【寓意性】
作品を鑑賞し味わう上で、様々な「鍵」となるワードがあります。それらは鑑賞側としてだけでなく、自作と向き合い再解釈し、理解と次作への橋渡しとなるインスピレーションを読み解く上でも有用なツールとなり得ます。
以前にも音が聞こえたり匂いがしたり、浴びるとか、いろんな鑑賞の鍵を紹介してきましたが、もう少し分かりやすいものを一つご紹介したいと思います。
それは「寓意性」です。古今東西の作品の数多くに仕込まれており、アートを語る上では重要かつ割と取付きやすいキーワードです。
「寓意」とは、「隠された意味」「描かれているものによって象徴される教訓、真理的問いかけ」と言ったような意味です。
イソップ童話は「寓意性」に満ちた物語として有名ですが、アート、絵画にもまたその寓意性が込められた作品が数多く存在します。現代アートで言えばバンクシーがその代表と言えるかもしれません。
マスクで顔を覆った暴徒が投げようとしているのは火炎瓶ではなく花束であるというのは、それが闘争や紛争、民族問題などの終わらない社会問題と対極に存在するような花束を投げ込むことで起きる変革は何か?という事を想像させます。
多くの方はそこに「愛」や「和解」を見るかもしれません。バンクシーもまたおそらくそのような分かりやすいテーマを選ぶ傾向がありますので、おそらく間違ってはいないでしょう。
アートの場合その寓意性には「作者が意図した寓意」と「意図していない寓意」の二種類があります。
前者は先に述べたバンクシーの作品に代表されるような「分かりやすいメッセージ性」ですが、後者の「作者の意図しない寓意」とはなんでしょうか?
前者が不動であるとすれば、後者は変数のようなものです。
それは時代、社会情勢、鑑賞者、展示場所、展示方法によって変わります。
先のバンクシーの作品で言えば、じつはその花束には手榴弾が隠されているかもしれないと考えたらどうでしょう。あるいは作品そのものがストリートから剥がされて大英博物館の1Fに並べられたらどうなるでしょうか。
僕ならそこに「大英帝国の歴史上のやらかし」を全て語れてしまうほどの「寓意」を見出す事でしょう。
このように同じ作品であっても、見方や捉え方で作品の意味する寓意性が180°変わってしまう事は少なくありません。