何と「闘って」いるのだろう。
一人二人じゃない。
「私は今まで芸術を以て闘ってまいりました」と言う。
分からない僕は、たぶん闘ってないんだろうな。
例えば……
僕はこの絵に「老兵の帰還」という題名をつけた。
ぱっと見、何が描いてあるのか分からない人もいるかもしれない。
本当は見る人の自由。
でも、僕の信条として「見たままです」と突き放すようなことはしないので
ヒントになるような、あるいは取っ掛かりになるような題名とコンセプトは文章で残しておくことにしている。
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「老兵の帰還」(An old soldier's return)
「晴れた野の向こうに
懐かしい我が家と
愛する妻と猫と犬たち
私は帰る」
Over the earth
green and calm
my sweet home
lovely wife
my little life
kitten and dog
I’m by God
日本語と英語ではちょっといろいろ違う。
英語がへんなのはご容赦。
していないかもしれない。
どこかで道草を食っていただけかもしれない。
奥さんらしき人と抱擁しているのはなんとなく分かると思う。
きっと長い旅から帰ってきたのかもしれない。
いや、これから長い旅に出るのかもしれない。
赤ちゃんが見えるだろうか。
だとしたら、この夫婦の子なのだろうか。
そうすると、老兵というからには年の差カップル?
いや、孫かもしれない。
犬もいるんだけど。
猫もかな。
もちろん分からなくても全然構わない。
二人の上の方に、もう一人の顔が見えるかなあ。
いえ、見えなくてもいい。
老兵はどこから帰ってきたのだろう。
それともどこへ帰るのだろう。
なんなら「老兵」という言葉を一度剥ぎ取ってしまってもいい。
誰かが、帰ってきたか、帰るんだ。
でも、ここに描かれているのは、若い魂ではないかもしれない。
そこらへんはたぶん、この絵を見る時の取っ掛かりのヒントとなるだろうな。
この絵は、決められた物語や何かを訴えるために存在するのではない。
僕の主張を表現しているのではない。
この絵は、見ているあなたの魂の姿や夢の残像の一部分を写し取っていると思って見てくれたらいいと思う。
僕の作品は大分殆どそれ系。
だから、作者の心情がどうだとか、美がどうだとか、社会がどうとか、平和がどうとか、世界情勢がどうとか、平等がとか自由がとか、そんなこととは一切関係がないよ。
写真もコンピュータも絵描きも漫画家も描いたことのない、あなたの心の中の残像なのです。
闘いからは生まれない。
怒りからは生まれない。
表現は自然の法則、神の意志によって僕の目と手を通してここに存在する。
それだけ。
いつも「カミサマ」と話してるから。
この絵は、観ているあなたのもの。
僕の闘いの道具じゃない。
だから僕は芸術を以て何かとは闘いません。
この手の話は、これから作品が生まれるたび、しつこくすると思います。
僕自身も忘れないようにという思いも込めて。
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