人生をうまくやりたいと思わない人はいないでしょう。
誰でも自分の人生を幸運と平穏に満ちた人生で終始させたいと思っています。
それはいつでも健康で、富に溢れ、楽しい事が順風満帆に続く人生。
しかし実際には、少なくとも私は、一生に渡って順風満帆な人にお目にかかったことはありません。みんな山あり谷ありの人生を送っている。
喜ばしい事、苦しいこと、悲しいこと、楽しい事。
陰陽、バイオリズム、周期、それだけでなく。
他人から見れば、どんなにか強くて幸運で幸せそうに見えている人でも、どこかに必ず悩みや闇を抱えています。それはたいてい他人に話す事ではなく、あるいは敢えて隠して生きていますから、普通の人には分かりません。
が、分かる人にはすぐに見えてしまいます。
それらを全て分かった上で、その人を認め愛する事ができる人には見えるのです。
でも悲しいかな、たいていの人は、完璧と思っていた(思い込んでいた)人の、ほんの些細な欠点や弱点に幻滅し、評価を180度変えてしまうのです。
これは蒙昧の心なのですが、大衆の心というものでもあり、致し方のないことかもしれません。
昨日までのヒーローが、些細なミス、スキャンダル、時には小さな犯罪(事実かどうか分からない)で突然落とされ叩かれ、それまでの全ての功績を台無しにされてしまう事件が後を断ちません。
とても残念なことです。
このことは、それをあげつらおうとする人達も、それに乗っかって評価を変えてしまう人達も、全てが妬み、ひがみという蒙昧の中に囚われている証左の一つといえるでしょう。
あなたはその中に加わってはなりません。
「影も日向もなく、本当に非の打ち所がない」などという人は存在しません。
「一点の曇りもない」人など一人としていません。
あなたの人生に闇やトラウマがあるように、誰にでも闇や悩み、どうすることもできない弱点や恥、人生の浮き沈みがあるのです。
自分だけにあるのではありません。
全ての人にあるのです。
物事には必ず陰陽があるように、私たち自身の人生も、陰陽によって成立しています。
もしも「一点の曇りもない順風で平穏な人生が理想であり、そうなるべきだ」などと思っているのなら
それはテレビのドラマやCM、マスコミの情報にかなり毒されていると思って下さい。
もしそういう人生があるとすれば、それは停滞でしかありません。
よく、大望を持つ人にのみ試練や闇はあると言われますが、私の見方からすると、あまり関係ないように思います。
もちろん、何かを成し遂げようと思う人には必ず嵐と機会がやってきます。
しかし、何も成し遂げようと思わない人にも、なぜか必ず変革を迫る嵐がやってくるのです。
どちらにせよ嵐(陰と陽の入れ替わり)があるのなら、より楽しく局面のある人生を選択した方がいい。
楽しく、喜びに満ちたものを探しに出かけよう。
それが嵐を乗り切るエネルギー。
それは待っていても来ない。
嵐を乗り越えた先にあるもの。
人生には、うまくやっている人生も、うまくいかない人生もないのです。
誰にとっても同じ価値のある理想の人生などありません。
あなたの人生は、あなたにしか作り上げることはできない。
平凡な人生など存在しません。
あなたにとってのみ価値のある人生を探して下さい。
テレビにもネットにも、周囲にも影響されない、オリジナルの理想を。
(セッションより)
芸術家や、芸術を希求し指向する人は
お互いに政治的でない限り
人種や国籍を問わず世界のどんな人とも仲良くできます。
政治的でないといっても、それは芯がないということではありません。
いろんな政治信条があり、哲学も違います。
宗教も。もちろん歴史認識も。
当たり前のことです。
そういう違いを乗り越えて
というよりも、そういう違いを言葉や態度で表してみたり
自分と違う立場である相手の領域に踏み込むのではなく
芸術という共通の言語を通じてのみ会話する能力。
真の芸術家には、そういう能力が備わっています。
愛、美、富、平和、調和、健康、喜び、自由
これらを希求して止まぬ姿勢、生き方こそが芸術の姿。
これを求めて戦い抜く限り
芸術は決して死なない。
芸術家はそのお手本にならなければならない。
特定の政治思想に自分を染めることなく
常に自由であらねばならない。
政治思想、体制、因習や常識や、ルールやモラルからもさえ
自分を解放して、真の自由を希求しなければならない。
逆に、ひとたび政治的な自分を決めてしまえば
芸術はたちまち光を失い
創造はただの手慰みに変わってしまう。
果ては芸術家本人もルサンチマンの犠牲となり
攻撃と防御に汲々とし
愛や美は見えなくなってしまう。
だから
芸術家は、何事にも支配されず
誰にも支配されず
その代わりに何事も、誰をも支配しない。
敵は他者にあらず、自らの心の中にあり。