2017年5月31日水曜日

10歳の具象




日頃、いろんな展覧会や個展やギャラリーで誰かの作品を見ていると
「おお!この作品はいいなあ」と思いながら
こういう絵を描くためには自分は生まれて来てないなあと思うことがよくある。

そこで、んじゃ自分はどんな絵を描くために生まれてきたのかと自問する。

そうすると、どうも10歳ぐらいまでには固まってたんじゃないか
と思うことがあって、時々考え込んでしまう。

10歳?

そんな早くに見つけられるものなのだろうか?

いや、それも最近になって気づいた。
「あ、10歳のときから変わってないや。」と。

二十歳になるまでに画風めいたものの探求を、少なくとも2回はやっている。
一度目は、デッサンを崩してデフォルメ。
二度目は完全な抽象。

それから30年経って、まだ画風の探求をしている。

今の僕の画風は大きく分けて

10歳の時に完成した具象
崩し絵
水晶の絵
魂のフォルム
抽象

の5つ。

増え続けてる気がする。
どれも自分の好きな世界なので、この5つのどれも捨てるつもりはない。

ただ「10歳の具象」 に関しては「魂のフォルム」とかなり密接な関連があって
魂のフォルムをちゃんとやっていくためには、どうしても10歳の時に完成したと思っていた具象を、もっときちんと煮詰める必要があると感じている。

人の身体はやっぱり素晴らしい。
特にヌードをもっとたくさん描きたいという衝動に突き動かされている。












2017年5月30日火曜日

アーティストのビジネス感覚



「芸術家はもっとビジネス(需要)としてのアートを考えた方がいい」

という考えには概ね賛成なんだけど、それまでファインアートしかやったことのない人にそこだけ言っても「んじゃこれやったら売れるんじゃないか」とか「儲けてやれってことか」とか、突然悪徳押し売りみたいな極端な発想になっちゃう人が意外といたりする。


清貧と求道で生きてきた人はどうしてか、ビジネスという言葉が、社会の需給と必要を満たすことへの対価という根本原理でなく、金銭稼ぎという言葉に短絡しちゃいがち。

で、あんまり良い考えも浮かばず、かえって自分の制作に乱れを生じることになり、その結果「売れることを考えて作るなんて芸術への冒涜だ」「売れなくても芸術そのものが報酬だ」というような所に逆戻りしてかえって頑なになっちゃう。

でもアートが広まるのはとっても社会の健康のためにいいことだしそれを広めるのはアーティストにしかできないんです。
ビジネスというのは、金儲けではなくて、仕事に対する正当な対価を受け取るシステムを作ること、そしてその仕事が社会に必要とされること。

アーティストは作り手だから、あんまり小賢しい考え方をしなくても、自分の信じるものを作ればいいのです。

世の中にそれを必要としている人は必ずいます。
より広く知ってもらい、必要としている人に届けるために少しのアイデアと時間を割くだけでいい。
それは芸術だろうが日用品だろうが作り手の最低限の責任なのです。

日本のアーティストは画廊や百貨店の搾取に慣れすぎてると思います。
彼らが中間マージンに見合った努力や労働をしてるかというと、ちょっと首をかしげざるを得ない部分が多々あります。
アートの業界だけ、いろいろ昭和のまんま。
旧式の画廊で絵を買う時代はもう終わりです。


ビジネスなんて言わなくても、例えば自分の作品の原価、人件費、流通コスト、営業経費ぐらいはアーティスト自身で計算できた方がいいと思います。

完璧な顔は描きにくい


誰とは言いませんが、久しぶりに、要素の完璧(整った)な女性を見ました。

何が完璧かといって、お顔の要素の比率もなのですが、それよりもメイキャップ、ヘアスタイル、目線の流し方、ブラウスの開け方、間のとり方……。

モデルさん?

これは勉強になると思い、急いでスケッチを始めるのですが、何しろ相手は動きます。


僕は動くもののスケッチがニガテなのです。

そのくせ、なるべく写真は見ずに、実際目の前にいる人やモノを描きたいので、動かれるととても困る。

だからいつもあんまり動かない、おじいさんとかおばあさんとか花とか草とか、そんなのばっかりスケッチしてます。

本当は小さな子どもをたくさんスケッチしたいのですが、小さな子はひとときもじっとなんかしてくれません。
この問題はなんとかしないといけません。

話がずれました。

相手は画面の中の人。
まあ、すぐ気づきました。

「写真見て描いたって一緒だ」

すぐに静止画像にして描きました。
だからスケッチとは言えないかもしれません。落書きですね。

でも、すごく参考になりました。

まず、パーツの比率を完璧足らしめていた要因の一つは、メイクの巧さだということ。

これは、絵を描いているといつも実感することですが、ただ目鼻を描いても美しい顔にはなかなかならないのです。
陰影にデフォルメが必要になってくる。
絵を描く感性とメイクの感性は、かなり似ています。

いろんなメイキャップはありますが、僕にとって完璧なメイキャップというのは、それを素描にした時、メイクとして表現できない、顔の天然の要素として表現してしまうものをそう感じます。

メイクをメイクとして描いてメイクだと分かるのは、絵描きから見ればまあ、あんまり心に響いてこないです。

それにしても、あまりに教科書通りの比率をしているので、逆に描くのに苦労しました。
整い過ぎた顔というのは描きにくいものです。

ほんの一本の薄い鉛筆の線だけで、表情がすっかり変わってしまう。

人の顔の個性というのは、生きてきた人生の経験による、表情の癖による歪みやしわ、視線、そういうものがとても影響しています。

そういうのは年齢をある程度重ねないと出ては来ないものですが、この方のお顔は教科書みたいな、石膏像のような、全く人生を感じさせない顔です。不思議と。

描きにくかったです。

……いや、自分がヘタなだけか。