2017年2月23日木曜日

無我と自我を行き来する

4〜5日前に、ちょっと腰を痛めました。
ギックリ腰?

良くなりつつはあるのですが、やはりいろいろ作業がしづらい。
筋力つけなくちゃです。






これは今進行中の中の一枚。一部分。

描き始めは、無我、無計画の状態で始めます。

何が出てくるか分かりません。

何かを描こうと意識して描いていると、必ず意図が入る(当たり前)。
意図が入ると、どうしてもウケようとか、上手に描こうとか、邪念が入ります。


ただ、全くのデタラメでもダメなんです。
計画を練って描いてもランダムでもダメ。
事前にある程度、世界観というか、取材でストックしている景色や色がある。
心境とかも。

でも意識はしない。無意識。無我。
そこがちょっとむずかしい。


あくまでも「無我」で描いているうちに、ある時突然
「あ!」という発見がある。

そしてその時初めて「自我」の中の記憶を手繰り寄せる。

そして一気に完成へ。

早い時は1週間もかからないですが、いつまで経っても見えてこない時は、半年以上もぐだぐだやっている。


この行程をうまくコントロールするための「無我」を導き出すというのが何年経っても難しい。
無為であればこそ無我でいられるのに、有為的に無我を導くとは。
でも、そうすることで、できた作品には必ず魂が入るので
そのためには無我を導き出す自我を鍛えなくてはならないのです。

まあ、リーディングセッションの時も、有為的にシャマンモードを呼び起こして、結果無我の状態でやってたから、似てはいるんですが。

「手放す」という独特の意識が必要になってくる。

何十年経っても修行。


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