2014年7月13日日曜日

スフマートについて

どくだみ(製作途中部分)


ここ一年の私の画風はスフマートとキアロスクーロと点描でほぼ語り尽くせると思います。

スフマートとは、ダ・ヴィンチのモナリザに代表される、陰影のグラデーションを作るための技法です。

私の元々の画風は幼少に師事した廣野重雄の影響で昭和派です。
もちろん昭和派というのは美術史には出てこなくて、私が勝手にテキトーに感じたままに命名しているだけです。
昭和の初期から戦後しばらくまで日本の洋画を一世風靡した、野獣派から新印象派の影響を受けた日本の代表的な画風だとイメージしてもらえればいいと思います。

あえてここで細かい分類はしませんが、例えば梅原龍三郎以降の日本の具象洋画は一時この昭和派で埋め尽くされています。
周囲の先輩達もほぼ全てが昭和派の画風です。
一般的な画廊では未だに日本の洋画コレクションの一端を担っています。

一時期私は朦朧派や野獣派的アプローチにこだわっていました。そこからの新展開、発展を自分に期待していましたが、常に何か釈然としないものを感じ続けていました。
結局そこから何も見いだせないまま時間が過ぎて行きました。

悩んだ挙句、結局私はルネサンス絵画までさかのぼって、自分の画風を一新することを決断しました。
試行錯誤の末、最終的にスフマートまで行き着きました。

野獣派的アプローチを長年やっておきながらスフマートとはずいぶんと飛躍したかのようにも思えますが、私にとっては一種自然な流れの中でのひとつの到達点です。

スフマートは現代ではほぼ忘れ去られた技法ですが、私の性には非常に合っているものです。
スフマート技法にはグレーズ技法が必須であり、グレーズにはグレージングバニスやスタンドオイルの調合が必須です。

つまりはこれまで数十年軽視していたワニスのことまで遡って、基礎からやり直している訳です。


スフマートというのは「陰影」のための技法と言われていますが、何も陰だけに作用するわけではありません。
光を表現する時にこそスフマートは大きな力を発揮するのです。
そこに気づいた時、やっと長年「捨ててきた描画力」の呪縛から解き放たれることができました。

私はデザインでは昔からCGも使いますが、CGでは絶対にスフマートができません。
このこともスフマートの大きな魅力です。

PhotoShopもIllustratorもShadeもPainterも、擬似的に、つまり絵画を写真に撮った姿は表現できても、絵画の画面そのもので表現できる奥行きと透明感のある画面は決して創りだすことはできません。

緻密な描写と空気感を引き出すためには日本の岩絵の具も魅力です。
しかし岩絵の具もやはり残念ながらスフマートは非常に難しく、向いているとは言い難いものです。

私は具象をやっていますが、写実主義ではありません。
やはり具象的な姿の中にある抽象的概念をどうしても表現したくているのです。

抽象画の中に潜む精神性に魅了されつつも、コンセプトだけで画面構成が終わってしまうというダイナミックな世界を先人達がほぼやり尽くして頂点を極めてしまった後では、結局一見「だれでも描けそうな」絵にしか残されていないという、芸術の行き詰まりを打破するためには、どうしてももう一度具象に立ち戻って行くしかない様な気がして仕方がありません。

スフマートとキアロスクーロと点描は、どれも非常に時間と労力のかかる技法です。
スフマートは細かい筆で肉眼では判別できないほどの細かい色付けを行います。場合によっては切手一枚分の作業に一日を要したりします。

キアロスクーロとは、レンブラントに代表される極端なコントラストを作り出す方法です。これは奥行きを作り出すために、一度描いたものをどんどん塗りつぶしてゆくという、非常に贅沢で無駄の多い画風です。

点描はスーラに代表されます。何日も何週間も、細い筆で息を詰めて、てんてんてんてんと単純な作業が続きます。

私は今、この三重苦の責めを敢えて自分に負わせているところです。




0 件のコメント:

コメントを投稿