ストレスとは、悪循環そのものです。
極度のストレスや疲労が長期間連続して、あるいは断続的に続くと、脳の記憶や論理思考を司る連合野のエネルギーが解放されにくくなり、血行が滞りやすい体質になります。
考えれば考えるほど、ますますリラックスし難い体質になっていくのです。
リラックスできないと、常に緊張状態で物事に当たるために、さらに行為そのものや外的環境に対してストレスを感じてしまうことになります。
考え込みやすい人とは、そういうタイプの人で、うつとは脳のエネルギーの滞り、いわば肩こりのようなものです。
この肩こりが長期間続くと、最終的には身体や脳の部位の物理的寿命を著しく縮めてしまいます。
それを防ぐためにはどうしてもエネルギーの解放が必要で、薬理的な言い方をすればドーパミン放出を強制的に行おうとする行為が必要となります。
それがアルコールをはじめとする薬物の摂取やドーパミン放出行為そのものです。
壊れた神経細胞は物理的萎縮によって不可逆的に変質してしまいますが、神経細胞が壊れるか補完されるかは、本人の身体年齢やドーパミン放出を助ける物質や行為の陰陽によって大きく左右されます。
ここで適度なドーパミン放出がなされればいいのですが、急激に大量のドーパミンが出てしまったり、その行為のみによってしかドーパミンが放出されない状況になってしまうと、依存につながってしまいます。
ドーパミン放出を強力に手助けしてくれるような薬物や行為は、脳の神経伝達系を補完増強するよりも、むしろ壊してしまうもののほうが多く存在します。
ドーパミン放出のきっかけとなる物質、行為、その経過が陰性である場合、脳には深刻なダメージが起きます。
その陰陽は量や元々の体質との兼ね合いによって決まるので、これが陰、これが陽であるとは明確な区分けは出来ませんが、例えば陰性の体質の人が陰性の薬物を服用すれば少量でも不可逆的変質は加速的に起きてしまいます。
逆に陽体質の人が多少の陰性物質を取り込んでも、さほど影響はないということになります。
参考までに、ドーパミン放出を助けてくれると言われている物質のどういうものが陽と陰の傾向を持つか、抜粋しておきます。
陽の傾向を持つもの
少量の肉、暖色系の野菜、火を通したもの、少量の茶色または黒い食べ物(油を除く)、少量の醸造されたアルコール、少量のシガレットでない喫煙、健康的な笑い、適度な性行為、趣味、適度な運動
陰の傾向を持つもの
白い食べ物全般(白米、砂糖、乳製品、小麦など)、生野菜、油、蒸留されたアルコール、過度の飲酒、過度の喫煙、純粋に抽出合成された薬物全般、不健康で他者を傷つけるような笑い、過度の性行為、過度の運動、悪口や批判、呪い
過度の陽(極陽)は、全て転じて極陰となります。つまり上記の陽の傾向を持つものは、量が増えると簡単に陰に変わります。
また、元々極陽であるために注意が必要なものに以下のものがあります。
辛い食べ物、スパイス、怒り、ギャンブル、自動車や機械の運転など。
陰陽の呪縛から離れて全てのストレスのエネルギーを簡単に、そして完璧に解放してくれるのが「力ある祈り」です。
アーティストでデザイナーでヒーラー、サトチヒロのまぜこぜブログです。絵や芸術の話、制作過程、氣や魂やエネルギーの話、音楽の話、パイプ、オールドカメラ、クルマの話。 /アートストンギャラリー(銀座)所属
2014年5月25日日曜日
作り手及び芸術家であること
齋田梅亭「截金菱花文飾筥」(きりかねりょうかもんかざりばこ)(1979)国立近代美術館蔵 |
「芸術家とは、自分が欲しいと思ったもの、コレクションしたいものを自分で作ってしまう人のことだ」
この言葉が大好きです。
記憶が確かなら、ピカソの言葉。
好きなもの、敬愛するもの。それをコレクションする。使う。味わう。
次第に自分でも作りたくなる。
模倣する。
やがて自分のオリジナルが出来上がる。
僕も。
稚拙であっても、行き当たりばったりであっても、欲しいものはたいてい作れてしまう才能を神が与えてくださった事に感謝します。
僕が作り続けてきたものは絵だけではなく、音楽、道具、アクセサリーなど、もう何でも屋。
「作りたいものを作る」
これが僕の今までもこれからも人生を通じて変わらない信念です。
もちろん、作りたくないものもずいぶん作ってきました。
そういうのは、大抵誰かに頼まれて仕事で作るものです。
でもそういうものでも、良いものもあります。
良いものはちゃんと残っている。
僕の作品であると知られていなくても世の中に溢れているものもあります。
もう十数年も前のものなのに。
そういうのはいつか「佐藤千洋」の作品だと発見される日が来ることでしょう。
名声でなく、突飛さや目新しさ、技巧などではなく
そこに潜む本質が一番大切なことです。
それは時として見た目さえも越えてしまうかもしれない。神によって示唆と命を与えられ、それが僕自身の心を打ち、周りの人たちの心を打ち、そしてもっとたくさんの人達の心を打っていくことが僕の望み、夢です。
芸術家にとっての正しい生き方とは、そこに忠実かどうかだけです。
2014年5月17日土曜日
蔵王2014春
蔵王は相変わらず美しかった。
認知症の父と、介護疲れの母
二人がもう何十年も通っている場所。
蔵王連峰は震災後、福島第一原子力発電所からの風を
奥羽山脈の中で一番最初に受けとめた場所だ。
けれど、蔵王は相変わらず美しい。
空気も木々も変わらず命を謳歌し、虫が飛び、花が咲き乱れていた。
この数年間、私達の親族もまた、津波と原発事故に翻弄された。
命を拾った。
二人が住む塩竈市は仙台湾に面している。
家は残った。
海産物も、農産物も、もう二度と子供達に食べされられないのではないかと
不安になったこともある。
でも、もう私達は「それ」と向き合って生きることを決心している。
慣れたのではない。
まだ帰れない人たちがいる。
もうすっかり日常に戻った人たちもいる。
帰れたのも人生、帰れないのも人生。
僕の住む森と田畑に囲まれた豊かなこの地にも、たくさんの帰れない人たちがいる。
僕は、ただ感謝している。
家も流されず、家族もみんな生きて
今、こうして残された時間を
平穏に生きていられる事に感謝している。
みんな一所懸命に生きている。
だから僕も一所懸命生きる。
たかがマンガの内容に噛み付く人たちがいる。
いやそれが真実だと言い張る人たちがいる。
僕にはどちらも同じく卑しく醜く見える。
(あんなもの、30年前から嘘と悪口ばっかり描いてるじゃないか)
騒ぎ立てる人たちは、父のこの数年間の闘病生活をつぶさに知ったら
「放射能の影響だ」「いや関係ない」と言うに違いないだろう。
どっちの立場で何かを言っても、必ず誰かに攻撃されるだろう。
父の最初の病気のきっかけが、数キロ離れた海岸の
仙台火力発電所の排気が原因だと言ったら?
関係ない場所にいる人ほど、騒ぎ立てる。
自分に累が及んでいないから、及びそうになることが怖いのだ。
「自分が怖いんじゃない、福島の人たちの事を思っているのだ」と言うのなら
政治家に「福島に住め」というのではなく
自分が福島や宮城に住むといい。
それが一番被災地の人たちを励まし、復興を助けてくれるだろう。
そんなに命が惜しいか。
そんなに命が惜しいなら僕の命をくれてやろう。
それであなたの命が延びるのなら
こんなものいくらでもくれてやる。
命や健康に執着して他人を攻撃したり寛容さを失っていく人たちを見たくない。
文明に浴し、自分のケツももはや紙で拭けなくなった人たちが
文明に文句をつけ、政治家や電気屋のせいにするのも
意見が違うからといって罵倒したり貶めあうのを見るのももうたくさんだ。
誰かを貶めるのは、日本人の仕事ではない。
原発が悪いとか悪くないとか、どうでもいいことだ。
女川では避難所になって多くの命を救ってくれた原発
大熊や双葉では多くの人たちが帰れなくなってしまった原発
日本の経済と夜間電力を支えてくれた原発
多くの人たちのふるさとを奪ってしまった原発
本当は誰にも非なんかないのに
何かのせい、誰かのせいにしてそんなに楽しいのだろうか。
いや、誰かのせいにしていれば安心なのだろう。
安心したいなら、僕のせいにすればいい。
せいにすることで、放射線が消え、政治が良くなり
日本や経済がよくなるのならそうすればいい。いや、ぜひそうして欲しい。
それでも山は変わらない。
木々も変わらない。
花も変わらない。
動物たちも、虫も、温泉も
何一つ変わってはいない。
何も変わらず
でも、一つ残らず変わってゆく。
生まれ、生き、死んでいく。
放射線があってもなくても、人も動物も木々も全て、生まれ、生き、死ぬ。
山も海も地球も宇宙も、生まれ、生き、死ぬ。
生まれて初めて、父の背中を流した。
父は前を向いたまま
「お世話になりますねえ」
と何度も頭を下げた。
僕はずっと前から、これからも、僕だ。
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