2011年2月12日土曜日

美と文化と産業と

今日はセッションや魂の話から少しだけ離れて
プロダクトデザインの話です。
といっても、深いところではしっかり繋がっているのですが。
私のもう一つの大切な仕事、プロダクトデザイン。
以前はプロダクトデザインという言葉はなく、「インダストリアルデザイナー」とか「ID」と呼ばれていました。
このプロダクトデザインとは、モノづくりに深く関わる仕事で、いわゆるデザイン的なサムシング以外の知識や経験、スキルが要求される職種でもあります。
時にはSEや企画、グラフィックデザインやエンジニア、はたまたプロデューサーの様な動きをしたりもします。
しかし基本は、神から受けたインスピレーションを紙と手と言葉で伝えるイタコのような存在。
ビジネス的な用語でカッコウ付けるなら、アップストリームマーケティングの一番上流にいるような(実際のポジショニングはともかく)、そういうアヤシイ存在でもあります。
発想力と調整力が命。。。にもかかわらず、アーティストやイタコのようなエキセントリックなスキルや才能も必要。
なかなか大変なのです。
ところで、最近はモノづくりそのものの軸足が他国に移って、日本国内の、特に大量生産品については「プロダクト」そのものが空洞化しているとも言われています。工業製品、特に電子機器や家電、成形品の多くが「Made in China」。
もっとも企画やデザインは別に中国でやっているとは限らず、日本でもヨーロッパでもアメリカでもちゃんと行われている訳ですが、それでも俯瞰すると、日本のデザイナーはとても不利な状況に置かれていると言えるでしょう。
極端な話、中国には「デザインフリー、モックアップ(モデル)フリー」というEMS(企画や仕様だけ受託して開発生産を代行する)メーカーはいくらでもあります。(ヘタすると、仕様や企画すらフリー)
そんな中で未だに、しかもフリーランスで「プロダクトデザイナー」と称して仕事をしている私のような存在は、まるで天然記念物か生きた化石のように扱われる事もあります。
それで重宝がられる事もありますが。
まあ、モノづくり大国日本の不利な点、劣勢をあげればキリがないのですけれど、でもそんなに日本のモノづくりは斜陽なのでしょうか?
実は私は、全くそうは思ってないのです。
むしろ益々チャンスが広がっている様に見えます。
長年この仕事に携わってきて年々確信の様に感じることがあります。
この確信的感触を初めて味わったのは、学生の頃ですから、かれこれ四半世紀も前の事です。
それは何か。
そのなかの大切なひとつが
「日本のプロダクトはマスプロダクションから脱却して初めて、本当に世界に冠たる日本のモノづくりに移行できる。」
ということ。
それは最初「モノの時代が終わる」という直感でした。1985年の事でした。
バブルすら来てない。中国人はまだ人民服を着ていた。
しかし、モノの時代が終わるも何も、自分は工業デザイン科の学生。
モノにこだわり、どっぷり浸かる事を、半ば強要されるような毎日。
この自分のアイデンテティを否定するようなインスピレーションには、正直言ってかなり混乱しました。
時は流れ、21世紀。中国人の、少なくとも大都市部の女の子のファッションは20年前の日本を超えつつあり、モノづくりでは、万単位でのロットのコストやスピードは、もはや日本は中国の敵ですらありません。
今、国内のEMSやアセンブリメーカーの主流は「小〜中ロット」での生き残りです。
素晴らしい画期的な技術と発想でどんどん成長しているところもあり、しかし一方では、開発コストとデザインだけは、なぜか旧態依然とした大ロット前提のプロセスやコンセプトで行われていたりするところも多い。
これが日本のモノづくりの足を引っ張っている。
1億円かけた開発ならば、やはり最低でも3億ぐらい、つまりかけたお金の3倍は売上げないといけない訳なんですが、その3倍を一体何個で、どのぐらいの期間で捌いていくのか、この概念が、市場では20年前とは全く違うことになっている。
売り手はこの辺はとっくに分かっていて当然の常識。周到に準備できていている。ところが請け負う作り手側が残念ながらその頭についていけてない例が多い。
本当は人件費や機械の償却費で開発費を割り出してはいけないのに、見積はそういうハード一辺倒で計算する。
1億かけて2万個の商品ならば、原価5,000円、上代15,000円で売れる訳なんですが、日本の少量生産は、これをおんなじ付加価値で(仕様は複雑になって、歩留まりや精度だけ良くして)1000個ぐらいしか作れない。
原価だけで10万になってしまう。(上代30万円)
おんなじ機能のモノが、15,000円と30万円。
売りやすいのはどっち?と聞くまでもなく、勝負にならない。
だから、みんな中国に発注しちゃうわけです。
少量生産とは、単に少なく作るという意味ではない。
少なく作っても、大量生産品と同じか、それを上回るペースでペイしなければならない。
勝てるものを作らなければ、舞台からは去らなければならない。
舞台に上がり続けていること、それは取りも直さず、より高い付加価値と、稀少価値を持つという事にほかなりません。
では高い付加価値と稀少価値とはなにか?
複雑な機能?
何でもできること?
高い品質感?
ソフト?
今日本のモノが陥っているのが、他でもない、そこです。
そんなものは誰も望んでいない。
今日本のモノに一番足りなくて
でも本当は、グローバルに最も戦える武器は「文化」
そしてそれを裏付ける「美」です。
それが備わっていれば、1億の予算で100個しか作れなくたって大丈夫。
あっという間にペイできる。
それを担うのが、我々デザイナーや、様々なアーティスト、クリエイターという、文化の担い手。
いえ、産業人、経営人も同じです。
双方がそこに気づく必要があります。
もう少し縮めて言えば
「芸術と産業デザインの融合」
このことがしっかりと行われて、かつ高度にビジネス化してゆくことが、次の日本の文化、産業の双方の担い手の責務だと常々考えています。
美とは何か、文化とは何か。
この事を、もう一度しっかりと考え直す必要がある。
モノや情報が溢れてきた20世紀後半〜21世紀においては、文化を見据えて生きる、美と対峙して生きるという事が、どうしても麻痺の中に埋没してきました。
浮かれたアタマも、負け慣れしたアタマも冷やして、もう一度原点に返る必要がある。
実際、美が経済や産業構造に影響を与えるという事は、日本の経済成長にとっては未体験の領域でもあります。
でも本当は「回帰」なんです。
とにかくそれは必ずやってきます。
いや潜在的にはもうやってきているし、気づいている人もたくさんいる。
潮流としてまだみえてないだけで。
ヨーロッパでは既にその潮流はいくつも起きており、実際の成功例もあります。
日本はまだです。
しかし日本もそこに突入しなければならないし、していくことでしょう。
美と文化に対する日本人の、底力、理念と哲学が試される時代が来ています。
私はやります。
一緒に頑張りませんか?

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