「書く」ということの衝動というのは、どこかリビドーのような部分があって、まあ知的作業なのでリビドーとは違うんだけど、とりあえず知的なリビドー的な部分があります。
他にやることがなかったりすると、世の中や自分の身の回りに対して何か言いたくなる、何か言いたくなるけれど、実際に言ったりするとまとまらなかったり、あるいは人間関係になんとなく齟齬が生まれたりするから「書いたほうがいいや」ということを分かっている人は、なんか書くのです。
それは日記だったり、SNSだったり、ブログだったり、あるいは小説だったり漫画だったり……それぞれ。
逆に忙しくてリアルで手一杯だったりすると、何も生まれない。書けない。
あるいはツイッターなどで一日のうちにちょこちょこ書いたりしてると、これもまたまとまった文章が書けなくなる。短文を書くことで自分の知的リビドーのエネルギーが発散されちゃう。満足しちゃう。
さて、これを逆にして考えてみます。
何かしたいけれどそのエネルギーがない、あるいは何もやれることがない時は、その時の思いを書いてみれば良いのです。
誰に見せるでもない、プラスとかマイナスとか、良いとか悪いとか考えずに、世の中に対して思ってること、人に対して思ってることを書いてみる。
まとまった文章が書けなかったら、散文や詩でもいい。
何かしたいことがあったとして、今の自分にはいろんな理由でできなかったりする。でも「それができない」ということは、「それに対する思いが強い」ということでもあります。
だからその思いを文章にしてみればいいんです。
そして自分で書いた文章を、あとから読み返してみる。
意外といいことが書いてたりする。
「へえ!」と感心することもある。
その時の思考に驚くこともある。
そしてその先には、自己を中庸に導く力が働いていることに気がつくのです。
それは心身のバランス。
どちらかに傾くと、辛い。
でも傾いたら、バランスを取れば良い。
文章を書くということは、このバランスにとっても良いことなんです。