2017年7月7日金曜日

抹茶にテアニン

とにかくコーヒー好きですが、夜にコーヒー飲んじゃうとしばしばオールになりがち。

で、最近の夜は
ちょくちょく僕が勝手にイイネを押してるFBの友達の
良い茶碗と抹茶と菓子による「夜の締め」に影響されたわけでもないのですが
(いや少しくはある)
母の茶道具を横取りして、抹茶を飲んでます。



が、
これが昼飲んでも夜飲んでも眠くて眠くてしょうがない。

長年薄々感じてはいたのですが、ずっと気のせいだと思ってました。
でも毎日飲むようになって、こりゃ気のせいなんかではない
今日という日こそはとググってみますと、あった。

「テアニン」

元々カフェインに強い僕には、抹茶のカフェインなど子供だまし。
このテアニンが作用して眠くて眠くて仕方なくなるのですね。

昼間飲んだらとにかく仕事にならない。
で、この時間です。



茶碗も茶匙にも銘などはございません。
あ、茶碗は敢えて言うなら

「古納豆」

20年ほど前、納豆作りに凝ってた時期がありまして、益子の陶器市をぶらついていた折に見つけ「こりゃ納豆わんにちょうどいいわい」と思い求めて以来の品でございます。

2017年7月4日火曜日

和紙の実験



予てからやってみたかった実験というかいたずら。

元来の持ちネタの、デジタルに立ち返ってみようコーナー。
和紙にデジタルプリントする。

以前ジクレーを依頼した業者への印象があんまり良くなく
&
先達から「ジクレー、10年ぐらいで色褪せるね」という意見も聞き及び
いやそれは困る、もっとしっかりしたものを自分で出来ないものかと。

出来合いのプリンタ用和紙も試してみましたが
均質なクオリティを目指した紙はなんとなく嘘っぽい。

やっぱりちゃんと楮紙にドーサを引いて、顔料インクがいい。

にじみや発色のムラを積極的に利用して
それに見合った絵を描いて
カラーマネジメントを上手くやれれば、かなり良い感じに。

反面、紙ケバの量がすごく、プリンタヘッドやローラー寿命は確実に縮まる。
コストパフォーマンスはジクレー以下かも。

手間ひまもとてもかかり、一筋縄ではいかない。
これも立派な版画だと確信。

追求しがいのあるテーマが一つ増えました。

CGにも、AIにも、写真にもできないこと

写真をまるっと写した絵はすぐ分かる。
パース、解像度、色、陰影、全てがカメラのレンズの特性そのまま。

あ、これはスマホのカメラだなあとか、望遠で撮ったなあ、接写レンズだなあ、広角だなあとか、すぐに分かる。

写真では表現できないことが描かれてない。
写真じゃないと表現できないことが描かれている。

この不自然さ。

デッサンの勉強や、資料として使うならまだしも
作品としてまるまる写して何が面白いんだろう。

写真でないと表現できないことは、写真で表現すればいい。

写真のような絵が問題なのではない。
写真が逆立ちしてもなし得ない表現の写実画は世界中に溢れている。

だがそれらは写真を描いてはいない。
写真にできない、人の目と心で見た世界を表現している。

写真は写真、絵は絵と言いながら
写真をそのまんま手作業で写し取って、作品としてしまうことが大問題。

そんな誰でもできるようなことをやって、上手い下手を言うのは
写真の軍門に下って、手描きによる芸術を否定しているのと同じこと。

ヘタでも突拍子もなくてもいいから
CGにも、AIにも、写真にもできないことを目指してこそ。
目で見た現実と、経験による創作と、魂で見た心象が乗っかってこそ。