。

どういうわけかわたしたちは、幸福はすぐに去っていき、逆に不幸からは永遠に抜け出せないのではないかという思いに駆られがちです。

そしてもうひとつ不幸感にとどまってしまうときの心の特徴があります。それは自分がすでに手にしているはずの幸福への感謝を忘れてしまっているという点です。(感謝についてはまた別の機会に書きます)

執着は幸福感を打ち消してしまう最も手強い敵です。そのなかでも一番やっかいなのは「これさえあれば」「これがなければ」「あの人に比べて自分は」という類のものです。

まあ、もっとも私達が普通に生きている限り、何かに執着するのは仕方ありません。

万物は流転していくものだという観点は大切でも、何もかも執着をなくしてしまうことはできないものです。

でも執着によって襲ってくる不幸感はとりのぞきたいものです。

執着を打ち消すのではなく、まず先に、今自分が抱えている別の「幸福」について考えてみることです。それから、なぜその執着が起きているのかについて考えるのです。

やがてその執着(不幸感)が実は今持つ幸福の上になり立っていることに気が付きます。

もしもその幸不幸に関連性を見つけることができるのなら、その執着は自分にとっての大切なエネルギーですから、打ち消したり捨て去ったりしなくてもいいのです。

「禍福は糾える縄のごとし」

(禍に因りて福となす。成敗の転がり、譬えれば糾纆(きゅうぼく…撚った縄)のごとし「因禍爲福 成敗之轉 譬若糾纆」by司馬遷)という言葉があります。

幸福と不幸は常に同居しています。

そして必ず時とともに流転します。

2020年1月23日木曜日

歴代クルマメモ(2)2000〜2020年




自分用の備忘録です。
自己所有、またはほぼ自分のクルマのように使用したクルマを、年代順に振り返っています。



Ford E250 (Coachmen VanCamper19feet)
(1975〜1991)
1990年式/キャンピングカー(クラスB)

アメリカを代表するバン。V8・5400cc・OHVは最高のV8サウンドを奏でながら3tの巨体を軽々と加速させてしまう。設計が1970年代と古い&嵩上げした屋根のせいで決して直進性や燃費が良いとは言えなかったが、これでのクルージングの時間は何物にも代えがたい貴重で快適な経験だった。欠点はブレーキ。ABSは付いているがそんなもの効かせた日には車内の中身が全部吹っ飛ぶ。そしてABSが効いても車体は一向に止まる気配がない。だから車間距離は目一杯、信号は歩行者信号が赤になったら止まる。古き良きアメ車。
車内やスペック詳細がこちらに書いてある。








シトロエンBX
5dハッチバック・1900cc

再びBX。なんだかんだ言ってても好きなのだ。ただしこのときのはヤフオクでリサイクル費用レベルで落とした代物。あちこち要修理で、足代わりと思ったが最終的にブレーキ周りがどうしても治らずに1年足らずで廃車に。古いハイドロシトロエンこそ「走ってるより治してる時間のほうが長い」代名詞みたいなクルマ。シトロエンに限らずフランス車は「わけのわからないトラブル」が多い。中途半端に古いフランス車はうかつに手を出さないが吉とこのとき悟る。新車でシトロエン乗っておいて本当に幸運だった。



スバルR2(2003〜2010)
5dハッチバック・4WD・スーパーチャージャー付き

久しぶりの新車。スバルが作った最後から2番目の軽乗用車。ビスカスカップリングによる常時4WDは、交差点などで若干外に押し出される感覚はあったが、スーパーチャージャーによるパワーの余裕と相まって、直進安定性や接地安定性は唸るほどに優秀。vivio、プレオ、R2、ステラまでのこの系譜は軽自動車の最高傑作の一つだと思う。スバルを知ったら他の軽には乗れないというのは本当だ。欠点は室内がやたらと狭いことと、なんと言っても価格。このSタイプは当時の1500ccスイフト・スポーツより40万円も高く軽界のポルシェ的存在だった。




スバルレガシィ(BP)(2003〜2009)2000cc
5dワゴン・4WD

新車が続く。ドイツ車的日本車。質実剛健、タフ、しなやか。所有していたのはBスポーツというSOHCのモデル。しかし試乗比較してDOHCやターボモデルより良いと判断して選んだ。それだけ扱いやすく乗りやすい隠れた名車。スバルというとSTIやターボモデルばかりがクローズアップされがちだが、実は下から数えたほうが早いどノーマルベース車種に光る良さがある。犬も家族も荷物も満載するワゴンには鋭い加速や硬い足回りよりもタフで安い維持費が重要。タイヤのサイズも小さめがいい。それでいて安普請でないこと。そこをしっかりと守ったレオーネの系譜。どうしても一台で済ませなくてはならないとしたら、今でもこのBPレガシィを選ぶだろう。今度はできればアウトバック3.0Rに乗ってみたい。自然吸気水平対向6気筒。



アルファロメオ147(2000〜2010)
5dハッチバック・2000cc・ツインスパーク・セレスピード

久しぶりのAlfa Romeo。2004年式新古。ツインスパークはアルミブロックから鋳鉄ブロックとなり、タイミングベルトに変わったが、75時代よりずっと洗練されてパワーも上がりスムーズなエンジンとなった。
この時代のアルファには「セレスピード」という、マニュアルミッションのシフトとクラッチワークをコンピュータと油圧が自動で担うセミATが付いている。セレスピードは初めて体験したときはその気持ちよさに素直に感動したものだった。正直、今でもこのぐらいのクラスのクルマならDCT(Dual Clutch Transmission)である必要は全くないと思う。足回りも素晴らしい。鼻先もスッと内側に向き、アクセルオンでまるでFRのように曲がれる。もちろんアクセルオフでFFならではの挙動も引き出せる。自分の運転が3割うまくなったように勘違いできる。ただし直線は遅い。しかし何より大事なことは「壊れないアルファ」なのだ。ドイツ車のように10年は(オイルのまめなチェックとタイミングベルトの定期交換以外は)ほぼノーメンテで乗れる。手放しで褒めちぎる事のできる数少ないクルマだと思う。欠点は歴代アルファ共通の絶望的後方視界と、極端に前輪タイヤの寿命が短い事ぐらいだろうか。もちろんセレスピード特有の問題もあるがそれはそれ。
MTでもセレスピードでも買って間違いはない。文句なしに歴代の中でもっともアルファらしいアルファの一つだと断言できる。願わくばあと100kg軽ければ言うことなし。発進と直線だけ働く過給器が欲しいと思ったこと数知れず。


BMW528i (E39)(1996〜2003)
528i・4dセダン・2800cc

E39型の前期モデルで手に入れたとき既に18年落ち、古さ記録更新。乗る前はBMWなど一生縁がないだろうと思っていた。147に比べたら全てが重く、よっこらしょという感じ。ところが3000rpmを超えるとこのエンジン(M52直列6気筒DOHC2800cc)は別の生き物になる。4000rpmでその咆哮とパワーはピークを迎えるが、6000rpmまでまるで衰えることを知らずグイグイと1.7tの車体を押しまくる。コレコレ147に足りなかったのはコレだよ。そしてどこまで行っても大地を離さない足回り。直線番長だが高速巡航ツアラーとしてはほぼ完璧。BMWのデザインは古ければ古いほど良い。でも普段使いをしながら古さと戦うにはこのE39か、一つ前のE34が限界な気もする。このあたりのBMWには美点が欠点を補ってあまりある。ドアの閉まり方、ステアリングの適度な重さ、鉄でできたボディ、太すぎず細すぎず小さすぎない適度なタイヤサイズ、機械仕掛けの操作系、威圧しない外観。節度と知性を持った古き良きドイツ車の最後はメルセデスならW124、BMWならE39で間違いない。特にE39はメルセデスのような安心はして乗っていられるがクルマに乗せられている感ではなく、ドライバー自らの意思でクルマを操っている感覚が強く、運転がとても楽しい。

とはいってもそのへんのワインディングをちょこまかと運転するクルマではなく、ゆったりと、しかし決して低くない速度でコントロールしながらクルージングして初めて真価が出るクルマ。同時期のセルシオなどと比べれば随分と賑やかなエンジン音はするけれど、それも悪くない。そして外界との遮音は素晴らしい。
欠点はドイツ車全部に言える事だがプラスチックとゴム、そして窓落ち。それでもこの個体は20年経っても割としっかりとしてくれている。また後期型に比べて前期型は少しだけDIYerに優しい。水回りには若干苦労させられているが。



スバル・サンバー(KS3)(1990〜1999)
軽ピックアップトラック・660cc・2WD

更に記録更新の22年落ち。リヤエンジンリヤドライブ、マニュアルミッションのピックアップトラックは世界でもサンバー(スバル製)のみ。1995年式のこれはほぼ最後のキャブ仕様。それはいいんだけどチョークが自動チョークで若干扱いづらい。チョークは手動に限る。そのうち手動チョークに改造したいと思っている。
レンタカーなどで軽トラは全メーカー運転したことがある。スバル・サンバーは少なくとも2005年ぐらいまでは文句なしに全メーカーの中で最も優れた軽トラだった。頑丈さやメンテ性だけでなく、なんと言っても走行安定性とエンジンの耐久性は他社より10年は進んでいる。劣るのは燃費と乗り心地。これで相当損をしながら、スバルは軽トラから撤退した。それでも50kgぐらいの荷物を積んで走ると乗り心地がしっとりと落ち着いて上質な乗り心地になる。荷物を積むために入手したのに、近所のあぜ道ドライブを楽しむために走ることの方が多い。
4輪独立懸架の軽トラなんてこの先二度と現れないだろう。それだけで宝物。




日産エルグランド(E51)(2002〜2010)
ミニバン・3500cc・4WD

ミニバンなど一生乗るまいと思っていたが、荷物運び等にどうしても軽トラだけでは対処できなくなり、ミニバンの購入を検討し始めた。最後まで候補に残ったのは、メルセデスVクラス、ダッジ・ラムバン、クライスラー・グランドボイジャー、そして日産の2代目エルグランド。
その中でもっとも入手も維持費も安く、都内のPに停められるサイズでの積載量、そしてシートアレンジの自由さでエルグランドになった。
3.5LDOHCV6エンジンはVQ35型という名機。ミニバンのくせにショートストロークで立ち上がりが非常に鋭く、本気で踏めばかなり速い。シャシや足回りが付いていかないのでそんなには飛ばせないが。
そう、このエンジンはちょっとミニバンにはアンバランスなほどシャープなのだ。そのくせ高回転が気持ちいいかというと、さほどでもない。

ただ、FORDのときも感じたことだがバンやミニバンにシャシに勝つエンジンを載せるというのは正しい選択だと僕はいつも思う。もちろん安全に走るためには常に自制心と共になくてはならないが、自然吸気の大排気量マルチシリンダーエンジンのクルージングの余裕は何にも代えがたい。
いくら燃費がよくてターボが付いてたり必要十分だからといって2000ccそこそこのディーゼルをガーガー言わせて登坂車線を走るのは本当に疲れるのだ。

エルグランドは当時の日本のミニバンの中ではまあまあ走行安定性は良い。ただし4WDに限る。2WDは全然ダメ。それでも同時期のアルファードよりはマシ。エルグランドは4WDモードになるとBMW並……とまではいかないものの、割と優れた直進性を常用域(80〜110km/h)で発揮できる。ミニバンはFRである必要は全然ないが、4WDで良かったと思うことは多い。ホンダオデッセイ(FF)の方がエルグランドの4WDより好ましいが、そもそも性格の違うクルマで一概には比べられないし積載量も違う。
このE51型エルグランドの難点は、これは日産車全般に言えることだけど、いつもあちこちからガタピシ安い音がすること。トヨタのモーモー耳に綿を詰めたような防音も嫌だが、エルグランドの薄っぺらい鉄板のドラミングもなんとかならないのか。
と、なんだかんだ言っても2019年もっとも稼働率が高いクルマとなった。



アルファロメオ147(2000〜2010)
5dハッチバック・2000cc・ツインスパーク・マニュアルミッション

そして再びアルファ147。今度は後期型MT(マニュアルミッション)。忘れ物を取りに戻った。
これについてはまた別の機会に。

2020年1月19日日曜日

歴代クルマメモ(1)1980〜1990年代

自分用の備忘録です。
自己所有、またはほぼ自分のクルマのように使用したクルマを、年代順に振り返ってみます。



トヨタスプリンター(E40)(1974〜1979)
1400cc/4dセダン
カローラとスプリンターは販売チャンネルの違う兄弟車。1200ccから1800ccまでバリエーションが広かった。1400ccとしては出足は良かったが、当時運転経験の浅かった自分でも「出来の悪い足」なことがよくわかる前時代的トヨタ車。法定速度域でもとにかくアンダーが出まくっていた。フロントグリルのデザインは嫌いじゃなかった。




いすゞジェミニ(1974〜1988)
1800ccディーゼル(PFD60)/4dセダン
当時父が所有していたクルマだが、実家に帰省するとほぼ自分が独占していた。
ドイツのオペル・カデットと同型のクルマで、製造期間を見れば分かるが、上のスプリンターとほぼ同じ時代のクルマ。ところがこっちは本当に足回りやボディ剛性が優れており比べ物にならない…どころか、1987年当時のE7カローラと比べても良いクルマだった。いすゞは経営難のためにモデルチェンジできず14年間も作り続けたと言われているが、そもそもモデルチェンジする必要がないほど完成されていた。ただし室内は狭い。
フローリアンと並んで日本初の乗用ディーゼル車だがとにかく遅かった。それと防錆が今一つ。もっとも当時の日本車はどこも一緒で4年もすればボディ下が錆で膨らむ時代。ドアの閉まる音は最高。ほぼドイツ車のそれ。


日産ブルーバード(910)(1979〜1983)
1600cc/4dセダン

スプリンターが壊れたので、急遽10年落ちの1600ccGLという下から数えて2番目ぐらいのグレードを人から譲ってもらった。当時の日産は同じ車名なのにエンジンはおろかサスペンションも全長も全く違うクルマを結構作っていた。SSSは全く別物。
しかし1600ccも決して悪いクルマではなく、ボディ剛性はないものの頑丈で全体のバランスはよく素性の良いクルマだった。特にタイヤをインチアップ&ワンサイズ太めにすると全く別のクルマに変貌したのを覚えている。MTは4速だったけどシフトフィールは最高。
日産車はこの頃から他社より一歩先に防錆技術が進んでいたように思う。
1年ほど乗りっぱなしで酷使したが、エアコンがあってエンジンにもう少し力があれば、飽きずに乗ったかもしれない。排ガス規制過渡期真っ只中の実用エンジンはとにかく出足が遅く、交差点のたびに忙しかったのを今でも覚えている。


フォルクスワーゲン・ゴルフII(1983〜1992)
1989年式1800cc/5dハッチバック

初めての新車。初めてのFF、初めての外車、初めてのエアコン……。ゴルフIIに関しては書くことが多すぎて書ききれないので、他の人があまり触れてない点をいくつか。
ものすごく煩くて振動酷くてアイドリングできないエンジン音、世界一疲れないシート、当時としては例外的にアップライトな運転姿勢、広大な荷室、絶対に破綻しない足回り、驚異的に効くヒーター。醜すぎるエンジンルーム。道具として最高。
愛すべきゴルフ。



ユーノス・ロードスター(1989〜1997)
1600cc2dオープン
この頃から日本車はどんどん良くなっていった。ロードスターはその中にあって珠玉だった。クイックなステアリング、軽い車体、地を這うような視点…プラス、屋根がないというだけでこんなに世界が違う。いろんなところに行った。そして首の寒いクルマだった。シベリアンハスキーを助手席に乗せて乗り回した。人は一生に一度はロードスターに乗るべき。




シトロエンBXブレーク
5dワゴン・1900cc
いいところはとにかくシートとサスペンション。そして広く明るい室内。あとは動けばよい。性能は凡庸で、常に当て舵を当てないと右に右に振れていくおかしなクルマだった(もちろん新車)。GSやDS時代ほどではないにしても、とにかく「変わってる」という部分はまだ残っていた最後のシトロエン。当時のフランス車にはドイツ車や日本車にはない華と明るさが確かにあった。コレとともにシトロエンXMも結構長く乗ったが、共通するのは、乗り心地は最高だが価格の割に装備や内装がとにかくチープ。そして当時のフランス車に共通する問題としてATのシフトタイミングの不味さがあった。日本の道にはとにかく合わない。今乗るならマニュアル。


フォルクスワーゲン・ゴルフII(1983〜1992)
1800cc/5dハッチバック/Ci白
ゴルフIIは実はもう一台乗っている。先のゴルフを手放してしばらく後、改めて中古のゴルフを探したら、より古いゴルフが随分高い価格で出ていた。
さぞ良い出物であろうと買うと、真っ直ぐ走らないわ窓は落ちるわで散々な買い物だった。昔は中古車が高かったなー。
もっともこのクルマは本当に仕事に大活躍してくれて、ずいぶん遠くのクライアントにも苦なく移動できた。シベリアンハスキーもいつも一緒だったので後部座席は毛だらけ。ヤナセ目黒店とのお貴族様(に混じってゴルフを入庫する平民)な背伸びしきったお付き合いも良い思い出。



アルファロメオgtv(116系)(1974〜1983)
1982年式2000cc/3dクーペ/赤
僕はいつかアルファに乗る。そう決めて7年、やっと念願のアルファにたどり着いた。ゴルフよさらば。

自分史上最高で最低なクルマ。
何が最高かというと、走っているときのエンジンの歌う歌(歌って言っちゃってる)と、コーナリング。
最低は、数え切れない。
エアコンない、シンクロない、ギア入んない、ギア壊れる、部品ない、錆びてる、なんかあちこちボロい、エンジン止まる、ガソリン臭い、等速ジョイントすぐダメになる……。
でも最高だった。ダブルクラッチを覚えた、4輪ドリフトなるものを覚えた、コーナリングのイロハから挙動の限界を知って運転することの大切さを知った、維持するために自分で整備することを覚えた、キャブをばらせるようになった……。

僕のクルマ観、世界観はこのクルマで変わった。
gtvはつまるところ「アルフェッタ」116系だが、機構的には熟成され非常に凝った作りになっていて、トランスアクスル、インボードディスクブレーキ、50:50の重量配分など、75の時代になっても継承されるかなり革新的技術が散りばめられている。足回りにしても例えばパワースライドにしてもドリフトにしても積極的に誘発させない限りは破綻を起こすことはほとんどなく極端に安定して曲がる。さらにその限界を超えてもコントローラブルで、意のままにクルマを立て直すことができる。これは50:50だからできるということだけでなく、トーションバーやド・ディオンアクスルなど単純で枯れた技術を高度に煮詰め、エンジンとショックだけ替えてそのままレーシングカーとして走らせることさえできてしまうほどポテンシャルを上げてしまった結果でもある。



アルファロメオ75TS(1985〜1992)
2000cc/4dセダン
何をトチ狂ったか、あんなに気に入っていたgtvを売り払って75TSに乗り換えてしまった。gtvに乗っていた頃はあんなに75に憧れ恋い焦がれたのに、gtvを手放したらとてつもない後悔に悩まされ、僕はしばらく浮上できなかった。
僕はこのとき教訓を得た。アルファを買うときは、買い替えではなく増車だ。と。
このクルマ、かなり長く(5年ぐらい)乗ったにもかかわらず、僕の思い出は灰色なのだ。だから写真もモノクロのを拾った。(自分の75の写真は殆ど撮ってない)

クルマそのものは、これも素晴らしいクルマではある。しかしアルフェッタほどの軽快さや安定性は失っている。75が出たのはアルファロメオが元気のない時代、FIATに買われて浮上しようとしている頃で、この75のTSエンジンもまだ元気がなかったように思う。いわゆる「アルファオリジナルのタイミングチェーン式DOHCで最後のアルミブロック」のツインスパークなんだけど、155や147ほどまだ煮詰められてなくてアルファにしてはちょっとピーキーなところがある。あれほどgtvでは軽快だったハンドリングもなんとなく鼻先の入りにくいおもったるい印象。なので「どこまでいっても破綻しない」というような往年の美点は失われ結構簡単にどアンダーは出る。どアンダーが出たからと言って怖がってアクセルを戻したり逆に踏み込むと、どオーバーになってくるりと回ろうとする。要するにタイヤサイズが合ってない。そして同じ50:50でも重心が真ん中に寄った50:50と両端に重りをのっけてバランスを取る50:50では挙動が全く違う。gtvは前者、75は後者。

そして何より夏の熱ダレがひどかった。熱ダレはgtvもけっこうあったがツインスパークのはひどい。
指摘する人が少ないが、アルミ製ツインスパークの熱ダレは歴代アルファの致命的な弱点で、峠やサーキットでぶん回すなら日本では絶対にオイルクーラーが要る。155や147や156がアルミブロックをやめて鋳鉄ブロックになったのは、退化ではなく進化だと僕は思っている。
……なんか…いいところが出てこないな。
いや、いいところもたくさんある。高速巡航性能はかなり良い。「GT」のお手本。シートも疲れにくくてドイツ車とはまた違う意味で良い。

そして何より「アルファが錆びなくなった、壊れなくなった」時代の最初でもあった。これはけっこう大事なこと。これがあったからこそ156〜147の成功がある。苦難のALFA-LANCIA時代。
まあなんていうか、ファミリーカーとしてトータルでちゃんとしていた。ちゃんとしてたからこそ当時の僕にしては異例の5年という長い期間乗れた。それでもgtvを売ってしまった事をずっと後悔している。
でね、75はね、他人が乗ってるのを見るのがいい。疾走している75は建築的で目が覚めるほど美しい。




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