1997年11月21日金曜日

Alfa gtv 2.0 1982年型(Alfetta) (1997/11/21)



僕は1993年から1997年までの5年間、gtv2.0('82)に乗っていました。
gtvはアルファの伝統的な流れを汲むスポーツクーペです。

仕様:

gtv2.0('82年型)右ハンドル
排気量1962c.c.
最高出力130hpDIN/5400rpm(カタログ値)
最大トルク18.3kgmDIN/4000rpm(カタログ値)


概要:

AlfettaGTシリーズの2000c.c.後期版。2000c.c.には大きく分けて、78年~80年のAlfettaGTV2.0/2.0L、同時期北米仕様(5mphバンパー+スピカインジェクション搭載型(Alfetta2000GTV))と、80年型以降のマイナーチェンジ版(ウレタンバンパー+キャブ仕様(gtv2.0))の3種類があります。このgtvは後者に属するイギリス仕様。


始動:

 吸気系にデロルトDHLA40ツインキャブを使うアルミブロックDOHCエンジンは、毎日の運行さえ心がけていれば、たとえ冬の朝であっても、数回スロットルをあおって、1/3程開けたままイグニションを回せば2~3秒のクランキングで簡単に目を覚まします。「旧車の始動には独特の儀式が必要だ」と言われますが、ノーマルアルファにとってはそれは当たりません。いわゆるキャブ車の普通の始動方法です。もちろんチョークも殆どと言っていいほど使いません。

 アルファに搭載されているキャブは、ウェーバー製、ソレックス製、デロルト製のいずれかで、どれが入っているかはエンジンルームを開けるまで分からないとはアルフィスタの常識。キャブといえば「ウェーバー」という伝統的な概念がありますが、3機種の間に機能差はないとも言われています。


アイドリング:

 ハンドスロットルを引いて2000rpm付近を保ちながらしばらく暖気に入ります。最近では環境問題との絡みもあり「暖気運転は無意味だ」というのが常識ですが、設計の古いエンジンに限ってはせめて1分位はしてあげたいです。

暖気の目安を知るのは簡単で、エンジン全体の動きが滑らかになってくると、ハンドスロットルで2000rpmに合わせた回転数が次第に上がってきます。そしたら数回スロットルペダルをあおってやり、それで回転数が落ちる様であれば走り始めてOKです。

 各機関が完全に暖まるまではgtvのアイドリングは若干不安定です。でも「ツインキャブ車は常にあおってやらないとエンストする」というのは違います。そもそもそれはレース用にセッティングされたキャブか、ハイコンプピストン、さもなくば単なる調整ミスの場合であって、本来アルファのアイドリングは実に安定しています。

このgtvに限って言えば冷間アイドリングが不安定なのは単にオンボロだからですね。
点火系統の部品寿命もしくは若干進角が進みがちとか、キャブのセッティングや点火系統や、エンジンマウントのヘタり、インマニホールドのヘタりによる吸気漏れ、等速ジョイントやセンターベアリングのヘタりもしくは取り付け方法ミス...きりがないのでヤメます(笑)。

 Alfettaにはブリッピング(素早いスロットルワークによる空ぶかし)だけでエンスー心をくすぐる様な敏感なレブカウンターの動きはあまり期待できません。昇りはそれなりですが、下りはとっても緩慢です。そもそもアルファの1800c.c.と2000c.c.はかなりのロングストロークで、「アルファ」を初めて見た人の10人中8人までが、フェラーリの様なシャープな針の上下を期待した直後にガッカリして帰って行きます。排気音は、ANSA特有の重く乾いた「ドーッ」という、特徴的な音です。


走り始め:

 古いアルファに特有のシフトの儀式、クラッチを深く踏みこんでから一呼吸置くか、シフトレバーを軽く2速になめさせてから1速に入れます。こうしてアルファの発進準備が整います。旧車に限らず、1分足らずの暖気の後にいきなり自動車評論家に変身するのはやめましょう。特に欧車には機関全体が暖まるまで、何キロも慣らし運転をしなければならないものが結構あります。

gtv2.0の場合、走り始めてからさらに水温計が1/3付近に至ってもまだ暖気運転の域を出ません。徐々にエンジン全体やミッションケースが暖まってゆくに連れ、吹け上がりのリミットをクルマの方でドライバーに伝えてくれるので、それが目安になります。走行しながらの暖気の完全終了を知るための目安は水温計でいえば針が真ん中付近より少し低めに来たところ、ただ、針を見なくても、アルファのDOHCエンジンはカムの擦動音、排気音、吸気音、爆発音が渾然一体となり、スロットルペダルを通して溶け出す様な感覚を伝えてくれます。その瞬間からアルファサウンドが始まる訳です。

アルファサウンドで思い出しましたが、新車時期を終えたアルファは、国産車に交じってノロノロ運転をしている所ではかなり情けない音がします。これは最新のV6エンジンでもそうです。それをアルファサウンドと言うか言わないかは知りません。

 シフトは冷間、暖気後を問わず、むやみにスピーディなシフトをしたり1速でひっぱり過ぎると必ずギアを鳴かせることになります。1速と2速のギア比が違いすぎるためシンクロが追い付いてゆかないためです。

常識的にはアルファの1速は「発進用」と言われていて、3000rpm以上引っぱるのは避けたほうが無難でしょう。ただしこれを回避しながら、1速でトコトン引っぱる伝統的方法が2つあります。

ひとつは、リミットまで回した後、すぐにクラッチを切りエンジン回転をアイドリング付近まで戻してから一呼吸置いてシフトアップすること。

もうひとつはもちろん「ダブルクラッチ」。このダブルクラッチ、おしとやかにに吹かしても無意味です。空吹かしもシフトを放り込むのもダイナミックにやります。これをスムーズかつダイナミックにやることができれば2速で初めて引っぱるよりは若干出だしは速くなります。ただしあくまでも現代車の水準にあらず。

 ところでこのgtvの場合、高回転で回している時には、3-2ダウンの際にもかなり大仰なダブルクラッチが必要です。


アクセルレスポンス:

 暖気が終了すればアクセルレスポンスは飛躍的に良くなります。スロットルを一気に踏み込むと、一瞬「ガボッ」という溜めの後でレブカウンターが跳ね上がります。約2000rpmのかなり低回転から明確な太いトルクを発生しますが、いわゆる「カムが乗る」状態になるのは4000rpmを超えてからです。この辺から「ホントのアルファサウンド」。最大トルク発生時の4000rpm付近で一つのヤマを迎える感覚が起き、それと重なるようにして徐々にエンジンが軽くなり、あとはレブリミットの6000rpmまで一直線に吹け上がります。

gtvはボンネットに防錆塗料がかなり厚く塗られている上にさらにぶ厚い遮音フェルトが張られていて、ノーマルのエアフィルターのままでは「ゴーッ」という独特の吸気音は聴くことは高回転域でないと無理です。

 ところで、ある時期を過ぎてから日本国内に入って公道を走っているAlfettaには全て触媒装置が付加されていることになっていますが、これがあるとないとでは実際の出力もフィーリングも全く違います。触媒付きは低速トルクが太くなるにはなるのですが、なんだか変速ベルトの切れかかったスクーターみたいです。一方、本国仕様は全く別のエンジンであるかのように中速トルクが太ります。最高出力域ではその違いはさらに大きく、カタログデータ値の各ギアにおける最高速度値(ギア比による机上計算値)を目安に、実際に走行して二者のズレを比較するとその差は歴然としています。実はこの違い、gtv2.0で最も多用する3速の速度域での乗り味やトラクションのフィールに多大な影響を及ぼしています。つくづくAlfettaとは不幸な時代に生まれたクルマです。


コーナリング:

 個人的にはgtv2.0はそのギア比と足回りのマッチングから言ってもタイトなコーナーの連続するスプリントには不向きだと思います。gtv2.0を速く走らせるためにはどうしても3速以上が必要で、そうなると80km/h以下のコーナーでは必然的にトラクション不足になってしまいます。

 中速域においては、常識的な走行を心がけている限りはニュートラルステアを保っています。そしてタイトになるに従い当然のように深いロールを伴います。グリップの限界はかなり高く、そのためにFF車に慣れたドライバーにとっては終始オーバーステア気味に感じるかもしれません。ここの領域ではそれなりにAlfettaの回頭性を楽しむことはできます。

 でもサスの限界を超えると、かなりきつめのアンダーが顔を出します。問題はここからです。そこでFR特有のトルクステアに持ち込む事は、gtvのギアの性格上、パワーバンドがよほどマッチした速度域でない限りは難しいです。だからタイトなコーナーではトラクションコントロールがうまくできないと、アンダーのままカニ走りすることになります。はっきり言って恐ろしいです。ただし、これは中速域コーナーをヤル気を出して走ってる時の話。要するに「コイツはFRだゼ~!」とやっても全然言うことを聞いてくれない訳です(だから人気がないんですかねえ)。中速域では漫然と走るに限ります。その方が速いし安全。

 実はヤル気を出して走る方法もないことはないんですが、gtv2.0のドライビングは、アンダーと戦うとかトルクステアをどうするとかには全然なくて、深~くロールするフロントサスが、人知を超えて路面に張り付いているのを(初め、僕は「絶対コイツのサスは抜け切っている」と思っていました)、どう利用してどうスロットルを踏み抜くかにかかっています。

 gtv2.0の本領を手軽に味わえるのは、やもすると3速にすら放り込めないようなハイスピードが許される高速コーナーです。深いロールがクリッピングポイントに近づくに連れ、きれいに4輪に分散しながら抜けて行く時の快感はちょっとやそっとでは味わえないものがあります。

 要するに、トランスアクスルによる車重モーメントの働きをうまく作用させるためには、ある一定以上の速度が必要なんだと想像すれば話は簡単です。まず、深いロールと共にオーバーステア気味(実はニュートラル)に始まったコーナリングは、かなり深いポイントでアンダーに変わります。ここからはライン取り次第なのですが、例えばそこでスロットルをどーんと強めてゆくと、中速域ではあれほど不自然だった荷重移動が滑らかに出てきて、早々とフロントサスのロールが収束してゆき(というより、4輪全部にお裾分け状態)奇麗なニュートラルでコーナーを出ます。クリッピングポイントが他のクルマに比べて圧倒的に近い、これがAlfettaの快感です。


 まあ、そんな風にgtv2.0は、ちょっとコツを掴んだ途端に進入速度を殺さずに駆け抜ける術を身に付けるので、速度を十分に保てない場面ではかなりの緊張を強いられても、高速域ではかなり「速いクルマ」の部類に入ることができます。

 gtv2.0はGTはGTでも、ヴェローチェというネーミングにふさわしい巡航速度が要求される高速道路でこそ真価を発揮する実用的なGTカーであります。

1997年9月14日日曜日

個人的なクルマへの思い(1997/9/14)

僕のクルマ遍歴は、ずいぶんとヨーロッパ車に偏ってきたような気がします。

もちろん、それほど高級なものではなく、コンパクトカーや大衆車と呼ばれるものが中心です。国産車については70~80年代のいくつかの車種を除いてはあまりよく知りません。

日本車は、正直に言えば、以前はその多くは、背景やコンセプトに首を傾げてしまうものは多かったのですが、今はセカンドカーや普段使いになら、素敵だなあと思えるクルマが増えるようになりました。

 昔からホンダシビックは好きなクルマの一つです。雑誌や評論などを読むと、モデル毎に随分と評価が乱高下しますが、僕の知っている限りでは、全てのモデルにそれぞれ意味が込めて作られていて、もちろんいいところばかりではありませんが欠点をカバーして余りある名車シリーズだと思います。



もう一つ挙げるとすれば、マツダ(ユーノス)ロードスターです。これは発売の初期に一ヶ月ほど乗っていましたが、シート以外は全て好きでした。成り立ちとしては、言ってしまえば50~60年代英車のトレースコンセプトだそうですが、世界中のメーカーにそれを思い出させたというだけでも、世界に誇れる名車の一つだと思います。
運転していて、こんなに楽しいクルマは他に探してもなかなかないと思います。

 ところで、特に外車系の自動車評論に多いのですが、クルマに「味」を求め、国産車へのアンチテーゼとしてこのフレーズがちょくちょく出てきます。

僕はあまり賛成できません。1980年代の初め頃までなら日本車にも「味」のあるクルマが沢山ありました。「味」を否定し、やみくもに、欧車並みの合理性をメーカーに求めたのは他でもない、我々日本人ユーザーです。

 日本車が「曲がらない、止まらない」時代に外車を選ぶ理由を探すのは簡単でした。「基本性能」「合理性」「デザイン」つまり「出費に見合う品質」に、圧倒的な差があったからです。現在、日本車が「曲がる、止まる」を欧車並に身につけた時に、「味」という、第三者に定義の伝わりづらいテーゼで日本車を語ろうとするのはフェアではありません。

今日本車が失っているものが「味」という表現で済むものだとすれば、それは全てクルマが生き残って行くために捨てなければならない、過去の遺物ではないでしょうか。そうして最後に捨てなければならないのは、アクセルを踏んだ時に我々の五感を刺激して止まない、レシプロエンジンの放つ咆哮です。

 とはいうものの、昨今の日本車の設計者や経営者の方々には、クルマが本当に好きなのかどうか分からない人が増えている様に思えるのも事実です。

冷蔵庫ならば、それを設計する人の全てが、冷蔵庫を愛する必要はありませんが、クルマには、それを使うために必要なパッションというものが存在します。使うために必要な情熱とは、作る時にも必要な情熱と同じものです。そしてそれは、仕事に対する情熱とは少し違うものです。

 僕が考える今の日本車に必要な「何か」とは、今も昔も「デザイナー(設計者)が考えるオリジナリティ」です。クルマが持つ目に見えないオリジナリティや個性ではありません。自動車の進化の過程を歴史を見る視点でデザイナーが明確に提案することです。それをひっさげて世界中に尊敬と真似をさせ、それが「様式」となるようなオリジナリティです。

それが交通機関や環境や社会にとって必要かどうかという点ももちろん大切ですが、デザイナーが持つべき視点はそこではなく、そのクルマが他のクルマの未来像に与える純粋な影響です。

哲学という言葉に入れ替えてもいいのかもしれません。ダッシュボードが何故丸い曲線になるのか、自分の頭で考えたことがないと、意味が伝わらず、その造形はつまらなくなります。

オリジナリティの伝わる国産車の中には「名車」と言われ、世界中に影響を与えているものもたくさんあります。タイヤがなくなろうと電気になってしまおうと、デザイナーに進化を考えるためのオリジナリティさえあれば、ずっとドキドキできる乗り物で有り続ける事ができるでしょう。

それが僕のクルマに対する思いであり、希望です。

(1997/9/14)
2016年一部加筆修正再掲