真実は、往々にして建前や人前では言えない様な事の中に含まれていたりするものです。
それを口にすれば、差別的だとか露悪的だとか道徳的でない
というレッテルを貼られる可能性さえあります。
それほど、真実というのは現実や事実とはかけ離れています。
真っ正直に、誰の目にも明らかな様に真実と向き合って生きるということは
自己を破壊する可能性さえあります。
だから、たいていの人は口をつぐむのです。
そして、あなたの人生の真実は永遠に闇の中
ということになります。
それに打ち勝つ事ができた者だけが
露悪的であっても、自己の人生を切り拓いて行く事ができる
と思われているのも、仕方のないことかもしれません。
だからといって、真摯に生きるということが
真実なら何でも白日の元に晒せばいいということではないのです。
あなたの真実が、服を着ない素裸の状態だからといって
あなたは裸で生きて幸福にはなれないのと同じです。
真実と向き合うというのは、自分の真実が、素裸でありながら
服を着ている自分もまた自分なのであるということを
認めて生きる事と同じです。
心という水は、澄んでいるだけでは豊かさを持てないものです。
そこには水草も生え、魚が住めなくてはならない。
ビオトープのように、放っておいても豊かに繁栄し
生態系が出来上がる必要があります。
そのためには、真実と向き合いながら
それを包み隠してしまうような濁りも必要なのです。
澄みすぎず、濁りすぎず
あなたの心はビオトープのように命豊かに美しく栄えるのです。
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