2009年6月10日水曜日

目覚めの喜びが強過ぎる時は気をつけて下さい

あなたが初めて気付きを得た時は 
目覚めの喜びでいっぱいでしょう。 
それは良いことですが 
でも、もしもハイなのであれば 
気をつけて下さい。 

あなた自身の事ばかり話したくなるような状態なら 
気をつけて下さい。 

叫びたくなる様な衝動にかられているのなら 
気をつけて下さい。 

その強過ぎる喜びは、毒にもなるのです。 
あなたのその目覚めは、まだ 
覚え立てのセックスのごとく、抑制や思いやりのきかないものです。 
入り口で感じているだけかもしれません。 


あなたにとって本当の目覚めとは 
緩くて、あなたの気が誰にも影響を与えないもの 
気づいていることがまるで見えてないように見えるもの 


あなたが研ぎすまされてハイなときに 
見えたり聞こえたりしているものに実体はありません。 

それはすぐに見えなくなります。 
そして、その時初めて 
そこから、あなたの本当の、目覚めが始まるのです。 

といっても、今の状況がいけないという事ではありません。 
それは味わうのに十分価値のあるものです。 
長くて1年 

感動や喜びが一段落したら、どうぞまた来て下さい。 

2009年4月22日水曜日

前世から続くカルマというものはない

セッションの際によく尋ねられるのが「前世(生前)から受け継いだカルマはあるのですか?」という質問です。
それは、ありません。前世にあなたが起こした事が原因で、現世で償わなければならないこととか、やり返されなければならないという様な事は一切生じないのです。
カルマとは気のエネルギーです。現世で生じ、現世で還元してゆきます。エネルギー保存の法則とよく似ています。物質世界のそれと少しだ け違うのは、波動や気といった、物質のエネルギー量に換算できないものの変換としてカルマが保存されるという点です。しかしそれらはあなたの魂にいつまで も引き継がれるものではありません。物質のエネルギーがいつまでも一カ所にとどまっていることができないのと同じ様に。
カルマには心地良いものも心地よくないものもあります。
心地よいのは正のカルマ、つまり愛、優しさ、同情、共感、包容、許容、敬意、栄誉、協力といったものです。これらのカルマは発した方も受けた方も、心地よく、そしてさらにそのエネルギーを倍加して他に与えることができます。
逆に心地よくないものもあります。負のカルマ、つまり怒り、悲しみ、嫉妬、ひがみ、恨み、批判、強制、脅し、罵り、暴力、無視といったようなものです。こ れらは、発した方も受けた方も深く傷ついてしまいます。万が一そのようなエネルギーを受けてしまうようなら、違うものに転換して解消してしまう必要があり ます。
カルマは受けると必ずそれをそのままの形で他にバトンのように受け渡すか、違うものに変換して発信するかすることになります。そうでなければ自分の中に取り込み、人格の一部として形成することになります。それらは一生が終わる時に地に帰ります。
他の人に転換してしまった時には、それは回り回ってまたあなたにも帰ってきます。
だからもしも受けたくないカルマなのであれば、それを不用意に他の人には転換できないのです。仏教でいうところの「因果応報」です。
不思議なのは、それらのカルマはその空間や地に対しても残るという事です。多くの人が「霊」といって恐れているものの多くは、カルマのエネルギーがそこに残り停滞している状態です。他の人はそれを空間記憶と呼んだりもします。
正のカルマは慈愛と平和を呼び、喜びに満ちた世界を作り出します。
逆に負のカルマは争いや憎しみを呼んでしまうかもしれません。
そこに善悪はありませんが、負のカルマは受けすぎることは辛いことです。
私たちはもし負のカルマを受けてしまったとしても、自分で溜め込んだり他の人に転換させることなく、自分で捨て去ることができます。た だ、それをするためには厳しい修行を経なければならないかもしれません。ブッダが一生をかけて解明し、人々に伝えた事の多くもまた、このカルマの上手な解 消をして、心穏やかに生きることでした。
イエスキリストは、人々が抱え込んでどうすることもできない状態に陥っていた負のカルマを、全て自分で背負って死ぬ事で、それを解消してくれた人と言えるかもしれません。
しかしお釈迦様もキリストも信仰しなかったとしても、あるいは厳しい修行をしなかったとしても、あなたはそのカルマを解消することができます。
例えば私のように、ある程度カルマの解消の方法を身につけた存在を見つけてそれを話し、解放してしまうこと、カルマを託してしまうという事もひとつの方法です。
私は多くの立派な聖者の方には及ばないかもしれませんが、あなたのカルマを受け、それを地に帰して浄化する方法は身につけています。
あなたは前世から引きずる負の遺産もなければ、覚えてもいない因果応報を持って生まれて来た事もありません。あなたにあるのは、今この一生の間に行う様に神様から課せられた「幸せになり、幸せにする」という義務だけなのです。
(2009/04/22)

2008年9月5日金曜日

幸せの仕組み(愛と問題解決)

幸せとは、愛に裏付けされた問題解決の瞬間です。

人は常に問題を抱え、それを解決しながら生きます。
あなたも常に問題を抱えています。
問題を抱えていない人間はこの世に一人もなく、
全く問題を抱えていない状態の人もまた、この世に一人として存在しません。
一つの問題を解決しても、またすぐに違う問題が起きます。
多くの人は、現実の問題を解決できずに、心に問題を抱えています。
しかし、本当は、解決できない問題が、あなたに課せられる事は、絶対にありません。
全ては解決できる問題なのです。

その問題が解決し、愛があり、愛をやりとりする事で、人は幸福感を味わいます。
愛は問題を解決するためのエネルギーでもあり、問題を解決する時に
幸福感を味わうための必須の条件でもあります。
愛なしで解決できる問題はなく
仮にあなたが愛なしで解決できると思った問題は
たとえ解決できたとしても、幸福感を伴うことはありません。

あなたは誰かを愛して生きています。
誰か(あるいは何か)を愛さずに生きられる人は一人もなく
誰にも(何にも)愛されずに生きられる人も一人もいません。
愛が足りなくなることで起きる、心の問題、現実の問題、病気はたくさんあります。
どんなに目の前の問題を解決できても、それが愛のないものであるなら
あなたは幸せになることはありません。
あなたが幸せになるということは、少なくともあなたが愛する人
あるいはもう少し広い範囲の人もまた、同じように問題を解決することができ、
愛のやりとりをしたという実感が伴う事でもあります。

家族や男女の愛だけでなく、例えば睡眠という行為もまた、愛を受けるための行為です。
睡眠によって人は自然、あるいは神からの愛を受けます。


(2008/09/05)