確かに絵を見て、これは誰それの作品だとすぐにわかるようなものの方が世の中では、受け入れられるようです。
特に公募展何かに出す場合には画風を揃えないとやっぱり評価は難しいと思います。
しかし、画風をそろえることがそんなに重要なことなのでしょうか。
その時の気持ちや心情季節によって、描きたいものも変わるし、筆のタッチだって使う色だって全然変わってしまいます。
その時の気持ちや心情季節によって、描きたいものも変わるし、筆のタッチだって使う色だって全然変わってしまいます。
慈母を描いた人間が、梅干しと4つのとってもいいものと見つめる私を絶対に書かないと言うのはやっぱり人間として自然ではないと思うのです。
むしろ、1つの画風にこだわり、それしか書けなくなると言う方が描きどうしてもプロとしても人間としてもかなり偏った状態なのではないかと思うのです。
偏ることがいけないことではないですけれども、そして1つの画風だけでずっと押し通すのも決してそれ自体が悪いことでは無い。
偏ることがいけないことではないですけれども、そして1つの画風だけでずっと押し通すのも決してそれ自体が悪いことでは無い。
しかし同時に、逆に定まらない画風、いくつもある画風というものがあっても僕はおかしくないとも思うのです。
大切な事は画風を揃えることではなく、キャンバスに描かれた色や光影の世界が、作者と鑑賞者のものであるということが、鑑賞者に一目でわかることだと、僕はいつも描きながら思うのです。
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