2014年3月26日水曜日

嗜銀顆粒性認知症

父は少年の頃からまるで貧乏くじを引くがごとく苦労を重ね、過酷な境遇を自分の意志と努力のみで切り抜け、タバコも酒もやらずに真面目一本に生きてきました。

そんな真面目で切れ者だった父が、会うたびにまるで他人行儀になり、近頃は甘いものを盗み食いし、一人瞑想の世界に入るように、何もかも忘れたように、静かにただじっと座っています。

その姿を見るたび、認知症の親を抱えた人なら誰しも経験するように、私もまた、大きな動揺と哀しみを隠しきれません。


2008年頃
近頃の母の電話で伝え聞く彼の姿は、ますます記憶が遠のいて、服も自分では組み合わせる事ができなくなっていました。

数日前にはとうとう転倒事故を起こし、顔面と前歯に大怪我を負ってしまいました。本人はその瞬間のことを全く覚えておらず、近所の人の救助で帰ってきたそうです。

そして父は今日、大学病院の検査で嗜銀顆粒性認知症というあまり聞きなれない型の認知症の診断を受けました。

10年ほど前から、薬剤性劇症肝炎、間質性肺炎、前立腺がんと、立て続けに病気をし、気持ちの衰えなど数年前から兆候は有りましたが、昨年前立腺がんの治療(睾丸切除)を受けてから急激に物忘れや情動行動の変化が進み、数ヶ月にわたってかかりつけの病院や大学病院で検査を受けていました。

嗜銀顆粒性認知症という病名自体は、病理学的な特徴から名付けられており、治療法も解明されていないのでそういう名前がついたからどうだということではありませんが、アルツハイマーを始めとする認知症はそのメカニズムや症状、病理的特徴から細かく分類されています。

父の症例の場合は一般的なアルツハイマーの治療薬(対症療法)であるドネペジルが効かないなど、一概に「認知症」と言っても対処も違えば、進行の度合いや行動変化も違います。

しかし私にとって重要な事は、ひとつには「遺伝」というキーワードが心を捉えて離さないという事、もうひとつは私なりに長年研究実践してきたマクロビオティックや食事療法が父の役に少しでも立てたら…という、この2点のみです。

父の父、つまり私の祖父も認知症でした。父の兄2人もやはり認知症です。
他人事ではありません。

認知症の原因や治療法については、西洋医学ではまだ解明されていない点がたくさんあります。
ただ、メカニズムと治療のアプローチの仕方の違いは次第にわかってきました。
もっとも「治療」といっても、結局はリハビリと進行の抑制しかないのですが。
和漢方や食事療法でも似たり寄ったりのところがあります。

まして「これを食べ(飲んで)たら治った」などという話はまず聞いたことはありません。

それでも私は父や母の残りの人生のQOLを少しでもラクにし良いものにする責任と義務と希望を感じています。

ただ介護をするとか、特養を探すとか、そんな方向にばかり目を向けるのはイヤだし、私の神はそんなことは望んでいないのです。
その神に私はその遺伝疾患の渦から抜けださなくてはならないとはっきり言われました。

父に比べればあまりに適当に生きてきた私ですが、いつも不思議な力で守られてきました。
その不思議な力は父譲りです。直観と霊感は母ゆずり、そして不屈の運は父からもらいました。
若いころから生死を乗り越え、生存率数%という間質性肺炎を完治させ、腫瘍マーカーを500から0.5まで下げた男です。


その運の力を父に返す時が来たのだと思います。





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