2023年2月26日日曜日

ミノルタA5(Rokkor-PF 1:2 f=45mm)

カメラ弄りは瞑想なんです(笑)

僕は、どうもメインの活動以外に、何か機械物を弄ってないと人間がダメになるようで、子供の頃から、年の離れた親類兄からお下がりで譲ってもらった大量のモーターやプーリー、歯車のガラクタで、何時間でも飽きずに遊ぶことが出来ました。

しかし、あのガラクタは一体何の部品だったんだろう?

大人になっても、時間に余裕のある時期は、割としょっちゅう、クルマのボンネットに頭を突っ込んだり、下に潜ったりが日常でした。

ただ、ここ数年はそんな時間は全く取れなくなりクルマも構ってやれなくなりました。年齢的にそろそろ腰も心配だし。

で、今はほんの僅かの時間を見つけて何をやっているかというと、たいてい、昔の機械式のカメラをいじり倒してます。

機械をいじるというのは、主に直す、つまり分解したり修理したり調整したり磨いたり。。。という作業になるのですが、まあ、たまに壊してしまうこともあります。

ただその間、頭はそのことだけに集中して、雑念がどんどん消えていきます。一種の瞑想状態。ずっと弛まないネジのことだけ考えてたり、歯車のリンクで脳の中がいっぱいになったり。


さて、写真は「ミノルタA5」。1960年発売という昔々のカメラ。






当時活躍していたデザイン事務所「KAK」によるデザイン、とてもスマートな外観です。

去年、いじり素材として、無差別に入手した何台かのうちの一つ。

当然、シャッターは切れず、レンズはカビだらけ、距離計もデタラメという典型的ジャンク。

ところがよく見ると、レンジファインダーカメラではついぞ見たことのない「1/1000秒」というシャッタースピードの文字が。


一眼レフとは違い、レンジファインダーカメラ〜横についた覗き窓でピントを合わせるタイプのカメラ〜は、その構造上、あまりシャッタースピードを上げることができません。高くてもせいぜい1/500秒まで。

シャッタースピードが速いと何がそんなに嬉しいんだい? という話ですが、まあ、珍しいかな?ぐらいですか、そんなに大したことじゃないんですけどね。

でも技術的には割とすごい。
世界的に見ても珍しい。

僕は同じ構造のシャッター(レンズシャッター)で1/1000秒というのは、トプコン(東京光学)以外に見たことがありません。

こういうのに、男子は弱い。

さらに、ネット等でいろいろ調べていくと、この個体自体、まあまあ貴重なバージョンなことも判明。

特に、レンズにロッコールPFという、ちょっと贅沢で明るいレンズが付いている。

あゝもう……壊しちゃダメなヤツだ。



かつて、「開放値1.7」という超希少なレンズを持つマミヤのレンジファインダーカメラを、元々壊れ癖のある機種で相手が悪かったのもあって、いじり壊してしまった苦い過去を持つ身としては、このカメラはなんとしても復活させてやらねばなるまい。

レンズ掃除、シャッター部、絞り羽根やシャッター羽根など一通りの整備は順調でした。

スローシャッター部(1/30秒より遅いシャッタースピード調整のユニット)の調整にはやや手間取りましたが、それも数日の格闘の末、問題なく動くようになりました。

いや、なったかに見えました。

どうしても「B」が使えない。

Bというのは、バルブの略で、シャッターを押した分だけシャッターが開いているモードのことですが、が1/30秒と同じモードで切れてしまうのです。


ま、夜空とか森とか海とか撮るんでない限りは使わないので(あとはレンズの清掃の時に使う)普段使いには全く支障はないのですが、「せっかく外観は綺麗だし、直してヤフオクに出したい」というささやかな野望も芽生えてきたところでした。

よし、直そう。

詳しい方は既にお気付きでしょうけど、機械式カメラでBが使えない主な原因はだいたい

「髪の毛ほどの小さいバネが折れて飛んでいる」


湿気と経年変化による破損です。

バネには昔から泣かされてきました。クルマでも、小さくてかつ、バネレートのシビアなスプリングが折れて、その部品の欠品で泣く泣く終了。。。とか。

スプリングには寿命があるんですよね。
こんな髪の毛ほどの部品が欠けてるだけで、機械はまともに動かなくなる。

クルマを弄ってる頃は、特注バネを作ってくれる業者を探し当てたりとか、工場見学に行ってみたりかなりアクティブでしたが、今やそんな暇はとてもとれない&千円のジャンクでそんなこともしたくない。

部品取り用のジャンクを別途手に入れるのももったいない。

シャッター部品の周囲を小一時間いじったり眺めたりしていると、どうもバネレートはそんなにシビアではなさそう。

とりあえず、普段は軽めに押さえてくれて、Bの時だけちょっと戻ってくれればよい、という結論に至り

「ええい、作ってしまえ」

ピアノ線を買いました。

オリジナルはおそらく0.1mmだと思うけど、レートが曖昧でいいなら、0.2mmでも、焼き入れしないで使ってそれなりに働いてくれるはず。

細いピアノ線は、焼き入れすると脆くなってしまうので、かえって素人仕事は危険なのです。

シャッターユニットの中に破片が落ちたりでもしたら、それこそ回収不可能、機能不全になる可能性もあります。

なので、焼き入れなしでも復元力を長期間保てるように、やや太めの線を選択するのがコツです。



長めに切ったピアノ線を、精密ドライバーのシャフトに巻きつけて、グリグリとペンチで引っ張って手曲げです。

それを制御アームに慎重に絡ませてやる。

うまくいきました。
大成功です。


同時期の他社カメラに比較すると驚異的に調整の難しい無限遠調整(距離計の調整)もなんとかこなし、ミノルタA5は完璧な状態になりました。

ヤフオクやメルカリに出せば、「調整済み、完動美品」というコピーを入れられるレベルです。

そして、ロッコールPFは、ネットに載っているロッコールTDの数多の作例みたいに、緑に転ぶこともなく、ロッコールの面目躍如たるとても美しい撮影を見せてくれました。

ただ、好みから言うと、狙ったコントラストにやや踏ん張りが足りないかもしれません。

この辺は、後年登場する名レンズ「緑のロッコール」の絶妙なバランスに比べると、時代を感じるところです。

さて、ヤフオクに。。。と思いましたが、試写したらすっかり愛着が湧いてきて、当分は手放せなさそうです。

作例↓








2023年2月25日土曜日

アーティストという存在は

アーティストという存在は、アートとは無関係に見える経験、言い換えれば自らに課せられたすべての三次元現象と、それに対する魂の振動を視覚化し、天が定めた他の誰かのために、アーティストの手を動かしめるその行為と結果だと、僕は常々思っています。

無から何かが生まれることはなく、またアーティストの浅はかな恣意的意図も介在することなく、天の配剤による資質のみが、魂の振動をディバイド〜増幅し、見る人に、その人の魂の新しい地平を伝えるのです。

生かされていることにいつも謙虚でありたい。