2014年4月28日月曜日

ネリ逝く

昨夜、14年間一緒に暮らした犬(黒ラブラドール牝「ネリ」)が旅立ちました。
人間の年齢にしてみれば90歳以上ですから、大往生です。


一週間ほど前から寝たきりとなり、ここ数日は意識不明、水も飲めない状態に。

夕方、外出から帰り試しに水を口元に近付けると、飲もうとしてようやく舌を出して、二口だけ飲みました。

その後、手足を大きく伸ばして深く息を吸い、やがて呼吸が止まりました。
本当に穏やかな自然死でした。

前の犬は苦しみが酷くて安楽死せざるを得ない状況で、悲しみが長く深すぎましたが、今回は納得の行く形で看取ることができて、少しだけ良かったです。

「虹の橋」という愛犬家の間では昔から有名な詩があります。

ex.) http://www.pet.ai/nijinohashi.aspx

飼った経験がないとなかなかペットロスの感情というのは想像し難いものですが
愛犬が死を迎えると、なぜか本当にそうだなあと思います。
「死」というより、なんか、どこかで駆け回っているような気がするのです。
息が絶えた時、悲しいとかそういう感情よりも先に出てくるものがあるのです。
ペットロスなんて後からじわじわ来るもの。

前の犬(シベリアンハスキー牡)は数ヶ月も魂が近くをうろうろしてる感覚がありました。
そういえばあいつが逝ったのも4月だったなあ。

http://chihirosatow.com/gorby_f/0024.html

2014年4月25日金曜日

Three Form part1


希望の霊感(Three Form part1)
(2013/7)
サイズ・マテリアル:333x220P4/ Oil on Canvas


Chihiro Satow


初夏のような涼やかで淡い空気の中、三本のラインが上に向かって伸びています。
それぞれ、「氣」「霊感」「静寂」を表しています。

左側は氣です。
氣は、私たちの現在を整え、望みや未来に繋がる精神や物理的健康の土台になるもっとも大切なものです。
それは常に理想的な状態を保てるとは言えないが、周りの環境に左右されながらもそのベクトルは常に天上を目指して延びていることが大切です。時に曲がったとしても汚れたとしても芯は強く光を保ち、盾となって自己を支え、揺るがないのです。

右側は静寂です。
静寂は流れるように寄り添います。
その存在は私たちの未来に思いを馳せる時にはなくてはならないものです。
それは目立たず淡い存在でありながら私たちの氣が整うようにいつも側にいてくれるのです。

中央は霊感です。
霊感は条件が整った時に、私たちの進むべき道、望み、大切なものへのヒントを自ずから指し示してくれます。
それは私たち全員に備わったもっとも愛すべき力です。
それは時に強く、時におぼろげに、しかしまっすぐに天上を目指して立ち昇っています。

3つは常に寄り添い、しかし渾然一体となることなく、いつも私たちのビジョンの中にいて私たちを支え、望む未来、輝かしい栄光への道標となってくれているのです。

※)
禅画のようなシンプルで淡い構成
遠い子供の頃の記憶。庭の垣根にあたる陽光。先入観のない無垢の心。
これから始まる新しい出会い、驚き、感動の予感。



Three Form part1


Three Form part1
(2013/7)

Chihiro Satow
Oil on Canvas P4

2014年4月20日日曜日

直観と祈りのとりとめないこと

3月中旬ぐらいから徐々に始まっていた「シャマンモード」が3日ぐらい前からピークのようです。

シャマンモードというのは、自分で勝手に名づけている精神の状態のことで、子供の頃からの不思議な能力が開花するサイクルなのです。軽いのは多い時で1ヶ月に一度、重たいのは半年に一度はやってきます。

普段もそうですが、シャマンモードの時は、人と話していて、その人の未来が漠然と見えたり、直観が鋭くなって(「直感」ではなく「直観」と呼んだほうがピンと来るのでそう書きます)分かる事が多く、そして何よりはっきりしてきます。

その代わりすぐに瞑想状態になるので、無口になったり社会性が極端に落ちたりやたら眠くなったりと、一見精神疾患ではないかと思うようなところもあります。
でもうつやナルコレプシーではないのです。

一人でいて瞑想状態にある時、至福の瞬間があります。仏教でいうところのニルヴァーナの状態です。
天とも神ともつかない心に響く大きな智慧の存在が自分を支配し、自己が消えます。そしていろんなことが瞬時に見通せるようになります。
もちろんそれは自分が普段から焦点を当てているものだけですが、氣を発するものについてなら結構向こうから飛び込んで来る事もあります。それで「分かる」のです。

要するに感性がやたらと鋭くなってしまうのです。それで本能的に不活発な状態になるのだと考えています。こういう時に変な氣に触れるととっても疲れます。

今回は不思議とそれが軽くて済んでいるようで、まあ、だからこうしてブログを書いていられるのですが、社会性はそれほどスポイルされずに済んでいます。


思考の癖と直観との関係は面白いもので、何か一つか二つのことについて興味を持ち始めたり焦点を絞って考え始めたりすると、数ヶ月間、そのことで頭の中がいっぱいになります。
そうして起きている間じゅうそのことだけを考えているうちに、ある時突然全てのことが直観的に分かり見える瞬間があります。
その直後ぐらいから急激に他の事象にもその直観が及んで、シャマンモードに突入します。

シャマンモードの時は祈りの力も強くなります。
それは自我や私欲が薄れるからです。


祈りは自我や我欲と相性があまりよくありません。
他利的で多欲的であればあるほどその祈りは強くなります。

しかしそれでいて、愛も必要なのです。
この辺は言葉で説明するのがとても難しいです。

「突き放して祈る」とか「手放して祈る」とか表現します。

それが成就する事について自分を勘定に入れずに祈るのです。

直観もそうです。
自分を勘定に入れずに何かを見る時、それは実に的確な像を結びます。

本来は誰にでもできることです。

2014年4月12日土曜日

パイプの本

左)ダンヒルだばこ紳士(The gentle art of smoking)
アルフレッドダンヒル著、團伊玖磨訳(1967)右)パイプ大全(第三版)日本パイプクラブ連盟編   

初めてパイプを吸ったのは学生の時。その頃は本当に吸い方を知らず、教科書もなく、一吸い毎にライターでパイプを焦がし、挙句、舌焼けばかりしていました。
そんな極東の片田舎の若造に当然パイプなど似合うべくもなく、周囲からは奇異の目、強い匂いは迷惑以外の何物でもなく、いつしか紙巻に戻ってしまっていました。

それからもしばらくは断続的にはパイプをやっていましたが、完全な禁煙とともにすっかり遠ざかっていました。

写真左側の本は、僕がアルファロメオと共に最も敬愛するドライバーズファッションブランドDunhillの二代目総裁アルフレッドダンヒルが、パイプ研究家、パイプ&タバコ業者としての知識を総動員して書き、日本を代表する作曲家の一人で、熱烈なパイプ愛好家でもあった團伊玖磨がイギリス留学中に出会い訳した輝かしいパイプのバイブルです。

絶版となって久しく、残念ながら今は手に入りません。1967年の初版本で後年古本屋で買い求めたものです。
イギリス人らしい深い考察と研究に基づいておりとても味わい深い本です。

右は最近買った日本パイプクラブ連盟のパイプ大全です。
内容的にはダンヒルの著書の方が深いですが、版を重ねる毎に内容が新しく更新されておりこれ一冊でパイプのことはほぼ分かるようになっています。

15年間の禁煙を破り、思うところあって喫煙を再開するにあたり、最終的にパイプを選び、一から勉強しなおすつもりでこの2冊だけは繰り返し読んでいます。

2014年4月10日木曜日

147復活



147復活。当初の見積もりは、アクチュエータ交換、アキュムレータ交換で約40万。
紆余曲折あって最終的にアキュムレータ交換のみ。
4.8万で取り敢えずは走れるように。

もう少し頑張ってAlfa。

2014年4月5日土曜日

ムスカリ

辺り一面にムスカリの花が咲いていました。
一面は描けないので、一つ摘んで。
焼き鳥屋のおばあちゃんが、明日はまた寒くなると言ってました。