2012年11月14日水曜日

Bartok/The Muraculous Mandarin / Boulez & NYP(1971)



過去一度だけ僕はこの「マンダリン」を抜粋で聴いたことがあります。本当に不気味で訳が分からないという印象しかなく、久しく忘れてました。
この音楽は本来パントマイムと合わせて上演されるのですが、作曲された当時も内容があまりに不健康過ぎて初演が1日で打ち切り、バルトークの生前は全く顧みられなかったそうです。

その内容とは…



3人の男に売春を強要されている少女。窓の外を通りかかる人たちを誘っている。少女は中国の宦官風の不気味な男を誘惑してしまう。不気味すぎるために少女は彼から逃げ惑う。隠れていた男達はこの宦官を殺しにかかる。が、殴ってもナイフでメッタ刺しにしても死なず、宦官は少女に挑みかかろうとする。あまりに死なないので宦官は部屋の天井から吊るされる。それでも死なず、少女のほうを見つめている。最終的に少女は意を決して宦官を下ろすように男たちに頼み、宦官は少女に抱きつく。少女もそれを受け入れる。その時、やっと宦官の息が絶える。

という、まあ現代でも十分にエグさ爆裂の内容です。
当時のヨーロッパの情勢を考えたり哲学的分析を加えることで十分に深い内容や一定の評価もなされているのですが、それにしても、この非常に近代ヨーロッパ的で神経症的で陰鬱とした内容の音楽が、というかバルトークの音楽全体的に言えることですが、なぜかフィジカルでバカが付くほど健康的なアメリカのオーケストラや、小澤、ブーレーズといった、一見明るく表層的と思われている指揮者がやった方が定評があるというのが、なんだか不思議な感じもします。


でもショスタコーヴィチみたいに救いようのない陰鬱さとは違い、それだけでない何かがあるような気もします。まだわかりません。


不気味ではあるけれど、不思議に収束感のある、要するにとっちらからない、聴き応えのある曲です。

もしもマンダリンのあらすじから遠ざかって何か違う解釈(というか妄想)ができれば、もっと面白くなるのかもしれません。

しかし返す返すも、今年のサイトウキネンフェスティバルでもバルトークの「青ひげ公の城」が上演されていたことは知っていたんですが、もう少しバルトークの魅力に気づくのが早ければ僕も行きたかった。。。残念です。

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