私は神と話せる」などと触れ回る愚か者がいる。
私だ。
「神は確かにいる」などと言いふらす非科学的な者がいる。
私だ。
「神と共に生きよ」などと、さも知った風な事を言う馬鹿者がいる。
私だ。
全部私だ。
しかし私は、それでもあらゆる虚無感と戦いながら
こう言わなければならない。
もがき苦しみ求めている人たちに伝えなければならない。
「あなたは神の一部なのだ」と。
私は、神など要らぬ賢い人たちのためにいるのではない。
彼らは言うだろう。
自分の口も拭えないのに、何が神だと。
そもそも、お前が一体何者なのだと。
日々楽しく過ごせれば良いではないかと。
そういう人たちには、神は必要ではない。
虚無と共に生きても、日々その虚無を刹那の甘露で埋め尽くす
才覚とかしこさを持った人は、そのように生きれば良い。
そういう人には、私の存在もまた必要ではない。
私は、そういう人たちに見向きもされず
善と義と慈愛に生きようとして辛い目にあっている人のためにいる。
彼らもまた、賢い者と同様に、美しく、雄々しく生きなければならないのだ。
「悲しむ人は幸いである。彼らは慰められるであろう」
とはまさにその通りである。
私は、吐きそうである。
涙が止まらない。
私にはエゴがあり、悟りなどなく、欲も深い。
神を説くなどちゃんちゃらおかしい生き方しかしていない。
人の前で「神」だの「幸せ」だの言う資格があるなどと思ってない。
行いはイエスの足元の塵にも及ばない。
仏の爪の先の垢ほどの悟りもない。
それでも
私は偽善者と言われても、偽キリストと誹られても
それでもこう言わなければならないのだ。
「あなたは今、癒されたのだ」と。
そして、あなたは事実、神に護られ、神に癒されるのだ。
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