2014年11月25日火曜日

政治的発言

少し有名になると、その知名度を利用して政治活動や政治的発言をしようとするクリエイターが後を絶たない。

海外の、それも白人のアーティスト(という名のミュージシャン)が、「アーティストも声をあげるべき」という主張をするものだから、日本人のアーティストもどうもそれを盲信して「そうだそうだ」となっているようだ。

でも僕は違う。

自分の頭で考えよ。

政治家は政治でモノを言い、世の中を良くしてゆこうとする。
農家はより良い作物を作って、世の中に貢献する。
ものづくりをする人は、より良いものを作って世の中を良くしてゆこうと努力している。

芸術家だって、芸術で世の中を良くしている。


政治的な活動で世の中を良くしていこうというなら、それは芸術家ではなく、政治家だ、運動家だ。
運動家としてなら、運動をすればいい。


だから僕は絵ではなく政治的に影響を与えようとする芸術家は好きじゃない。

芸術家はボロクソに批判されるほど、ノンポリのフリをして、作品にそれを打ち込めよ。

武器や破壊兵器を丹念に精密にパラノイヤ的に描いておいて、口では平和なサヨクだなんて二律背反もいいところ。

そんなに武器を取るのがイヤなら武器を描かなければいい。
それが政治的表現というもの。

本業を越えての運動的政治的発言とは怒りであり、権勢欲、現実的思想統制の影響力の行使である。
それが作品に現れるのだ。
だから武器など描くのだ。

本人は切り分けているつもりでも、必ずそれは作品に出る。
怒り、力み、皮肉、権勢欲、顕示欲。
それはその時はバレないかもしれないが、長い年月の間に、必ずその意図が滲み出て人々が気づくのである。

それは時代遅れの価値観でしかない。
不変の芸術を作り出すためには、それは足かせにはなっても、プラスには全くならない。

芸術は時空を超えた価値観を有してなければならない。

その時の感情や為政者に腹を立てたところで、芸術には何一つ良いことはないのだ。