2017年5月13日土曜日

絵が上手くなる前に







絵を褒められると嬉しいものです。

でも「上手いですねえ」と言われても
まあ、そう言っていただけるのは本当にありがたいのですが
心の中はちっとも嬉しくないのです。

「深いですね」

と言われると、これは僕からすると最大級の褒め言葉で
そう言われることで作品はその人にとっての絶対的存在意義を持つことができるし
「ああ、描いてよかったなあ」と思うのです。

それは、僕自身も「深い絵」が好きで、他の人の作品でも
「深い絵」に惹かれるからなんです。

「深い絵」ってなんだろう。

いろんな要素はあるけれど、丸めて言ってしまえば
その絵から読み取れる情報が多いという事に尽きるんです。

色数、陰影の深さ、構図や構成の考え抜かれた跡
といったような作品の表面はもちろんなんですが、それだけでなく
絵の内容や、絵が描かれた背景にストーリーを感じさせる
と言ったこともとても重要です。
ただし、説明過多とは違います。

多くの人は「上手い絵」に目を奪われがちです。
公募展などでも、きれいにまとめ、上手く描いた絵に注目が集まったり
賞を取ったりしています。

しかし、そういった上手い絵というのは多くの場合
絵としての奥行きがないことが多かったりして、僕は惹かれません。


上手く描こうとする気持ちは絵描きにとってはとても大切なことです。
でも、それが高じると、絵がそれだけになってしまう。

実は上手く描く前に、絵描きにとってはやることがたくさんあるのです。
それは観察眼と感受性の鍛錬です。
そしてその感受性を色やカタチで表現する練習です。

デッサンを練習するより、そちらの努力の方がずっと大変だし重要です。
そしてそれは鉛筆や絵筆を取って画面にかじりついているだけでは
決して得られないものです。

それさえ出来れば、デッサン力なんて系統立てたセオリーがちゃんとあって
練習を積めばいくらでも上手になれるのですから
そしてどうせせっかく身につけたデッサン力を敢えて
「崩さなくちゃならない」時期が来るのですから
どうでもいいとはいいませんが
「あればなおいい」ぐらいに考えておいた方が良いと思っています。










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