2011年11月1日火曜日

心のみちびき地蔵(地震予知の話)

連続Tweetした内容を、まとめ、加筆修正して上げておきます。


2011年は、これまで私たちが体験したこともないような地震、そして大津波、原発の事故、大災害と悲劇が日本を襲いました。
実際に被害に遭われた方々のみならず、被災地から遠く離れたところに住む多くの人々の心にも、深い傷を残す出来事となりました。


また地震が来るのではないかと不安に震えている方も多いと思います。2004年のスマトラ島沖地震がそうだったように、プレートの大地震は必ず大きな余震と、近隣のプレートの大地震を呼び起こすからです。


311以来、私の元にも「また地震が来るのでしょうか?」「いつ頃来るのでしょうか?」というメールやメッセージがかなりの数来ています。


全てにきちんとしたお返事ができずに誠にすみません。
気持ちは痛いほど良く分かります。誰もが知りたい事です。
で、申し上げておきますが、私は地震予知はできません。ですのでお答えできないのです。分からないのです。たとえ分かっても言わないと思いますが、何しろ分かりません。


これまで幾度となく私が申し上げているのは、地震がいつ来るかとかどこに来るかというのは、科学的にも経験的にも体感的にも動物的にも超能力でもオカルトでも、100%の予知は不可能なのです。「どこそこで明日起きる」などというのはデマかまやかしの類だということです。




身近な例で言えば、部屋の、床の上に不安定に積み上げた本の山が崩れる日時を、あなたは正確に言い当てることができるでしょうか。「不安定に積み上げた本の山」というのは、本の山が崩れる、つまり地球で言えば「地震が起きる可能性、を高くはします。もしも家が安普請で、家の外をクルマやトラックが通っただけで家が揺れるとか、部屋の中を歩いただけで床がきしむとかそういう状況があるなら、本の山が崩れる確率はさらに高くなります。


地震が「明日起きる」「何日以内に起きる」と言っている人の多くは、山積みの本を前にして、家の前をトラックが通ったり、近くをネコが通ったりした現象を指して「だから起きる」と言っているに過ぎません。


繰り返します。
具体的な地名や日時を挙げて、大災害が起きるという予言予知は、どんな大科学者にも、どんな超能力者にも不可能です。断言します。


私の身近でも、「2011〜2012年頃に人がたくさん死ぬ」と予見した人はいます。彼らはとても真面目で善良な人です。しかし彼らですら、それがどこで起きるか、いつ起きるかまでは分からなかったのです。


そういう予見ができる人は善良ですから、分からない事まで分かるフリはしません。そういう人ですら「関東あたりじゃないか」という、先入観念を振り切ることはできませんでした。


私は、地震は起きないと言っているのではありません。地震は起きます。しかし日本列島には、山積みの本がいたるところにあります。どこで明日大地震が起きてもおかしくないのです。ですが、だからこそ「明日、どこそこで起きる」という予言や予知は、無意味なのです。


地震は今日も起きます。明日も起きます。地殻のエネルギー放射はとどまることを知りません。


だからといって、私達が無力だというのではありません。


災害の危険性可能性を言い、対策を練る事は大切です。が、やたらと具体的な予言はいたずらに人を惑わします。科学的であろうとなかろうと、確率の低い(なのに、日時や場所の特定がやけに具体的な)予言や予知のたぐいは、かえってそれぞれの直感を鈍らせてしまうということを言いたいのです。


地震が起きてもあなたは護られ、起きなくても護られます。あなた自身を守る力が、あなたにはあるのです。


地震の被災地においても、数キロ四方の差で甚大な被害を受ける場所と、全く被害のない場所があります。そして全く被害のない場所に住んでいる方でも犠牲となる方はおり、甚大な被害を受けた中で生の奇跡を体験した人もいます。


私が長年いろんな人に言い続けている事の一つに「その場所にいたいかどうかという直感を大切にしてください。」というのがあります。これは災害に限った事ではありません。土地の氣は、数年〜数十年単位で大きく変化し、人間に快不快や感情、情緒に影響を与える力を持っています。


それは数十メートル四方単位であります。道路や家の配置が変わっただけでも変化します。それが数キロ四方単位で同じ様な氣が渦巻いているとすれば、その地は住むに適さない、あるいは少しの間離れた方がいい、というものです。これを私はずいぶん多くの方に伝えてきました。


それでもその精度はせいぜい絞っても数年です。そして災害と関係するとは限りません。今回の大震災で被災地となった場所に住む何人かに、引越しを薦めた事がありました。でもそれは今から3年以上も前の話です。「災害が起きるから引っ越せ」ではないのです。単にその人の周囲の氣を読んで直感で見えただけです。


つまり、災害予知というのは、災害そのものを見る事はできないということです。できるのはその人に限定した未来の映像、そしてその人を今取り巻く氣の渦、そしてその土地の氣。この3つの予見のみです。これはほとんどの能力者に共通する普遍的なものだと私は感じています。


どんなに超能力を持った人でも、震源を言い当てることはできません。しかし目の前の人を通してみれば、その人が受けるであろう運命を軽くするような予見をすることはできるでしょう。つまり、「地震は起きますか」には答えられなくても「自分はここにいるべきか」ぐらいは答えられるということです。


1つだけ言えることは、日本列島の中でも例外的に災害や試練の起きにくい土地と、災害に限らずとも様々な試練が起きやすい場所というものは、科学的検証に頼らずとも判別できるということです。興味深い事に、それは土地の氣に影響された「人の氣」に如実に現れているのです。


私は今回の大震災の被災地の一つで少年期を過ごしましたが、そこにはみちびき地蔵という、恐ろしくも悲しい伝承があります。今回の震災で有名になりましたから詳しい説明は省きますが、みちびき地蔵というのは、死者を見せるという怪談のような話だけでなく、津波から人々を救うお地蔵様としてその土地では認識されています。しかしみちびき地蔵は、全ての人に津波を教えることはありません。めいめいに教えるだけなのです。みちびき地蔵が見える人にだけ教えるのです。


それは「自分にとっての直感、自分にとって必要な運命」です。


大切なことは、予言を信じて逃げる事ではありません。それでは逆に、自分の中に安全バイアスを産み、本当の危機に対処することができず、かえって危険な目に遭うでしょう。


回避は常に「何となく」来ます。なぜか回避されるでしょう。心の声に謙虚に耳を傾けさせすれば。みちびき地蔵は全ての人が持つ能力です。


ですから、地震が起きるかどうかを誰かの判断に頼るのではなく、愛に満ち笑いと思いやりや感謝にあふれた生活を送り、直感に従って生活して下さい。


私が直接知る、震災で奇跡を体験した人たちは皆そうです。
そして、心のみちびき地蔵の導きによって「何となく」「なぜか」行動し、数メートル、数分の差を体験したのです。