2012年4月16日月曜日

ブルックナー交響曲第2番ハ短調

ブルックナーは、ベートーベンやワーグナーのような音楽を書きたかった。でも、美しい導入を書き始めていいところまで行くと、急に迷いが出始める。「こんなありきたりのフレーズでは、先人達の交響曲に並ぶのは申し訳ない。」

そこでそれまでの導入とは違う展開を急に書きだす。それはもう試行錯誤、未熟者の迷い以外の何物でもない。こうして直前の美しい導入フレーズが台なしになる。

こうした迷いの連続が、ブルックナーの作品にはあちこちに現れる。特にこの2番を含む初期の交響曲には、満載だ。
私はそんなブルックナーの2番が大好きだ。

世の中のいろんなものに囚われ、彼の純粋性を侵犯されながら、いろんなものにチャレンジしながら、最終的には自分でも訳の分からないものに変容してゆく。

しかし、それはひとたび演奏されるやいなや、演奏する者、聴く者に深い洞察力と集中力を呼び起こす。
作者が思いもよらなかった高い芸術性、精神性が、この迷いの集合体に与えられてしまった。

もしもブルックナーがフレージングの天才で、自信満々で誰の忠告や批評も気にせずに交響曲を書いていたら、こんなにも素晴らしいものは生まれなかったのではないのだろうか。

いや、実際彼は天才なのだ(奇人とも言えるが)。しかし自分の天才ぶりをわざわざ否定して、新しいもの、違うもの、自分が踏み入れたことのない世界に突撃してうんうん苦しんでいる。

だから彼は自分の書いたものには常に自信が感じられない。意図は意図を外し、いつもどこかに行方不明になる。
おそらくブルックナーは、自分の凡才ぶりにいつも苦悩していたに違いない。

しかしそんな彼が、自信なく、迷い道でこけつまろびつしながら書き、発表し、他人の言われるがままに手直しした交響曲は、人間の奥底にある全てのものが表出される偉大な芸術になってしまった。
不安や苦境、苦悩、迷い、子供のような喜び、壮大なものへの憧れ、癒し、安寧、生きることの素晴らしさ、神への畏敬の念。。。それらが存分に表現され、魂に伝わってくるのだ。

もちろん本人はそんなことは意図していない。意図どころか思いもよらなかったのだろう。
彼が書きたかったのは、もっと日常的で敬虔なものだったように思う。(彼自身の解説からも窺える)
しかし、そんなものは後世の演奏家達の音楽には全くもって反映されていない。

でも、だからこそ素晴らしい。


才能にあふれていたり、修行して修行して、ある境地に達し、意図通り、あるいは意図も消して、結果としてサラサラ一筆書きのように書いて「名人」とか「天才」とか言われるような人にも、まあそれなりの存在価値はあると思う。その瞬間は人を感動させ酔わせる力がある。

しかしそれは、結局のところ、軽い。存在が軽いのだ。時を超えるほどの重量を伴うことができない。だから結局、その名人や名人と同じような才能を持つ人間の中でのみ収束する。

大好きなピカソですら私は軽いと思うことが多々ある。
彼の作品の中には、素晴らしい作品がたくさんあるが、結局のところ将来的にピカソを超えるような偉大な芸術家が現れた時には、相対的にはかなり埋もれるだろうなというものが結構ある。それは決まって、作者が才能と修行の成果でさらさら書き、発表された時点では絶賛されたものばかりである。
まあ、一部の骨董好きやマニアにとっては、そんなことはどうでもよいのだろうけれど。

しかし、本当の芸術は作者というアイコンを離れざるを得ない。アイコンを離れても存在し続けなければならない。作品自体がアイコンになる。ミロス島のヴィーナスのように。


最終的にそのようにして残り、人々の心にいつまでも深く刺さるのは、自信満々や余裕で書いたものではない。
結局のところ、時代を超えることができるのは、どんな天才であろうと凡才となって、才能以上の背伸びをして、うんうん苦しみながら、意図に意図を重ね、何かに絶えず怯えながら、苦しみ抜いて「結局ここまでか」と、半分うちひしがれながら世に問うたものだけである。

それこそが作者が創作に込めた全魂である。推敲は意図に意図を重ね塗りされ、下地は見えなくなってしまっている。
当然作者の最初のコンセプトなどは、作者の手を離れた瞬間から既に捻じ曲げられ、作者の精神性は隅に追いやられてしまう。
鑑賞者の解釈すらも勝手に一人歩きする。
そうして人々を感動させる。

最終的には、作者の名前すら忘れ去られる。
そこには感動と、神の意図のみが残る。

ブルックナーの2番とは、そういう凡人が創作の神に愛され、自分の意図を必死に追い求めながら、練りに練った挙句、結局は神の意図のみに従うしかなかった、意図がぐるっと一周して無為を超える価値を持つに至った芸術だ。私はそういう練り物が大好きだ。

無為を超える美しさは、意図を練りに練ってしか得られない。

私も自分の凡才ぶりに絶望し、いつも迷いっぱなしだけれど、ブルックナーの音楽は、そんな自分に希望を与えてくれる、絶対音楽としての最高の精神性、凡才のヒーローだ。




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