2016年3月8日火曜日

芸術絵画は、人間と神の合作である

芸術としての絵画は、人間と神の合作である。

強烈な作者の意識やテクニックによる筆運びと共に、神の意志〜それを人は往々にして偶然と呼ぶ〜が描く線や色がなくてはならない。

その境界は曖昧であり、どこからが人間の所業であり、どこからが神の技であるかの判別は難しい。

しかし結果として現れた絵には、神の技としか思えない美しさ、凄みがある。それは作者自身にも意図しなかったものである。

では神の領域、つまり人々の言う偶然性に任せたらそれは芸術としての絵となり得るか?

ならない。

神の技は自然であり、自然の美しさであり、そこに人間の解釈の余地はないからである。
それは作者のある絵ではなく、現象である。

故に行為のみ人間が行ったとしても、結果そのものを偶然性のみに頼った絵画というものは成立しない。

画面を構成する要素はあくまでも人間が担うのであり、その途上にて神が宿るのである。

意図から始まり、神で終わることもある。
神から始め、意図で終わることもある。
神から始め、意図で進み、神で終わるのもある。

一番良いのは、神と意図の交感で進み、神で終わる絵。

そのためには制作の途中で神に委ねる時間と作業が必要なことがある。

描き進めた絵に神を宿すために、敢えて意図とは違う作業を行う必要がある。

そしてそこにまた作者の発見が起き、意図が始まる。

最後にまた神が仕上げる。

この繰り返しである。

神が宿るために必要なことは、作者の絶え間ない探求と行為のみであることは言うまでもない。

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