2016年6月5日日曜日

批判と批評

昔々、他人の作品を批判する学生がいた。
「この作品はここがいけない」「これじゃあ芸術とは言えない」

とにかく、目にした作品、全て批判してシロクロつけてないと気が済まない。
いや、シロクロというよりほぼクロ一色。

本人は批評のつもりらしい。
聞いている方は、最初はなるほどふむふむと聞くのだが、それが度重なるとだんだん気分が滅入ってくる。

「そんなこと本人に直接言えよ」である。

本人に言えないのなら単なる陰口なのだ。
当人といえば、言うほど大した作品は作ってない。

まあ学生なので大目に見てはいた。

ところが最近も似たような出来事に遭遇して、かなりガッカリした。
今回は学生ではなく、一人前の職業絵描きである。

作品の評判、批評は大切なものだ。
が、それは親身と誠意が伴っての話であって、
購買者、鑑賞者でもない無責任な立場で述べても、作者には何の関係もない。

特に批判は、同業者の場合、細心の注意を払って行わなければならない。
批判そのものが、批評者の心理的側面を雄弁に物語るからであり
また批判が、批評する側のセンス、価値観、実力を超えることは絶対にないからだ。

ということは、どうしても批判しなくてはならないのなら
まだ絵を始めたばかりの画学生にデッサンを教える時か
さもなくば、自分の実力を恥じ、その恥をさらけ出してでも、本人に直接物申す
真摯な批評家鑑賞者として本人に奉仕する覚悟がなければならない。

その前に作り手ならば、他人の作品を断定的にあれこれ言う前に、まず自分の作品をなんとかしろである。

批判が陰口になってしまう心理的側面とは何か。

第一に「自信のなさ」
自分が作り手として目指しているもの、信じているものが、本当に正しいかどうか分からないと、世の中の事象が、自分の信じようとしているものに合致しているか外れているかが非常に気になる。
他人の価値観を、単純化した自分の価値観のパズルに当てはめているだけである。
これは、批評される側にとってはどうでもいいことであると同時に、芸術にとっては害悪そのものでしかない。

第二に「嫉妬」
セールスマンの中に、他社の営業の悪口を言うのがたまにいる。
いわば商売敵について否定的なことを言うことで、相対的に自分を上げたい訳だ。
もっともそんな営業マンはロクな成績は出せないし、顧客からも信用されない。
力のあるセールスマンもクリエイターも、嫉妬を覚えたら「超えてやる」と黙って精進するか、相手に学ぶかを選択するだろう。

第三に「満たされない承認欲求」
自分が望んでいる承認欲求が十分に満たされない時、人は自分を認めない人や価値観に対して批判的になる。

第四に「相手が気に入らない」
これは理屈ではない。


能力の高い人は決して陰で誰かの作品の批判などしない。
実のある批評は萬金に値する。
そしてそれは常に本人の前でなされるのである。

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