【パーセプション】
パーセプションとは、直訳すれば感知、主観的知覚のことを言います。要するに論理や抽象的推論なしに五感やその人の持つ認知能力によって感知される外界事象事物への認識、判断であり、それには印象も含まれます。
一方、少し前に「クオリア」という言葉が流行ったことがあります。クオリアとは例えば赤いものを「赤い」と感じ他者と共有できる感覚的体験で、これもまた抽象的推論なしに感じることのできる共感覚認知です。
この二つは似て非なるもので、クオリアは持って生まれた共感覚として各人に共通する脳の働きなのに対して、パーセプションは、多分に経験や社会的な体験、文化、時代背景に影響を受けます。そしてそれは常に変革されます。
アートは、この二つの感覚的認知を繋げて、パーセプションに新しい視野を広げていく(変革を起こす)プロセスに他ならないと思っています。
それが具象であろうと抽象であろうと関係なく、クオリアを通して表現がなされ、それを作者が昇華させて作品とする、最終的に作者と鑑賞者がパーセプションを共有しその変革を共に紡いでいけるのはとても刺激的で楽しく、深遠なる叡智に深い感謝を感じる瞬間なのです。
そういう意味で、アートには鑑賞者の存在は欠かせません。
しかしながら作者のコンセプトには、言語化出来るところとできないところが厳然としてあります。
実感として、作者側において事物事象を高度に抽象化して捉え直し、制作過程においてパーセプションの変化を自分自身に起こすことが、重要な課題と感じています。
抽象化した概念をいかに作品に落とし込んで、クオリアとパーセプションを表現できるか、いつも問われながら描いています。
アートが発展するたび、また自作もまた進化すればするほど、パーセプションへの期待、要求は高くなり、その作品の言語化は日々抽象化していきます。
独りよがりのアイデアや恣意的「エイヤッ」はもはや通用しない時代となりつつあります。
僕も半可通なアイデアで描き進めて潰した作品は数知れず。
最終的に作者自身の経験、知性、広い知見、知識の醸成が不可欠と痛感するのであります。
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