2010年2月21日日曜日

神的エネルギー(1)

さて、また神様の話です。
またまたです。
私自身も、段々苦痛になってきましたが、続けます。
「苦痛だなあ」と思っていたら、 Twitterでハマコーさん(浜田幸一氏)が、たまたま坂本龍馬の言葉を引用してつぶやいていました。
「世の人は我をなんとも言わば言え 我が成す事は我のみぞ知る」
素晴らしい言葉です。高校時代、受験勉強もそっちのけで「龍馬が行く」を読みふけっていたのを思い出します。
ちなみにNHKの大河ドラマ「龍馬伝」が話題になっているようですが、私は残念ながら一度も見る機会を得ていません。
さて、話を神様の話に戻しましょう。
わたしは神様とお話ができるということ、そして、そのことは決して特別なことではなく、誰にでもできることなのだということについては、前にも書いたような気がするし、幾度もいろんな人に話していることです。
「神様とお話をする」というのは、太古の昔からみんなやってきたことなのですが、誰もそれを体系づけて教えてくれていません。それはまるで宗教的秘術のように封印されたり、逆に「迷信」としてそこに近づく事を罪のようにされたりしてきました。
なぜなのかは分かりません。
万能で無限の叡智から、いくらでも富と知恵を汲み出せるからなのでしょうか。
「神と話す」と言うと、だいたいは気が変になったか、おかしな宗教にかぶれたか、というような事になっているようです。
「わたしは正常だ」と言っているのではありません。

神とは本来、宗教とは関係のない存在なのです。
どんな宗教の、どんな教典や教義にも左右されない、自由な存在です。
唯一でもなければ、八百万でもないのです。
それは「ある」と言えば、また特定の宗教の教典に立ち戻ってしまうかもしれませんが、しかし、それは「ある」でもあり「ない」でもあるものであり、あってもなくてもどちらでも構わない存在。
ひとつだけ言える事は、わたしたちの人生や現実は、自分自身でもあり、神でもあるエネルギーのコントロールによって成り立っているという現実であり、そのエネルギーは、わたしたち自身の「意思」だけでは動かせない法則に則っているという事です。
そして、そのエネルギーは、私たちは直接のコントロールはできないまでも、私たち自身と意思の疎通だけはできる、ということなのです。
じゃあ、エネルギーと書けば良いではないか、神とはあまりに大仰ではないか。と思う人もいるかもしれません。
しかしながら、私たちには、自分でどうにでもコントロールできるエネルギーもまた、あって、日頃からそれを使って生きているのです。
それはどちらも自分を動かし、自分を取り巻く環境を変えてゆくエネルギーです。
そしてそれには2種類ある。
自分の意志でコントロールできるエネルギーと、自分の意志ではコントロールできないが、意思の疎通はできるエネルギーです。
自分の意志でコントロールできるエネルギーは、とても大きなパワーを持っています。それは自然界一かもしれません。
けれども、そうでない(コントロールできない方の)エネルギーは、それとは比べ物にならないぐらい、無限に近いほどのパワーを持っているという事です。
そのエネルギーは、あなたの心とリンクしています。
(続く)

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