絵は、そこにかかっているだけで意味があるなあと、いつも思います。
壁を得た絵はスゴイ!
絵は、壁にかかっていると、生き生きとしてきます。
絵は「気」を発しますが、それがずーっと強く太く大きくなる。
無意味な絵とか、無価値な絵なんて、この世には存在しないんだって分かります。
生きてる。
ステージを与えられてこそ、絵は生きるんだなあと、絵を壁にかける度に思います。
倉庫にしまわれた絵はちょっと可哀想。
絵って、動かないからこそいいのだ
元々デザイナーとしてはデジタル派のため、アートとしての絵も、動いたらもっと面白いのになあと昔は思ってました。
最近は液晶も薄くなったし、有機LEDも実用化されたし、ソフトも進化したし、目に映るものを動かすのはそう難しいことではありません。
でも、今、僕は絵を動かそうという気持ちは全くありません。
パロディ的なエンターテインメントではやるかもしれないけど。
なぜ、絵を動かそうというのをやめたかというと
ある年のある日、といってもいつものことですけど、自分が描いたある作品をじーっと見つめて絵と対話というか、鑑賞していました。
自分が描いた絵を、制作してから少し月日を経て、鑑賞者としてやや距離を置いて鑑賞するというのが好きなんです。
とにかくその日もある作品を30分ぐらい、眺めていました。
絵から伝わってくるもの、そこに描かれている世界、いまの自分の心に響いてくるもの。
以前は、絵とは瞬間とか光景とか、そういう目に映るものを切り取ったものというふうに思っていました。
切り取った以上は、その先とかその手前も見たいじゃないですか。
ところがその日、作品をじーっと見ているうちに、実は絵に描かれた世界というのは、瞬間を切り取ったものでもなく、時間軸で移り変わって行く情景なのでもなく、元々から全く静止した世界というのが最初にあって、それがずっと長く長く引き伸ばされた状態であるものなのだということに気づいたのです。
切り取られたのではなく、ものすごく長く引き伸ばされたもの。
それに気づいてから、僕の絵は劇的に変わりました。
余談ですが、油彩というのは年月によって変化します。
表面の硬化が進んだり、色が化学変化で変色することによって起きるのです。
でも、水彩やマーカーによる変色(退色)とは全く違います。
「10年前より今の方が良い」状態になるのです。
永遠に引き伸ばされた静止した世界は、時間軸を得て、さらに深化してゆくという素晴らしい体験を味わえます。