2016年5月28日土曜日

良い絵、鑑賞者と描き手に必要なこと

絵を見る目を養いたければ、絵を見るほかない。
「これは作品です」と主張する絵をとにかく一枚でも多く見ることだ。

「きれい」か「きれいでないか」は誰でも分かる。

そのうち「すごい」「それほどでもない」が見えてくる。

もっと見れば「好き」「嫌い」が見えてくる。

好き嫌いが分かれば「美しい」「美しくない」もわかる。

そしてさらに見れば「人生に影響を与えてくれる」かどうかが見えてくる。

やがて「価値あるものになる」かどうかが分かる。

最終的に、本物か偽物かが分かるようになる。


作家が自分の絵を良くするには、自分の描きかけの絵を見つめるしかない。
見つめて見つめて、鑑賞する。
やがてそこに本当に自分が到達したかったテーマが見えてくる。
そしてまた筆を進める。
また見つめる。
もっと見えてくる。
また見つめる。
そうやって絵は藝術に昇華してゆく。
見る人の人生に大きな影響を与え、勇気や希望を与える藝術となる。

作家自身が見つめていない絵はダメだ。
数時間で出来上がる絵に、藝術が担うテーマは隠されてはいない。
何かを写し取っただけだ。
それは一瞬の驚きやなぐさみものや装飾としての価値はあるだろうが、時代を超えて人の人生に影響を与えるような力は潜んではいない。

表層の意識的な意図を超えて、本質に迫る迫力と感動を表現するには、神の意志が必ず入っている。
それは作者が意図によって、あるいは偶察によって描き始めた作品を、作者自身が見つめることによって神の意志を読み取り、神の手に委ねることに成功した作品である。

それは描き手やベテランの鑑賞者だけでなく、絵のことを分からないと自称する者さえも瞬時に魅了するのである。





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