2023年12月19日火曜日

祈り

【祈り】

誰かの幸せを祈る時、全身全霊で祈って

それが成就することを

僕は祈った瞬間にもう知っている


人知れず暗闇で祈り、祈り、祈り

わずかな光の中で筆を走らせる


ある日突然、絵が描けなくなるかもしれない

やり残しはどんなに理想的な去り方でも免れない

それでも後悔だけはしないように描く

そう思いながら、描く

祈りながら、描く


僕の祈りと心の模様は必ず絵に現れて

光を放ち、誰かを幸せにしたり

希望の灯を灯したり

愛を伝えて広まってゆく


そうして僕という存在は消え

愛だけが残る

希望だけが残る

笑顔だけが残る


残されたわずかばかりの命は

あなたへの愛と引き換えに

燃えて絵となる


2023年10月31日火曜日

寓意性

【寓意性】

作品を鑑賞し味わう上で、様々な「鍵」となるワードがあります。それらは鑑賞側としてだけでなく、自作と向き合い再解釈し、理解と次作への橋渡しとなるインスピレーションを読み解く上でも有用なツールとなり得ます。


以前にも音が聞こえたり匂いがしたり、浴びるとか、いろんな鑑賞の鍵を紹介してきましたが、もう少し分かりやすいものを一つご紹介したいと思います。


それは「寓意性」です。古今東西の作品の数多くに仕込まれており、アートを語る上では重要かつ割と取付きやすいキーワードです。


「寓意」とは、「隠された意味」「描かれているものによって象徴される教訓、真理的問いかけ」と言ったような意味です。


イソップ童話は「寓意性」に満ちた物語として有名ですが、アート、絵画にもまたその寓意性が込められた作品が数多く存在します。現代アートで言えばバンクシーがその代表と言えるかもしれません。


マスクで顔を覆った暴徒が投げようとしているのは火炎瓶ではなく花束であるというのは、それが闘争や紛争、民族問題などの終わらない社会問題と対極に存在するような花束を投げ込むことで起きる変革は何か?という事を想像させます。


多くの方はそこに「愛」や「和解」を見るかもしれません。バンクシーもまたおそらくそのような分かりやすいテーマを選ぶ傾向がありますので、おそらく間違ってはいないでしょう。


アートの場合その寓意性には「作者が意図した寓意」と「意図していない寓意」の二種類があります。


前者は先に述べたバンクシーの作品に代表されるような「分かりやすいメッセージ性」ですが、後者の「作者の意図しない寓意」とはなんでしょうか?


前者が不動であるとすれば、後者は変数のようなものです。

それは時代、社会情勢、鑑賞者、展示場所、展示方法によって変わります。


先のバンクシーの作品で言えば、じつはその花束には手榴弾が隠されているかもしれないと考えたらどうでしょう。あるいは作品そのものがストリートから剥がされて大英博物館の1Fに並べられたらどうなるでしょうか。

僕ならそこに「大英帝国の歴史上のやらかし」を全て語れてしまうほどの「寓意」を見出す事でしょう。


このように同じ作品であっても、見方や捉え方で作品の意味する寓意性が180°変わってしまう事は少なくありません。





2023年10月19日木曜日

Photon

降り続いた真夜中の雨が

いつのまにか止んで

ワイパー止めて窓を開け

無音の疾走を聞く


祝福の花束を

あなたに届けましょう


それははじめ

あなたの心に灯った

小さな小さな希望の光です

しかしやがて世界いっぱいに広がるのです


世界いっぱいに広がったその光は

世界いっぱいの花束となって

あなたをすっかり包むことでしょう


祝福の花束を

あなたに届けましょう


朝露

【朝露】
夜明けと朝を知らせたい
花の盛りを知らせたい
実を結ぶのを見届けたい
役目を終えたら知らぬ間に
消えゆく朝露になりたい

2023年10月14日土曜日

無我は梵我一如

横山大観に「無我」という作品があります。禅思想の境地を描いたこの作品に初めて出会ったのは、高校の倫理社会の教科書の扉絵に、象徴的に使われていたのを見た時です。

この作品が表現するところの「無我」は、ある種の違和感と共にあったのですが、それにもかかわらず、その絵からずっと目が離せず、その後、自分にとって「無我とは」を考え続けるきっかけとなりました。

後年、梵我一如という概念が自然に実感できる出来事に遭遇してからさらに「無我」は自分の行動や、決定判断する時の規範になっている様に思います。
特にそれは自分の創作の時にとても大切な概念です。

今では無我が自分の作品作りの上では最も最上位に位置する概念、境地とも言えるようになり、無我でなければ決して現れない、飛躍の表現、運命的な縁というものに何度も出会っています。

自分の作品が無我から生まれたものである限り、自分の作品というカテゴリーから離れ、全ての人のものになるのだという安心感、感謝、なんとも説明のつかない天命的運命を感じるのです。

余計な自我を削ぎ落とし、本質の光に到達する時、僕という存在が消えて表現だけがどこまでも無限に広がっていくのを謙虚に見届けたいです。

とある方との会話の中で「作者のあり様が消える」という言葉をもらってふと思い出したエピソードでした。ありがとうございます🙇‍♂️

今日もたくさんありがとうございます。
みんな幸せに🙏

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2023年最後のサトチヒロ展、毎日12時から18時半まで、東京銀座アートストンギャラリーで10/15(日)まで開催中です。最終日は16時までです。毎日在廊しております。お早めにぜひ一度見に来てください🙇‍♂️
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2023年9月30日土曜日

色彩と陰影

【色彩と陰影】

個展のプレ公開(ご希望の方向けの予約制)が今日から始まりました。
ご来場ありがとうございました😊

その中で、色のグラデーションだけで見せる作品が、なぜ遠近法にも似た奥行き感を出せているのか、という点についての、少し理論的な説明を、何人かにさせていただきました。

普段は、理屈で自作を説明する事はありません。「入り口」まではご案内しますが、やはりアートはそれぞれの感性で見て頂きたいからです。

ただ、最近は制作背景への深掘りした質問も多くなってきて、それはそれで、肥えた目を持ってらっしゃるので、その方には喜んでその秘密を紹介しています。

ただ、その事をここで説明し始めると本が一冊書けてしまうほどのボリュームになってしまうので、詳細は直接お尋ね頂くということにして、そのさわりだけ書きますと、僕の作品は「色彩研究」と「陰影」がその土台となっています。

自分自身が他の方の作品を拝見する時も、何はともあれまずは陰影と色彩研究の立場から拝見します。良し悪しということではありません。為念。

これは、幼少期に叩き込まれた「陰影法(キアロスクーロ)」と、成長してからの、東西の巨匠達が体系化したものから学んだものが習慣化しているためです。

この陰影と色彩というのは実に曲者でして、単に付ければ良い、外せばいいとか、重視すればよい、無視すればいいというものでもなく、やはりとことん理論的なことをやらないと見えてこないインスピレーションというものがあったりもします。

アートは、恐ろしいほど感覚的ですが、同時にその屋台骨を支えているのは、その感覚を圧倒してしまうほどの理論だったりします。

音楽で言えばバッハですね(説明しないと意味不明ですが)。
バッハについては機会があったらお話しします。

自省を込めて、いつも「守離破」を意識していますが、いつもタフなチャレンジです💦

サトチヒロ個展、10/1(日)16時からプレオープン鑑賞会(会費1000円)を開催いたします。

10/7(土)11時から、横田亜季さんのワークショップがあります。
アートの楽しみ方、人生を豊かにするアートとの付き合い方、人がアートを買うとはどういうことかなどについて、ステキなお話が聞けます。参加費は3000円です。定員がありますので、ぜひご予約下さい。

2023年9月28日木曜日

誰かの人生の中にあって

誰かの人生の中にあって
力になったり
励みになったり
愛でいっぱいになったり
慈しみを感じたり
絆に涙したり
想い出になったり
悲しみを和らげたり
死への恐怖を和らげてあげたり
明日への生きる力になったり
見る人が大切にされ
迎えた人が幸せになり
その時は迎えられなくても
いつかは、と思える
いつまでも見ていたいと思える

そんなアートでありたい

音楽が一人一人にとって
そうであるように

2023年9月27日水曜日

神のスープ

【神のスープ】
四半世紀も前のことになりますが、瞑想三昧の日々を過ごしていた頃のお話です。
いわゆるまあ、境地的な状態になると、様々なインスピレーションが、禅問答のように起きることがあります。
潜在意識への覚醒的アクセス…というやつです。

その中で印象的で今でも良く覚えているのは「神(的エネルギー)は遍在しかつ偏在する」という概念でした。
もちろんこのことは言葉で現れるのではありません。概念が直接そのまま自分の中に入る感覚です。

無理やり言葉にすると、神(的エネルギー)は、スープのようなもので、私たちはそのスープの中にいる。そのスープには濃い薄いはあれど、宇宙全体に充満していて、濃い薄いは、一人一人コントロールができる……というようなものです。

ではそのコントロールはどうしたら良いのか?というのはもうピンときてる方もいらっしゃると思いますのでここでは語りませんが、その頃から僕は「善悪」とか「白黒」というものにあまりとらわれなくなり、なぜか突然ですが、老子的な思考にかなり傾いた事がありました。

それからまたいろいろ長い変遷はあるのですが、基本的に「神のスープ」感覚は今でもずっと実感としてあります。

巷ではここ十数年ほどの間に量子論と結びついてエビデンスを伴う話として一般化してきているのは面白い現象です。
おそらく同時多発的に日本中、世界中でそのインスピレーションを受けた人々がいるということなのでしょうね。集団無意識というものですね。

今日もみんな幸せに❣️

10/2(月)から、サトチヒロ個展が始まります。
ぜひ一度ご覧ください🙇‍♂️

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2023年9月25日月曜日

黄金の季節

【黄金の季節】
Gold season 
410×410/アクリル、天然水晶/2023
サトチヒロ Chihiro SATO
一つ一つの小さな毎日が
やがて黄金に輝く
あなたの季節となって
永遠に輝くのです
165000(税込、額装別)

【黄金の季節】
絶対的な美は存在せず
極めて厳格な相対性で成り立つという。

けれども一つだけ言えることは
黄金の季節に身を置く人は
感謝の念で満たされ
感謝は豊かさを呼び
豊かさは美となって輝き
輝きはまたさらに
黄金の季節を栄えさせる

…ということは、あるわけです。

アーティスト仲間の個展が盛会のうちに終了しました。あまり顔は出せませんでしたが、素晴らしい個展でした。
よく頑張りました。
そして良い空気が絶えず流れていたように思います。

個展はアーティストにとっては一大イベントであり、孤独な闘いの42.195kmの最後のトラックとも言えます。
よく「やってみた人でないとわからない」と言っておりますが、終わった達成感や疲労感のあとに押し寄せてくるのは、感謝、感謝、感謝の洪水。

この感謝の想いが、時を超えて空気感となって個展期間を包み込みます。

これは本当に不思議な経験です。

関係してくれた人、応援してくれた人、来場してくれた人の想いが一つになる瞬間というのでしょうか。

それが会期中に空気感となって作品も会場も包み込み、終了した瞬間から洪水となって押し寄せてきます。

作家のみならず、来訪者やそこに関わっていた全ての人にも起きる不思議な現象。

「良かったなあ!ありがたい😭」感覚。

作家が追求してきた「美の創造」を媒介にして起こる奇跡です。

それを味わえることは、アーティストにとって最上の喜びではないかと思います。

「自分はアーティストとしてみんなに生かされている」
この思い、再認識させて頂きました。
ありがとうございます🙇‍♂️

今日もみんな美しく幸せに🙏

サトチヒロ個展は、10/2(月)からです。
9/29,30,10/1は予約限定公開日
まだ若干の空きがございますので、ご希望の時間帯がありましたら、お知らせください。

10/1夕方から、プレオープン鑑賞会の噂があります。来ていただける方がいらっしゃいましたら、こぢんまりと。










2023年9月18日月曜日

水晶の絵に至った第3の道

 


「どうして水晶を貼ろうと思ったのですか?」この答えに、普段僕は2つの理由を挙げています。

今日は、その2つではなく、普段はあまり人に言わない3つ目の理由をお話しします。

僕は元々静物画出身ですが、好きなのは風景画でした。ただ、ある時から、カタチを取るのをやめ、見たままを描くのもやめて、見たものが自分の中で熟成されカタチを失った色の世界観を描こうと決めてから、特に旅行取材の時には、絵のための写真を撮らない、スケッチもしないという二つの原則を守るようにしています。

写真は形状や状況は正確に写し取ることが出来ますが、匂いや自分の肌感覚とはちょっと違い、そこに引きずられがちになるため。スケッチは上手く描けてしまうと、モチベーションがきれいさっぱり消えてしまい、油彩に仕上げようとすると全く勝手が違うという個人的な理由です。忘れたら忘れたでいい、形状やディテールにこだわるのではなく、空気感を表現したいという思いです。

このことはいわゆる絵画的表現の面白さとは別の概念を持たないと作品が成立しないという副作用を伴うため、初めはとても苦労しました。

ものの見た通りの形を脱する…とは印象派からキュビズム、抽象まで一貫した命題ですが、それでも巨匠達は何らかの形状に拘り、最終的には形而上的な思惟によってそれを解決しようとしました。

僕の今の水晶の絵に見られる作風は、その形而上的な捉われから脱するにはどうしたらいいんだろう?と考えた結果です。

明確な形はなくても、空間認識、肌感覚、個人的経験を直感的に呼び覚ますことができるための解題です。

水晶はそこに一役買っています。形状が曖昧になり、色が感覚的にブーストし、空気感、肌感覚を伝えてくれます。これは実際に水晶の絵に対面した方ならお分かりいただけると思います。

ただしそれは水晶以前、色による綿密な描画法あってのものです。単に「キラキラキレイだから水晶を貼れば良い」というのでは、水晶の絵はうまくいかないのです。水晶を貼らなくても成立かつ水晶を貼った時にどうなるかを予見した描画が必要です。

表題の写真はその一例で、水晶を貼らなくても成立しかつ水晶によってそれが完全化するように描いています。

この描画のために、常に自分の感覚を研ぎ澄ませるだけでなく感性の原点に立ち戻る必要もあります。

アートをやってると、往々にして美意識を拗らせたりします。音楽でもそうなのですが、知りすぎるとちょっとやそっとの「美」とか、音楽ならありきたりのコード進行に飽き足らなくなり、知的ゲームの中に埋没しちゃうのです。これは僕の絵にとっては少し邪魔になります。なるべくシンプルなコードで聴かせる必要があるのです。

美意識こじらせになりそうな時は、取材に出かけても自省のために必ず、幼少期から思春期の頃に見た風景、空気を思い出すようにしています。

素朴で知識の何もかもが不足していた時期に得た風の冷たさや陽だまりの暖かさ、空気の味、空の色……。それらは今でも、どんな人にも当たり前に身の回りに存在します。でもその中での人との出会いや、一人ぼっちで物思いに耽っていた肌感覚は、一人一人違います。その一人一人違う肌感覚や記憶を呼び覚ますものを一つの画面で表現したいと思っているのです。

僕の幼少の頃好きだった風景の肌感覚の一つをご紹介します。言語化するとこんな感じ…というものです。

☆☆☆☆☆

鬱蒼とした竹と椿の深緑の、細い市道を抜けると、赤土が剥き出しになった高さ6〜7mほどの崖が見える。その崖の脇の藪に丸い石を積み上げただけの粗末な石段を二十段も登りきると、視界いっぱいの青空と一面の野原に囲まれる。

向こうには有刺鉄線で囲まれ、白と赤で塗り分けられたラジオの中継アンテナが高く聳え立っているのがみえる。そこまで行けば、港町も望むことが出来る。

崖の上には一本の黒松の木がぽつんと立っており、そこからは赤い畑や白い家々や向こうの薄群青に光る山々まで見渡せる。

丘の北側にはなだらかな斜面が広がっている。やっぱりそこも一面草に覆われて、駆け降りて転んでも痛くないから、子供達のお気に入りの遊び場になっていた。

時折風が北の向こうの田んぼから登って来ると、丘の草原が下の方から一斉にざあっと騒ぎ立てて、その時だけ賑やかな秋の虫達の声をすっかりかき消してしまうのだった。

☆☆☆☆☆


瞑想と呼吸

【瞑想と呼吸】

先日、お世話になっているとあるサロンのオーナーとお話をしている時に、瞑想の話になりました。


いろんな質問に答えているうちに、自然に

「瞑想はするのではなくて、『なる』んです」と答えていました。


考えてみると、ここ10年ほどは意識的に「瞑想するぞ」と思ったことが一度もないことに気がつきました。


それでも日常的に瞑想感が強いのは、普段からぼーっとしてるか、いよいよ瞑想名人の域に達したのかな?とか、帰り道いろんなことを考えていました。


そしてはたと

「あ、絵を描いてる時か」と思い至りました。


最近自分でも絵が変わってきたなというか、シンプルな構図と複雑な色の組み合わせが多くなってきたのはそのせいなのかもしれないと。


それから数日後、とある伝統芸能の達人の動画に出演させてもらった折、彼が「ルーブルでモナリザを見た時は胸式呼吸、雪舟を見た時は丹田呼吸になった」とおっしゃっていました。

「サトさんが絵を描いている時はどこで呼吸してますか?」と振られて、思わず


「僕は絵を描いている時、気がつくと無呼吸になってます」と、なんともとりつく島のないような答えになってしまいました。


で、それも後から「あ!」と気付きまして。


僕の場合、取り掛かるまでが長くて、描きモードに入るまで4時間も5時間も、下手すると三〜四日「何もしてない」状態が続くことがしばしばなのです。

始まれば速いんですが、始まるまでがとにかく長い。


もしかするとこの「何もしない時間」というのは、知らないうちに呼吸を整えている時間、瞑想なのかなと。


それが瞑想といえば瞑想なのか、いや、それともただの無駄な時間なのかは分かりません。


とにかく、そういえば呼吸が整うというか、自分の波動がすっかり静かになったところで、あとは息を止めてわーっと描くわけです。


個展近くなって、また昼夜逆転してきました。


2023年9月10日日曜日

共にまだ見ぬ地平へ

【共にまだ見ぬ地平へ】

僕が画業に専念すると決めた日以来、様々な人が応援してくれました。

そして実に驚くべき事に、それは今日まで一日も欠かす事なく続いています。


作品を購入してくれるのはもちろん、個展開催のために骨を折ってくれたり、人の縁を繋いでくれたり、展示に欠かさず足を運んでくれたり、励ましてくれたり、寄り添ってくれたり、所有のサト作品をSNSで取り上げてくれたり、中には残念ながらお目にかかることも叶わなくなってしまった方もいますが、現在進行形でいまでも数えきれない方から様々な形でかけがえのない恩を頂いています。


今の僕があるのは、この方々の応援のおかげ以外の何物でもありません。

その幸運に恵まれたことを心から感謝せずにはいられません。


この御恩は、自分がしっかりとアートの地平の先を踏みしめ、サトチヒロのアートを応援していて本当に良かったと思ってもらえることでお返ししようと、日々決心と覚悟を新たにするのです。


その地平の先とはなんでしょうか。

それは

「世界のアートの中心地日本という国で、みんなと共にアートの新世界を踏みしめる」

ということです。


日本はアートの国になります。

(ポテンシャルとしては既になっている)

そして東京をはじめとする日本の各都市は、世界のアートの中心を担う事になるでしょう。


そして、作る人も見る人も、全てのアートを愛する人々が、アートによって立つ、豊かになるという社会が到来します。

それが僕の見ている「アートの地平、新世界」です。


今、僕はとても貴重な体験をしています。

これまでのような、アートが単に発表の場が与えられるとか、アーティストとオーディエンス、限られたマーケットだけの関係に留まらない、観る側、所有する側が主体となる一つのアート運動、イズムが起きつつある、アートが媒介するトランスフォーム体験です。


「なんのこと?」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。この事についてはまた機会を改めて詳しく書きたいと思います。


ともかくこの体験は、これまでの日本にはなかった、いやおそらく世界にも類を見ない、全く新しいアート文化の誕生を予期させる動きです。


この潮流は、やがて日本中に広がるだろうと思っています。いや、シンクロして各地で同時進行で始まっているかもしれません。


そしていずれ世界の美術史にページが割かれる日が来るでしょう。

日本は、パリやニューヨークに負けない世界のアートの都になる素質を十分に持っているのです。


この体験をリアルタイムでより多くの人と分かち合いたいのです。


ただし、ただ絵を描いているとか発表して見てもらうというだけでは、このムーブメントは大きくはなりません。一人一人の自然で無理のないトランスフォームが欠かせません。


僕もその一助になろうと、銀座アートストンギャラリーのオーナー先崎氏をはじめとし、アンバサダーになっていただいているお客様やアーティスト、キュレーター、またアートに直接関わらない異分野の方々、経済界や文化人の方々と、日々様々な意見交換をし、いくつかの企画も立ち上げています。


一例として、ご存知の方もいらっしゃると思いますが、今年1月から、有料ですがアーティストのためのワークショップを開催しています。


といっても描き方の教室ではありません。アーティストが創作活動を持続発展させていくためには、正しく自分のアートや考え方を知ってもらうこと、アートを応援してくれる人達とのコミュニケーション、アートの社会的役割、努力に応じて用意されたチャンスをしっかりと掴むことができる技術や考え方、意識、観察力が必要です。


まずはアーティスト自身それを身につけようと始まりました。動画の配信やイベントも行っています。どなたでもいつでも参加可能です。


それらは自分だけが身につけるだけでなく、分かち合い共有する事でさらに大きな力となります。

このワークショップの当面の目標は、これらを共有した方々が、さらに大きな流れを作って下さることにあります。


遠くないうちに、アートを作る側でない、オーディエンス、アートファン、これからアートに触れたい方のための企画もお知らせするつもりです。


まだまだ小さな流れに過ぎませんが、やがてこの「新しいアートムーブメント」が大河となって大海へ注ぐ姿が、僕にははっきりと見えています。


「共に新しいアートの新世界に立とう」


この考えに賛同して下さる方は、いつでもお気軽にコンタクト下さい。


これからもどうか変わらぬご支援、応援を何卒よろしくお願い申し上げます🙇‍♂️


2023年9月9日土曜日

創作とアンビバレンス

【優れた創作は、作家の人生のアンビバレンス(非整合性、葛藤)と無縁ではいられない】


…とはよく言ったものですが、説教臭い人生論はさておき、今日の夕飯は絶対に魚にしようと決めていたのに気がつけば火鍋屋にいたとか、ヒゲを剃るはずなのに顔を洗っていたとか、とにかく生きている限り、自分の言動に整合性がとれていることなど珍しいものです。


ベートーヴェンがゲーテの振る舞いに激怒して訣別した(※)なんてのは彼のアンビバレンスを説明するには全然生やさしい事件に過ぎませんが、彼は訴訟や難聴、借金など、あまりにゴタゴタした私生活と困難や絶望を繰り返しながら、その一方であまりに美しくそしてエネルギーに満ち溢れた旋律の数々を生み出し、それまで王侯貴族のためのものであった音楽を一般市民のための音楽にまで昇華させ、古典主義音楽を完成させました。


そんな楽聖ベートーヴェンの葛藤に比べれば凡俗中の凡俗に過ぎない僕のそれなどノミの地団駄に過ぎませんが、やはり制作していると、勝手に生まれる色彩やカタチは、自己の非整合性と戦ってる感がいろんなところで出るなあと、妙に感じ入るのです。


まあ、どんな葛藤があろうが最終的に美しいもの、自分でヨシとするもの、そして誰かを幸せにできるものに昇華されていくのであれば、何でもいいんです。


(※註釈)

当時はまだ王侯貴族からの召し抱えが無ければ安定収入が得難い時代。安定収入を渇望しながら、ゲーテの貴族たちにおもねる振る舞いに激怒してゲーテと訣別してしまうという、彼の反骨精神、反権威主義的姿勢を代表する武勇伝。


2023年9月5日火曜日

抽象化からのパーセプション変革

【パーセプション】

パーセプションとは、直訳すれば感知、主観的知覚のことを言います。要するに論理や抽象的推論なしに五感やその人の持つ認知能力によって感知される外界事象事物への認識、判断であり、それには印象も含まれます。


一方、少し前に「クオリア」という言葉が流行ったことがあります。クオリアとは例えば赤いものを「赤い」と感じ他者と共有できる感覚的体験で、これもまた抽象的推論なしに感じることのできる共感覚認知です。


この二つは似て非なるもので、クオリアは持って生まれた共感覚として各人に共通する脳の働きなのに対して、パーセプションは、多分に経験や社会的な体験、文化、時代背景に影響を受けます。そしてそれは常に変革されます。


アートは、この二つの感覚的認知を繋げて、パーセプションに新しい視野を広げていく(変革を起こす)プロセスに他ならないと思っています。


それが具象であろうと抽象であろうと関係なく、クオリアを通して表現がなされ、それを作者が昇華させて作品とする、最終的に作者と鑑賞者がパーセプションを共有しその変革を共に紡いでいけるのはとても刺激的で楽しく、深遠なる叡智に深い感謝を感じる瞬間なのです。


そういう意味で、アートには鑑賞者の存在は欠かせません。


しかしながら作者のコンセプトには、言語化出来るところとできないところが厳然としてあります。


実感として、作者側において事物事象を高度に抽象化して捉え直し、制作過程においてパーセプションの変化を自分自身に起こすことが、重要な課題と感じています。

抽象化した概念をいかに作品に落とし込んで、クオリアとパーセプションを表現できるか、いつも問われながら描いています。


アートが発展するたび、また自作もまた進化すればするほど、パーセプションへの期待、要求は高くなり、その作品の言語化は日々抽象化していきます。


独りよがりのアイデアや恣意的「エイヤッ」はもはや通用しない時代となりつつあります。

僕も半可通なアイデアで描き進めて潰した作品は数知れず。

最終的に作者自身の経験、知性、広い知見、知識の醸成が不可欠と痛感するのであります。




2023年8月25日金曜日

波動装置としての絵

小学校1年生の時に画塾に通い始め、師事していくうちに、絵を描く事は僕の幼い人生の一部になっていた。
それにもかかわらず、僕の僕自身の絵に対する肯定感は長い間低いままであった。

幼なじみや同級生は「チヒロは昔からとても絵が上手かった」と言ってくれるが、自分ではとてもそんな風には思えず、また図画工作や美術の教科書に載っている子供らしい絵だとか、中学生らしい絵とか、そういう全国レベルの子供たちの絵と自分の絵を比べてはいちいち落胆していた。

ただ、無心に描いた絵は自分でも好きだし、周囲からも賞賛される事は多かった。
時々「誰が描いたんだろう?」と自分でも訝しがるような出来の時もあった。
で、一旦それに気を良くして、もっとうまく描きたいと思って描き始めると、やっぱり気に入らない絵しか出来上がらない。

このことは長いこと自分の中での謎であり、このジレンマに小中高の間中悩み続け、そのうち絵を描くことが嫌になり、大学受験直前まですっかり中断していたこともある。

けれども、そのブランクやスランプのあとに絵筆を持ち描き始めると、自分でもびっくりするような素敵な絵が出来上がる。
決してうまい絵、自分の理想とする絵ではないのだけれども、なんとも味のある、じわじわ好きになるような絵だ。

誰でも、自分でこう描こうとか、誰かに褒めてもらおうとか、そういう気持ちが一切消えている無心の絵は、素晴らしいものが出来上がる経験を一度はしている。

もしそれだけなら「うまく描こう」をやめれば済むことである。

しかし僕はさらにその先に「自分が描いたとは思えないもの」が現れるのを頻繁に体験している。
自分が描いたとは思えないのに愛着が湧いてくる。絵が向こうから勝手にやってきて画面に勝手に描かれる。そしていつの間にかその時の自分に必要不可欠な絵になるのを感じる。
これが何なのか知りたかった。そしてそれを知ることができれば、もう絵を描くことで悩まなくて済むのだ。

そしてやがて得た一つの答えは「波動の描写」だった。

このことに僕は神秘的な何かで意味付けするつもりは一切ない。それは今も昔も同じである。ヒーリングやカウンセリング、パワーストーンを扱っているので「何か降りてきてるんですか」とか「描かされているんですね」と言うような質問を受けることもあって「そうですね」と適当に返事をすることもあるが、正確に言えばそのどちらでもない。

ただ、やっぱり僕の絵は向こうから勝手にやってくるのである。ただそのニュアンスを手短に伝えることはとても難しい。
「波動」それは一種の「ゾーン」と言えなくもないが、誤解してほしくないのは、瞑想とか坐禅とか、そういうもので短時間に得られるものともちょっと違うし、描いているうちに起きるゾーンエクスタシーとも違う。

幼少に絵を描き始めてから、今までもだが僕にとって絵を描くと言う作業はとっても億劫な出だしを伴うもので、真っ白のキャンバスを目の前にして制作作業に取り掛かるまで本当にバカみたいに時間がかかるものだ。

ところがある日突然、描きたいという気持ちが強くあるわけでもないのに、自分でも意識せず猛烈に描き始める瞬間が訪れる。やがて何時間も過集中状態が続き、画面にのめり込む。これは普通に言う「ゾーン」だ。でもその時点では何も起きない。
ここで意図を発揮してはいけない。
一段階目の無心ゾーンの時点であれこれ考えて手を加えても何も奇跡は起きない。

奇跡が起きるのは、仕掛かって一旦筆を置いてその数日後だ。

絵を見ていると突如画面にいろんなものが踊り出してくる。

その時、初めて自分がある種の波動と共振しているのを自覚する。
気持ちというより、精神の統一状態から解き放たれてなにかを手放した瞬間、絵との共振が起きている。

それから一手間だけ加える。加え過ぎてもいけない。
そうして、向こうの方から絵が勝手にやってきて画面に乗っかって作品は完成する。

「こうしてやろう」とか「こんなアイディアを試してやろう」と言うような思いは一切生じさせてはならない。経験上、そういう頭で考えた絵はろくなものにならない。これは他の人の絵にも通じる。考えた絵というのは、どこか魂胆が見えて絵が彷徨うことになる。

テーマを決めてうまく書こうとして訓練することもほとんどない。若き日のデッサンは必要不可欠だが、それにいつまでも頼った絵は、やはりつまらない。
成り行きで画面は構成され一発描きで必要なものは全て画面に登場してくれる。このパターンに気がつき始めてから、ずいぶんと絵の質のばらつきが減った様に思う。

自分のために描いているわけではないけれども、誰かのために描いてるわけでもない。ただその後、描いたその作品が、ある日、ある人のもとに迎えられて、その人の人生をガラッと変える。そのことは紛うことなく事実だ。

そういうことが近年は頻繁に起こるようになった。そういう時、僕はきっと時空を超えて、未来のその人と繋がってその人の人生を彩るために描いたのだなぁと思っている。その人に出会う前から、その人が輝かしい未来を味わうのに必要なものを描いている自覚がある。

このことは偶然でも神秘的な大きな力のせいでもなんでもない。天や神に描かされていると言うような真偽の定かでない表現も使いたくない。

自分の作品が誰かの胸を打った時、あるいは人手に渡る時、それを「たまたま」と思ったことも一度もない。全ては必然的に繋がる。

僕の絵が手元に届いた途端に人生の調子を取り戻しつつある、さる作品オーナーの姿を見て強く思うのは、そうなるのは絵のおかげなどとはもちろん言わないが、そこに至る本人の意思や覚悟、エネルギーが、僕の絵を呼び寄せて、良き燃料になった……ぐらいのことは確かである。それを起こすのはシンクロニシティであり、波動の共鳴、共振である。

僕の絵は、波動そのものを発する装置なのだ。

つまるところ、未来のその人が求めている「その波動」が自分にあれば、絵は勝手に向こうからやってくる…ということだ。

そのために常に自分の魂の波動をある部分にチューニングしておくことだけは心掛け、怠らないようにしている。そして、うまくチューニングができた瞬間、無心の制作作業が一気に始まり、完了する。



2023年8月18日金曜日

「そんなに言うならやってみろ」

大学時代、学生の間でどこからともなく、古いヨーロッパの諺と称して(真偽は分からない)こんな言葉が聞こえて来た。 「絵描き一代音楽家二代デザイナー三代」 食えるようになるまで、絵描きは一代でものになるが、音楽家は親子二代、デザイナーは親子孫三代に渡って頑張らなくてはならないと言う意味だ。 生まれた境遇や教育環境のことを指していっているのだが、いかにも「ヨーロッパwww言いそうwwww」な流言ではある。 実際には現代は、音大や美大も用意されているし、系統だった情報や知性やセンスに触れることも、その気になりさえすればいくらでもできる。一代であっても努力と才能で素晴らしい音楽家やデザイナーになっている人たちはたくさんいる。 しかしながら凡人にとっては、努力を積み重ねていくうちに、努力だけでは如何ともし難い壁というものを何度も感じることがあるものだ。 僕は早くからバイオリンやギターで音楽教育を受け、自ら進んで絵の師匠に付き、はたまた大学では工業デザインを専攻し、社会に出てからは成り行きとは言えデザイン事務所法人を長年経営してきた。 なので先述の3つのことは全部、割と本気でやってきた。その上で、あの言葉には長年反発しながら、また時には実感として「ああそうだな」と、身に染みているところもある。 自分にとってせめてもの救いなのは、現在一番力を入れている「絵描き」については一代でものになるらしい、というところだろうか(笑) 言葉の呪縛とは恐ろしい。たとえ根拠のないものであっても「そうらしい」と言う言葉に多感な10代が触れてしまえば、どんなに反発してもその言葉の呪縛から自分を剥がしていくのは、実に骨の折れる作業になる。 そんなだから僕は随分と長いことフラフラしていた。 母は、家でピアノを子供たちに教える仕事をしていたから、二代目の僕は音楽家にはもしかするとなれたのかもしれない。 実際、妹の方は難関と言われた音大のピアノ科を卒業し、主婦となった今でも細々ながらも音楽の仕事を続けている。 本人は才が無いと自分で言っていたが、高校時代に彼女が弾くショパンの「幻想即興曲(嬰ハ短調)」には、間違いなくショパンの熱情が映り込んでいた。 「映り込むぐらいじゃなれんのよ」と言われそうだが(笑) しかし、兄の僕はといえば音楽は聴くものであって、世の中で要求されるような音楽を作る才も演奏能力も、どんなに努力しても人並み以上に上達する事はなかった。 父は、公船の機関士だったが、僕が物心ついた頃には、陸に上がり実業高校の教師となっていた。 僕が大学に入り、得意な絵画の方に進むのではなく、工業デザインを選択したのは、父の背中を見ていた影響かもしれない。 しかしお世辞にも優等な学生とは言い難く、大学に入ったらやめようと思っていたはずの音楽を、友人に誘われるまま再開し、次第にバンド活動に耽溺、4年間をほとんどデザインとは無縁の状態で過ごしてきた。 それでも音楽家にはならなかった。いや、なれなかった。 2年間の教員生活を経て、とうとう僕は大学まで行かせてくれた父に「教師は続けたくない」と告げた。 僕にはやりたいことがあった。 父はと言えば、終戦後ソ連軍の占領下にあった樺太から命からがら引き上げ(ソ連から見れば逃亡、見つかれば銃殺かシベリア送り)、下北半島の不毛の開拓村で掘っ立て小屋から再スタート、さらに一家を助けるために漁船員になり、そこからさらに苦学しやがて公船の機関士になり…という、戦後復興日本を絵に描いたような苦労人であった。 そんな苦労人の父は、子供の勉強や努力といったものに対して実に手厳しい人ではあったが、不思議と僕の進路については「ああしろこうしろ」とは言わなかった。 母にとっては随分と希望や失望もあったろうが、父は「やりたいことがある」という僕に「そんなに言うならやってみろ」と言ってくれた。 おかげで僕は随分と自由に自分の人生を考えられるようになった。もちろんその自由と引き換えに失うものも多いことは分かっていた。 自由とは自己確立と自己選択である。そしてその選択には責任やリスクがついて回る。困難も失敗も織り込み済みである。それを跳ね除ける強靭さも要る。 父は自由に自分の人生を選択できる境遇には無かったが、自己の存立、確立のために、絶えず自己選択し、境遇、環境と闘い抜いて、最終的に「教師」という地に到達して来た人である。教師となってからも随分と武勇伝はあったようだが、僕の知る限り概ね平和で穏やかな後半生である。掛け値なく、境遇を跳ね除け人生の闘争に勝利した人生であった。 しかし彼は「人より何倍も勉強した」とは言っていたが、決して「苦労した」とは自分で言ったことがない。 そんな父の「やりたいようにやってみろ」という言葉を放つ目は決して甘い親の優しい目だったわけではない。 時代環境に翻弄され、闘争の連続であった自分の時代とは違う意味で「用意された環境を捨てるなら、お前も自力で闘ってみろ」と言ってくれたのだと、僕は今でも思っている。 前述したように、その後の僕の自由は、謳歌だけでなく常に失敗や困難と背中合わせだった。失敗の多くは自分の覚悟の足りなさから来るものが断然多く、父のそれに比べたらまだまだ甘いのは重々承知だ。 しかしそんな迷いや困難の数々も、月並みな言い方で言えば見事なまでに点と点が結ばれて線となり、今や気付けばそれが広大な多角形を作り出して、僕の創作や人々へのささやかな貢献に、多大なベネフィットを与えている。 結果的にそれらは失敗でも困難でもなく、乗り越えた先の僕の大切な財産となったのだ。 今僕は、人としての喜びも痛みも恥も哀しみも人並み以上に味わうことができている。 覚悟というものの本質についても今では少しは分かるようになり、あの時決断しなければ到底到達できなかったであろう人生観や哲学にも幸運にも出会うことができている。それが自己創作の深部に多大に貢献していることは疑いの余地がない。 そしてそうし続けて来れたのは、自己選択とそれに呼応して節節に助けてくれた人々のご恩の結果である。 そう感じた時、僕は初めて父が歩んで来た場所の一部に自分も足を踏み入れられたような気がした。 人とは結局、それぞれに与えられた境遇や宿命を自己確立という意志の力でねじ伏せ乗り越えていく存在に他ならない。 そこに時代も環境も関係ないのである。 どんな境遇に生まれようと、人は自己責任を全うし自己選択する限り、一代にして自己を確立できる。しかしその人が背負うものの重さはその人にしかわからないし、誰も代わりに背負ってくれる人はいない。それを教えてくれたのが父のあの一言であった。 結果、迷いも失敗も全て誰のせいにすることもなく自己に帰することで糧とし、また「苦労した努力した」などと吹くこともなく済んでいることは、本当にありがたい事である。 迷い戸惑い乗り越えた先に見えるものの価値は、本人にしか分からない隠された宝石である。 達成や喜び、また逆に困難や岐路に立つ度、偉すぎな父を思い出しても、俯く事なく少しはそう思えるように、最近は、やっとなってきた。

2023年8月11日金曜日

ジャッジ

善or悪、高いor低い、良いor悪い、陽or陰、白or黒、幸運or不運、清いor汚い。
分けてしまえば、それはそのように振る舞い、そうでない方を憎悪する。
しかし、実際には二値とはプロセスに過ぎない。

ひとつのものが全く異なるいくつものプロセスを通り、一つの結果に帰結する。

プロセスに気を取られそれを観察、ジャッジしようとすれば、一つのプロセスを結果のように受け取ることしかできない。


だからジャッジしてはならない。
観察してはならない。

みな一つのところに行くのだから。


(2004年「セッション」より サトチヒロ)

2023年7月6日木曜日

Rattray's SIR WILLIAM



ラットレー・サー・ウイリアム

使用葉:バーレイ、ケンタッキー、トルコ、ヴァージニア
原産国:デンマーク(UK OEM)
価格:2450円/ 50g(2023)

久しぶりのパイプ葉レビュー。常喫葉はレッドラパリーやブラックマロリーなど、ラタキアが強く舌荒れの少ないものを選んでいるので、ケーシング系は久しぶり。ウイスキーでケーシングしているらしい。生葉の香りはウイスキーというより、ナツメを思わせるような甘いフルーツ感。「桃山」も思わせる。開缶直後、香料系と勘違いし「しまった」と思ったが、それほど人工的な匂いがするわけでなく、ケーシングによる熟成香のようで、これはこれで楽しめる。

葉様はリボンカット。この手を「レディラヴド(フレークをすぐに喫える状態にほぐしたもの)と形容する人が最近増えているが、レディラヴドはリボンカットとはそもそも製造工程が異なる。どちらがこの葉の状態として正しいのかはわからないが、僕的にはこのSIR WILLIAMはどうみてもミクスチュアの「リボンカット」である。

前評判として「火持ちが良い」とのことで期待したが、期待ほどの火持ちの良さは感じられなかった。燃焼が速いのでそう感じるのか、むしろ油断しているとやや大げさにドロウ(吸い)&ブロウ(吹き)を要求されることがある。それは舌荒れを誘発するし、ラフなブロウは灰が飛びがち。
この辺は圧縮して熟成の進んだ火持ちの良い葉には一歩譲る。

喫味はやや若いが癖のない穏やかなバーレイ種特有の渋みとタバコ感、ヴァージニアの甘みがほどほどにあり、「ウイスキー」というよりは「ラム」っぽい。もしかするとシェリー樽のウイスキーをイメージしているのかもしれない。その香りをもっともよく味わえるのは、ブロウのアロマだ。決して濃厚ではないが複雑なブレンドでありながら深すぎない、タバコらしい芳香が好ましい。

喫後は甘さが舌に残り、余韻を楽しめる。喫後の甘さといえばマーリンフレークだが、マーリンフレークほどではないにしても優しい甘さを楽しめる。

バーレー種特有の煙臭さに好き嫌いが分かれるかもしれないのと、燃焼が速すぎて舌荒れを起こす危険性を除けば、自然な雰囲気のケーシング葉を楽しめる良品だと思う。

なぜかラム酒が合う。

  • 生葉芳香 弱←○○○○○○○★○→強
  • 甘  み 少←○○○○○★○○○→多
  • 味の濃淡 淡←○○○○★○○○○→濃
  • 熟成感  若←○○○○★○○○○→熟
  • アロマ  淡←○○○○○★○○○→濃
  • 満喫感  弱←○○○○★○○○○→強
  • 舌アレ度 弱←○○○○○○★○○→強
  • 火持ち度 悪←○○○○○★○○○→良
  • 常  喫 無←○○★○○○○○○→有
  • 個  性 弱←○○○★○○○○○→強
  • 2023年6月24日土曜日

    アーティストの本質

    アーティストになりたがったり、憧れたり、「やっとアーティストと自称できるようになりました」とか目をキラキラさせて言っている自称アーティストが後を絶たないが、アーティストなんてそんなたいそうなもんじゃないし、そもそも憧れてなるようなもんじゃない。絵師やイラストレーターになり損なったヤツが仕方なく堕落してなるようなものだ。

    自分を律して研鑽を積み、誰にも負けない努力と才能を勝ち得た者は、絵師として社会に認められ、社会の一員として真正面胸を張って生きるのだ。
    それができずに、堕落し、社会の規範から逸脱し、批判と蔑みの中であえぎ、怠惰とその改悛の中にのたうちまわっているような人間こそがアーティストなのである。

    「私は模範的にきっちりとやっております」というようなのはアーティストでもなんでもない。

    だが、アーティスト諸君よ。悲観してはならない。堕落し、規範から逸脱し、社会からつまはじきにされ底辺であえいでいたからこそ見える美の世界と言うものがある。
    その美の世界こそが、日々つましく努力をして家族や社会や国に貢献している人々の視点を変え、生きる活力と励みと癒やしを呼ぶのである。真面目に生きている大半の人々の哲学に大きな影響を与える力を持つのである。

    常識にとらわれず、常識を破り、道徳から離れ、本来の人間をむき出して生き、そしてその結果苦しみ、泣き、叫び、笑い、倒れる。その中からこそ、本当の人間の真髄、本質、生き様、愛、執着、そして生命力と言うものが生まれるのである。

    そしてそんな劇物のような人生から生まれたからこそ、作品たちは光を放ち、価値観や視点の変革を促し、人類全体が良い方向に進んでいく清らかな流れとなることができるのである。

    堕落せよ、そして描け、作れ。描き作ったら広く世に知らしめよ。人々の手に宝物として手渡すのだ。価値を上げろ、人気を獲得せよ。それが影響力である。どんなに優れた作品であっても、広く世に知られなくてはこの世に存在しないのと同じなのだから。


    2023年6月15日木曜日

    じくなし

    父から見れば、僕はずっと半端者だったと思う。
    子どもの頃、妹が貰ってきた兎の小屋を作ろうと勇んで作ってみたものの、グラグラするし扉は閉まらないわで使い物にならず、父が作り直して立派なのを完成させた。
    父は舟釣りが好きで、自分で釣り船を持ち、だいぶ沖に出ていた。僕にも釣りをさせたくて日曜日のたびに連れて行ってくれるのだが、僕は外海に出るとすぐ船酔いするので、その度に釣りが中断させられるのだった。ある日父はとうとうしびれを切らし、近くの島の無人の浜に僕を半日置き去りにして、半日帰ってこなかったこともある。それ以来僕は父の船には乗せてもらった事がない。子どもの頃はそんなことがある度に「じくなし」(不器用で根性のない役立たず…樺太時代の方言)と言われたものだった。

    成長してからの僕は、何かやりたいことがあってもほとんど父母に相談したことがない。覚えているのは、教師を辞める時だけだったように思う。それでも二人の猛反対に遭うことは分かっていたから、半ば事後承諾のような形で辞表も出し、後戻りできない状態にしてから言う、父母からすればとても相談なんて言えたものではなかった。

    こんな調子で言い合いならまだしも、父とは取っ組み合いに至ることもあった。
    高校生の頃、組み伏せられた際に勢い余って父の親指を思い切り噛んで離さなかった時は「おい!母さん!警察呼べ!」とまで言わせた。

    こう書くとまるで高圧的な父とそれに反抗する息子の険悪な親子関係を想像してしまうが、事実はそうではなく、普段の父はいたって穏やかな人である。

    思い返すと、自分が何かをしたい時に決まって反対するのは母であり、父はその相談を母にされて渋々僕の話を聞くというのが始まりだった。

    ところがその度に母が横からヤイヤイ口を挟むので、次第に僕の方が感情的になり声が大きくなる、それを父が叱る、僕が激昂する…というのがだいたいお決まりのパターンであった。

    最終的に僕のやりたいことを認めて庇ってくれるのは、母ではなく、いつでも父であった。

    それがどんなに見込みのないと分かっているものであっても、父自身の希望とは違うものであっても、全く理解のできないものでも、最終的に「分かった。そんなに言うならやってみろ」と一言だけ言って終わる。

    そんなことで僕は随分と好き勝手をやらせてもらった。それが思うように成果を出せなくて苦しんでいても、何一つ教訓めいたことも言わずに、帰省で顔を見るたび言うのは「どうだ?」「がんばれよ」だけだった。
    そして決まって母に「ほんとにお父さんは甘いんだから!」と叱られて小さくなっているのだった。


    2023年5月14日日曜日

    フィルム写真の表現ベクトルが…


     巷ではフィルムカメラのリバイバルブーム、僕も去年ぐらいから再びフィルムカメラで写真を撮り始めています。

    使っているフィルムカメラは1950〜1970年代に作られたマニュアル機種が中心です。


    撮るものの明るさに合わせて露出を合わせ、シャッタースピードを選び、そしてピントを調節しないとちゃんと写りません。そんな不便なカメラです。


    1990年代ぐらいまでならフィルム写真は生活の一部として当たり前でしたが、仕事でデジタル一眼を使うようになってからは、すっかりデジタルに取って代わられたかのように思って放置したり処分してしまっていました。本当にご無沙汰でした。


    「ちゃんと写って当たり前」のiPhoneやデジカメから、設定や操作をちゃんとしないと写らないフィルムカメラを久しぶりに扱ってみて、いろんな発見があり、改めて絵画と写真のことについて思いを馳せています。


    絵画と写真の関係は古く、19世紀中頃から20世紀初め頃までには既に、肖像や記録など、それまで絵画が担ってきた実用的部分の多くを写真が取って代わられようとしていました。


    このままでは「絵画の存在意義がなくなるのではないか?」そんなアーティスト達の危機感の中「写真にはできないことをやろう!」と奮起して生まれたのが、写実から離れた印象派であり、抽象絵画や表現主義、抽象表現主義と言われています。


    今ではそんな古典的対比などは遠い昔の事になり、写真は写真、絵画は絵画の存在意義をしっかりと確立しています。


    そればかりか、写真はデジタル化し、アートはCG全盛からさらにAI進化大爆発の時代へと進み、写真も絵画も、彫刻でさえも、もはや手業そのものが存亡の危機に瀕している言っても過言ではないかもしれません。

    手業に一体どんな意味が込められるのか、アートそのものの存在意義が再び疑念の霧の中に迷い込んでしまったようです。

    新しいテクノロジーの登場による危機感と閉塞感。人間の意識の変革を余儀なくされる状況。アートだけではないですが、アーティスト達を取り巻く環境は1800年代末ととっても似ていると思います。

    話を戻します。
    フィルムカメラを使っていて面白いのは「絵画と写真」を比べながら撮るのではなく「デジタル写真表現とフィルム写真表現の違い」に主眼を置いてファインダーを覗いている自分に気づいた事です。

    はじめのうちは、軽く

    「やっぱりフィルムは面白い」

    そのぐらいに思っていました。


    でもフィルムの本数を重ねていくうちに、次第に頭の中にもやもやするものが広がっていくのを感じました。

    どうも失敗した写真のほうが面白い。


    それは昔なら「ヘタクソ」とか「ダメカメラ」と言われたもの。


    逆に、80年代のように…つまりきれいに撮ろうとすればするほど、つまらない。


    僕自身は、平面による表現……絵画(水彩、油彩)、写真(デジタル、フィルム)、CG(ベクター、ラスタ、3Dモデリング、レンダリング)の全てのスキルを一通りやってきているので、それらの区別は「画材と結果の違い」ぐらいに思っていました。そして

    「自分はいざとなれば何でだって創造表現できる」

    という一本ベクトルの自負みたいなものすら感じていました。

    普段、私達はデジタルもアナログもどちらも「同じ写真」として見ます。ところがいざ意識して表現を始めると、両者(フィルムカメラとデジタルカメラ)は似て実は全く非なるものになります。覗いてシャッターを切る世界は全く同じでも、現れくる世界観は全くの別物になることもあります。そこに意識を集中して撮っていくと、両者の世界観には大きな違いがある。


    デジタルとフィルムで撮れるものの範囲は重なってはいるが(しかもそれらの多くはデジタルが圧倒的に凌駕しカバーする)、デジタルではどうしても表現し得ない、つまり両者が全く重ならない部分も未だにかなり多いんじゃないか?ということに気が付き始めました。


    これって、写真と絵画の違いにそっくりじゃないか!


    ダイナミックレンジの問題ではなく、表現し得る色、空気感、間合い……つまり「自分が見ているものとは何か?」という、表現ベクトルが全く違うのです。


    画材の違いは結果の違いを生み、それは表現の世界観まで変わります。鉛筆でしか表現し得ない世界、絵の具でしか表現し得ない世界……。


    僕も「写真では絶対に表現し得ない表現」を追求しているうちに「水晶」に出会いました。写真やCGで表現できるものは、わざわざ油彩で表現しない。僕のずっと変わらない矜持です。カッチリしたスーパーフラットは油彩で表現するよりアクリルや、あるいはイラレ(Adobe Illustrator)で表現したほうがずっと良い。


    ところで、デジタル写真はフィルム写真のダイナミックレンジなどとうの昔に易易と乗り越え、ときには肉眼さえも超えています。


    ところがそうなればなるほど、フィルム写真にも、デジタルカメラが逆立ちしても決して捉える事ができない空気感、感情の機微の表現があるということがわかってきました。単なるノスタルジーだけではない、アナログにありがちの不思議な空気感。いや、本当のところフィルムによって本当は一体何が表現できるのか、析出できるのか、まだまだわかりません。可能性は全くの未知数です。

    ただ、フィルム写真全盛の時代はあまり顧みられず「失敗」と片付けられていたものが、まだまだ眠っている気がします。

    実際、新興のフィルムメーカーは、以前には考えられなかった「色転び」(CMYKのどれかに極端に偏った色の写真になること)や極端なコントラストを意図的に作り出すフィルムなども発売されています。

    とにかくフィルム写真はデジタル写真に取って代わられるのではなく、デジタルでは表現しきれない独自の表現世界を構築していく段階にある。印象派前夜の油彩のように。
    そうチャンネルを切り替えてフィルム写真と付き合わないと、フィルムと付き合っている意味がないぞ…と。

    そう感じています。

    アーティスト目線でいうと、絵画〜写真〜CGは、描画や表現方法の違いのみならず、それぞれによる独特の世界観表出の結果同士が、お互いに影響し合いながら補完し、自分自身の意識そのものを変革させてそれぞれの表現方法に影響しています。そこにフィルムも加わった…のです。


    前世紀の(写実を一心不乱に目指していた)フィルム写真全盛期にはちょっと考えもしなかった事です。前世紀は「写真」とはフィルム写真のことであり、無邪気に「絵と写真は全くの別物」として考えて良いのでした。

    だから、シンプルに自分は表現するのに絵筆を持つのかカメラを持つのかを選択するだけで良かったのです。

    けれども、デジタルが当たり前になり、肉眼や視覚を超えた表現までを写真が担うようになった今、フィルム写真で捉える世界は、それとは異なる、いわゆる従来の概念でいうところの写真とは違う分野を担う可能性を秘めている、と感じるのです。





    2023年3月4日土曜日

    アートとデザイン、後日談

     以前の記事(http://mixchihirosato.blogspot.com/2022/11/blog-post.html)で、アートがデザイン化しているというような話を書きました。

    デザインは初めから市場がありきで用途がはっきりしており、役に立つものは重宝されるが役に立たないものは淘汰される、アートは市場関係なく存在するけれど、近頃はアートの市場化著しく、どうもデザイン化している…というようなお話でした。

    後日談…というか補足です。

    まあ、こういうことを言ってる時の、大方の訳知りによるアートとデザインの区分けというのは、今のマスマーケティング全盛の時代における既成概念、便宜上の区分けで使っているに過ぎません。

    アートとデザインとの間には、本来は壁などありません。

    歴史的に見れば、アートが複製技術の進歩により大量生産できるようになった結果が、デザインだというだけの話なんです。で、アメリカ式マーケティングがグローバルスタンダードになったところで、デザインが高度理論化した、それに追従することを拒んだ、あるいはついていけなかった売れないデザイナーが続々と純粋アーティスト参入した……とは言いすぎかもしれませんが、まあそんなもんです。

    アーティストの中には小難しい理論をひりだしてなんとか明確に区分けしようとしたりする人も後を経ちませんが、大方おそらく彼等が共通して言いたいのは、「アートはデザインより偉いんだ!」ということぐらいだと思います。

    しかしながらアートの社会性というのは、そんなに狭い場所で優劣や上下関係をつけられるものではないのはみなさんご存じの通りです。

    今や世界的な偉大なアーティストである葛飾北斎が生きている間、「俺はアーティストであって絵師ではない!」などと叫んだという記録や状況はどこにもないのです。

    信仰の対象であったはずの仏像が文化遺産としてだけでなく、アートとしても価値を認められ、フィギュアすら販売されている、もう、時代が進んでしまえば文化的成熟を担う、貴重な財産となりうる。

    デザインも骨董も博物もアートも区別などないのです。

    つまるところ、たった1.5世代で染まってしまった我々アメリカンマーケティング世代の価値観で見れば峻別できるアートとデザインなる分類は、長い長い人類の歴史の中では、全く無意味な分類というわけですです。

    逆に、今の「現代アートのデザイン化」現象を純粋にアーティストの視点から眺めたとき、むしろアートへの需要(必要性)がより高まり、またパーソナル化(あるいは消費財化)している現象なのかな?と僕は、あの時とあの後、ぼんやりと考えたのです。

    「アートにも市場論理は働いてるんだ」という、考えてみれば全く当たり前の事実に、ハタと気づいて愕然としたんです。



    しかも長い年月で俯瞰してしまえば、アートとデザインの区分けなんて、もっと意味ないんです。


    やっぱり人は自分の作るものが人類の役に立ってくれることが嬉しい。

    複製すら自由自在ですし、複製を前提にしたアートもどんどん出てきています。

    ただ、旧来のやり方で歩んできたアーティストにとってはなかなか厳しい状況かもしれません。アートに瞬間風速が必要になってきてますし、トレンドの移り変わりもずいぶんと加速し始めているように思います。

    そんな中、遅まきながらグッズ販売等に手を染めてらっしゃるアーティストもいらっしゃるようですが、若い頃から市場論理に揉まれてきたわけでもない方は、ずいぶん苦労されているようです。

    個人的には「タダで配っちゃえば?」って思うこともありますが

    あれ?

    「自分の作品は決してタダで配ってはいけない」

    という一家言を持つ僕が何を言ってるんでしょうね。

    外注した複製グッズはアートではない?

    ま、アーティストのこだわりなんて、そんなもんです(笑)

    僕の作品?

    複製は難しいです。







    2023年2月26日日曜日

    ミノルタA5(Rokkor-PF 1:2 f=45mm)

    カメラ弄りは瞑想なんです(笑)

    僕は、どうもメインの活動以外に、何か機械物を弄ってないと人間がダメになるようで、子供の頃から、年の離れた親類兄からお下がりで譲ってもらった大量のモーターやプーリー、歯車のガラクタで、何時間でも飽きずに遊ぶことが出来ました。

    しかし、あのガラクタは一体何の部品だったんだろう?

    大人になっても、時間に余裕のある時期は、割としょっちゅう、クルマのボンネットに頭を突っ込んだり、下に潜ったりが日常でした。

    ただ、ここ数年はそんな時間は全く取れなくなりクルマも構ってやれなくなりました。年齢的にそろそろ腰も心配だし。

    で、今はほんの僅かの時間を見つけて何をやっているかというと、たいてい、昔の機械式のカメラをいじり倒してます。

    機械をいじるというのは、主に直す、つまり分解したり修理したり調整したり磨いたり。。。という作業になるのですが、まあ、たまに壊してしまうこともあります。

    ただその間、頭はそのことだけに集中して、雑念がどんどん消えていきます。一種の瞑想状態。ずっと弛まないネジのことだけ考えてたり、歯車のリンクで脳の中がいっぱいになったり。


    さて、写真は「ミノルタA5」。1960年発売という昔々のカメラ。






    当時活躍していたデザイン事務所「KAK」によるデザイン、とてもスマートな外観です。

    去年、いじり素材として、無差別に入手した何台かのうちの一つ。

    当然、シャッターは切れず、レンズはカビだらけ、距離計もデタラメという典型的ジャンク。

    ところがよく見ると、レンジファインダーカメラではついぞ見たことのない「1/1000秒」というシャッタースピードの文字が。


    一眼レフとは違い、レンジファインダーカメラ〜横についた覗き窓でピントを合わせるタイプのカメラ〜は、その構造上、あまりシャッタースピードを上げることができません。高くてもせいぜい1/500秒まで。

    シャッタースピードが速いと何がそんなに嬉しいんだい? という話ですが、まあ、珍しいかな?ぐらいですか、そんなに大したことじゃないんですけどね。

    でも技術的には割とすごい。
    世界的に見ても珍しい。

    僕は同じ構造のシャッター(レンズシャッター)で1/1000秒というのは、トプコン(東京光学)以外に見たことがありません。

    こういうのに、男子は弱い。

    さらに、ネット等でいろいろ調べていくと、この個体自体、まあまあ貴重なバージョンなことも判明。

    特に、レンズにロッコールPFという、ちょっと贅沢で明るいレンズが付いている。

    あゝもう……壊しちゃダメなヤツだ。



    かつて、「開放値1.7」という超希少なレンズを持つマミヤのレンジファインダーカメラを、元々壊れ癖のある機種で相手が悪かったのもあって、いじり壊してしまった苦い過去を持つ身としては、このカメラはなんとしても復活させてやらねばなるまい。

    レンズ掃除、シャッター部、絞り羽根やシャッター羽根など一通りの整備は順調でした。

    スローシャッター部(1/30秒より遅いシャッタースピード調整のユニット)の調整にはやや手間取りましたが、それも数日の格闘の末、問題なく動くようになりました。

    いや、なったかに見えました。

    どうしても「B」が使えない。

    Bというのは、バルブの略で、シャッターを押した分だけシャッターが開いているモードのことですが、が1/30秒と同じモードで切れてしまうのです。


    ま、夜空とか森とか海とか撮るんでない限りは使わないので(あとはレンズの清掃の時に使う)普段使いには全く支障はないのですが、「せっかく外観は綺麗だし、直してヤフオクに出したい」というささやかな野望も芽生えてきたところでした。

    よし、直そう。

    詳しい方は既にお気付きでしょうけど、機械式カメラでBが使えない主な原因はだいたい

    「髪の毛ほどの小さいバネが折れて飛んでいる」


    湿気と経年変化による破損です。

    バネには昔から泣かされてきました。クルマでも、小さくてかつ、バネレートのシビアなスプリングが折れて、その部品の欠品で泣く泣く終了。。。とか。

    スプリングには寿命があるんですよね。
    こんな髪の毛ほどの部品が欠けてるだけで、機械はまともに動かなくなる。

    クルマを弄ってる頃は、特注バネを作ってくれる業者を探し当てたりとか、工場見学に行ってみたりかなりアクティブでしたが、今やそんな暇はとてもとれない&千円のジャンクでそんなこともしたくない。

    部品取り用のジャンクを別途手に入れるのももったいない。

    シャッター部品の周囲を小一時間いじったり眺めたりしていると、どうもバネレートはそんなにシビアではなさそう。

    とりあえず、普段は軽めに押さえてくれて、Bの時だけちょっと戻ってくれればよい、という結論に至り

    「ええい、作ってしまえ」

    ピアノ線を買いました。

    オリジナルはおそらく0.1mmだと思うけど、レートが曖昧でいいなら、0.2mmでも、焼き入れしないで使ってそれなりに働いてくれるはず。

    細いピアノ線は、焼き入れすると脆くなってしまうので、かえって素人仕事は危険なのです。

    シャッターユニットの中に破片が落ちたりでもしたら、それこそ回収不可能、機能不全になる可能性もあります。

    なので、焼き入れなしでも復元力を長期間保てるように、やや太めの線を選択するのがコツです。



    長めに切ったピアノ線を、精密ドライバーのシャフトに巻きつけて、グリグリとペンチで引っ張って手曲げです。

    それを制御アームに慎重に絡ませてやる。

    うまくいきました。
    大成功です。


    同時期の他社カメラに比較すると驚異的に調整の難しい無限遠調整(距離計の調整)もなんとかこなし、ミノルタA5は完璧な状態になりました。

    ヤフオクやメルカリに出せば、「調整済み、完動美品」というコピーを入れられるレベルです。

    そして、ロッコールPFは、ネットに載っているロッコールTDの数多の作例みたいに、緑に転ぶこともなく、ロッコールの面目躍如たるとても美しい撮影を見せてくれました。

    ただ、好みから言うと、狙ったコントラストにやや踏ん張りが足りないかもしれません。

    この辺は、後年登場する名レンズ「緑のロッコール」の絶妙なバランスに比べると、時代を感じるところです。

    さて、ヤフオクに。。。と思いましたが、試写したらすっかり愛着が湧いてきて、当分は手放せなさそうです。

    作例↓