2014年7月29日火曜日

パイプの初め

昔の子供はパイプに憧れたのです。
子供がどうしてパイプに憧れるのか、それは一にも二にもテレビの影響とパイプの形をした入れ物に入ったラムネ菓子のせいです。
ちなみに「シガレットココア」なる駄菓子や、まさにシガレットのような紙で巻かれたタバコ状のチョコレートもありました。

なんたる洗脳!

いけませんねえ。今なら消費者庁や市民団体が黙ってはいません。


大人になって実際にパイプに手を出す人は本当に少ないのですが僕はそうではありませんでした。
大人になったらきっとパイプをやるぞ!と心に誓っていました。

で、大人になりました。まだ学生でしたが本人は十分大人のつもりです。
遂にパイプを燻らすその日がやってきました。
もちろん周りにパイプスモーカーなど一人もいません。

学生の頃、稼いだばかりのなけなしのバイト代を握りしめ、パイプと何種類かのパウチの葉っぱを買い込みました。パイプはローランドのビリアード。
今も昔も「カタチから入る」ということができなくて、とりあえず見よう見まねで自分自身で試してみないと気がすまない。
手当たり次第、とりあえずやってみる。
そこから本質のどまんなかに切り込んて行くのが好き。

だから「やり方が分からない」なんてものではありません。セオリーやコツがあることすら知りません。当時は親切に教えてくれるネットも本もありませんでしたから。

おもむろにパウチの中にパイプを突っ込んですくい、はみ出た分は指で押して(タンパーというものの存在も知らずに!)ターボライターで火をつける、シガレットよろしく盛大に煙を吸っては吐きをやる、煙い、熱い、火がすぐ消える、ボウルを焦がす、さっぱりうまくいきません。もちろんあっというまに口の中が痛くなってきます。

それともうひとつ、肺に入れるのか入れないのかも分かりません。なんとなく「肺には入れないらしい」というのはどこかで聞きかじっていたのですが、肺に入れないというのは一体どこでニコチンを摂取するのだろう?と不思議でしかたありません。

しかし不思議なもので全くの予備知識なしでも一ヶ月もするとなんとなくコツというか、舌を焼かない方法、火を一分でも長く持たせる方法というものがなんとなくわかってくるものです。タンパーの存在は知らなくても、鉛筆のお尻で葉っぱを抑えてみたりバイクのボルトを使ったり。

そうこうしているうちに10回に1回ぐらいはパイプの煙が甘くてアロマに陶酔するという感覚を味わえるようになってきました。

それでもこの頃はやはり「タバコ=ニコチン」という先入観が頭の中を支配しており、パイプでせっかく良い喫味を味わうことはできても満足感は得られず、一服となるとシガレットの肺喫煙から逃れることはできません。次第にパイプでも肺喫煙をするようになりましたが、そうなるとパイプはいがらっぽいばかりでちっとも美味しくないのです。

この頃次第に禁煙運動が大きくなりつつありました。パイプの煙は特に嫌われていました。実際には煙の量も臭いもシガレットに比べたらなんてことないのですが、嗅ぎなれないにおいにはみんな敏感に反応するようで、とても人前ではおおっぴらに吸えない雰囲気も出てきました。
もっとも二十代の若造がパイプを咥えているだけで奇異の眼差しなんですけどね。

そんなことや就職する頃にはすっかり忙しくなったこともあり、一旦、僕のパイプライフは終了を迎えます。









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