2010年6月18日金曜日

ワクワク至上主義からの脱却

もしも自分の人生を考え直す機会があるとして
その手段として
「人生はワクワクすることが一番大切」
「ワクワクすることをやろう」
と言われたり読んだりした事があるという方へ。
確かにワクワクは大切。
その通りです。
言葉上ではね。
私自身も心からワクワクできる事を心がけています。
でもね、やぶから棒にワクワクしようとしても
実際にはうまくいかない事が多いのです。
「成功したければワクワクしろ」という人の中で
実際にはワクワクがどういうものか
そこに至るまでどういうプロセスを経なければならないか
という事を本当に知っていて言っている人は
残念ながら、とても少ない。
クルマの運転を知らない人に
「クルマを速く走らすにはアクセル踏めばいい。まずは踏んでみろ!」
と言っているに近い。
危ない言葉なんです。
本当に修羅場をくぐり抜けて自分の人生を目一杯生かしている人は
あんまり「ワクワク=成功」とは思っていない。
本当に速いドライバーは、アクセルよりブレーキの使い方がとても大切だということをよく分かっている。
実際の社会生活の中で、日頃からワクワクだけで生きていられる人なんてそういません。
どちらかといえば、たまたまの縁でやっている仕事生活を送り
押しつぶされそうな重圧やニガテなものと格闘しながら生きている人の方が多い。
そんな人生の中である日突然「一日中ワクワクしろ」と言われても
なんの事やらさっぱりのはず。
実際には、ワクワクというのはあまり長続きするものではありません。
むしろ「成功」や「自分の人生を生きる」事であっても、重圧や不安、悩みの中にいる方が長いのです。
どんなに好きな事をやり続けていてもです。
ワクワクは大切だけれど、それだけを金科玉条としてしまうと
あなたの人生は暴走を始めて「思い通りにならないものだらけ」になってしまう危険性をはらんでいます。
あなたが人生の中で、ワクワクすることは一つや二つではありません。
それはめまぐるしく変化してゆくものです。
そして、ワクワクできなくても、あなたは自分の人生を全うできるし、成功もできる。
そうすれば、結果的にワクワクは増えてゆく。
むしろワクワクがあなたの欲しいものやなりたいものと関係している事は、とても少ない。
では、あなたの欲しいものやなりたいものと密接に関係しているのは何か。
それは、あなたの「得意な習性」である。
あなたが今している仕事と関係もなければ、かつて目指していた何かとも関係ない。
あなたの習慣によって培われた「得意な習性」。
これがあなたの人生を切り拓く、最初の第一歩なのです。
あなたの今の仕事は正しい。
あなたの欲しいものも正しい。
しかし、それがあなたの「直せない、直したくない習性」に合ってないのなら
あなたは次に、本当は一体何か好きな事なのかを本音で考える必要があります。
この辺の事も、しっかりと伝えて行かないとなあと思いながら
一般論にすると説明がとても難しいので、ついつい後回しになってしまっていました。
セッションでは、それぞれに合った言葉や具体的な解決方法でお話しています。
(もし不明なところがあったらいつでもご質問下さい。)
本当にステキなワクワクが、あなたに訪れますように。
佐藤千洋

2010年6月12日土曜日

真実の正体

真実は、往々にして建前や人前では言えない様な事の中に含まれていたりするものです。
それを口にすれば、差別的だとか露悪的だとか道徳的でない
というレッテルを貼られる可能性さえあります。

それほど、真実というのは現実や事実とはかけ離れています。

真っ正直に、誰の目にも明らかな様に真実と向き合って生きるということは
自己を破壊する可能性さえあります。

だから、たいていの人は口をつぐむのです。
そして、あなたの人生の真実は永遠に闇の中
ということになります。

それに打ち勝つ事ができた者だけが
露悪的であっても、自己の人生を切り拓いて行く事ができる
と思われているのも、仕方のないことかもしれません。

だからといって、真摯に生きるということが
真実なら何でも白日の元に晒せばいいということではないのです。

あなたの真実が、服を着ない素裸の状態だからといって
あなたは裸で生きて幸福にはなれないのと同じです。

真実と向き合うというのは、自分の真実が、素裸でありながら
服を着ている自分もまた自分なのであるということを
認めて生きる事と同じです。

心という水は、澄んでいるだけでは豊かさを持てないものです。
そこには水草も生え、魚が住めなくてはならない。
ビオトープのように、放っておいても豊かに繁栄し
生態系が出来上がる必要があります。

そのためには、真実と向き合いながら
それを包み隠してしまうような濁りも必要なのです。

澄みすぎず、濁りすぎず
あなたの心はビオトープのように命豊かに美しく栄えるのです。

2010年6月11日金曜日

意気消沈する度に神が叫ぶ

神は、いつでも同じ事を叫ぶ!
自分の逆境からほとばしるエネルギーを使って
自分のやりたい事だけをやれ。
評判を気にするな
たとえ名誉を失ったとしてもだ。
中から湧き出る、ほとばしるエネルギーだけを信じろ。
それ以外はゴミだ。
「NO!」と言え。

2010年6月5日土曜日

11ヶ月の法則

総理大臣がまた変わりました。
Twitterで、「総理大臣にも11ヶ月の法則が働いた」と書いたら
DMで質問を頂きましたので、少しだけ説明致します。
常々セッションなどで
「全ての事柄は11ヶ月(47週〜49週)を目処に、代謝する」
と言っています。
どんなに辛い事があっても
どんな不運があっても
ひとまずそれに決別すると決めれば
長くても11ヶ月で具体的な変化が起きる。
人間の細胞でさえ。
同じ様に
どんな幸運であっても、好調であっても
11ヶ月それに甘んじていれば
その頃に試練に転じる訳です。
直近5名の総理大臣のうち
4名までが、11ヶ月目で大きな試練を迎え
それからほどなく退陣されています。
残る一人の総理についても
就任11ヶ月目で、大きな試練を迎えました。
それを、彼は「大きな変化への決断」によって乗り越えました。
そうして彼は長期政権へ向かう事ができたのです。
どんな人にとっても
黙っていても11ヶ月後には、決断の時がやってくる。
つまり私たちは、最低でも
1年間に1.1回、10年間(+1ヶ月)で11回の決断を迫られているのです。
決断を下してから11ヶ月で目処が付き
その目処を元に、次の決断を下す。
この繰り返しで、私たちは生きているとも言えます。
この決断がないとき、停滞や試練、渋滞が起きるのです。
つまりは、決断するしないに関わらず
あなたは決断をしなければならないということです。
もし迫られるぐらいなら
自分から決断を下せばいいのです。
次の48週目を目指した決断を。
もし万が一その決断が間違っていたとしても大丈夫。
長くて49週間しかその影響は続きませんから。
もちろん
5名の総理は、11ヶ月どころか、日々が決断の連続だったと思います。
その日々の決断に忙しくて、11ヶ月目などどうでも良かったのかもしれません。
しかし、それでも11ヶ月目の試練、あるいは11ヶ月目の成果
着地点を知っていれば
少しはその重責も、和らいだのかもしれません。
変化、試練というものと、私たちはいつも向き合って生活しています。
そのサイクルを、11ヶ月という単位で見る事は
とても意義のあることです。
繰り返しますが
1年ではなく、11ヶ月なんです。
少しずつ前に前にずれる。。。
このわずか1ヶ月の違いが、私たちの人生にゆらぎと
「時」を与えてくれるのです。
ところで
私の断食の季節も、11ヶ月ごとに訪れる様です。

シャマン

私はシャマンだ。
否応なくそうなった。
それは現代が失ったもの。
だから、私たち自身がシャマンになるのだ。
未来のベクトル
神や愛する人の声
内なる声
アカシックレコード。
聞こえる
見える
感じる。
それは本来
全ての人に聞こえるはず
見えるはず
感じるはず。
誰かの特権ではない。
気づいた者、出来た者から先に
シャマンとなって名乗りを挙げて
後に続く者達に
それを伝えてゆくのだ。
それは自転車に乗る様に
慣れれば自動車を運転する様に
ネットで検索する様に
自然なことなのだ。
あなたがなれる、新しいシャマンは
特別な儀式も、にがい飲み物も難しい呪文もいらない。
狂人の様に振る舞う必要もない。
あなたに必要なものは
富、愛、美、平和、調和、健康、喜び、奇跡、安心、性の充実